[演劇] チェホフ『カモメ』 オスターマイアー演出

[演劇] チェホフ『カモメ』 オスターマイアー演出 静岡SPAC  5.6

(写真[シャウビューネ上演2023も混じる]↓はニーナ[アリナ・シュトレーラー]とトリゴーリン[ヨアヒム・マイアーホッフ]、マイアーホッフはドイツの有名な作家らしいが、今回のトリゴーリンはいかにも作家Schriftstellerらしい深みのある演技で素晴らしかった、ただ原作のトリゴーリンは30後半だが、この舞台では55歳に。トリゴーリンはアルカージナの「若いツバメ」なので、セクシーな若者であるべきだと思うのだが、Schriftstellerチェホフ自身の分身でもあるので、むずかしい役だ。ちなみにモスクワ芸術座『かもめ』再演1898でトリゴーリンを演じたスタニスラフスキーは35歳)

これまで『かもめ』は、日本人では、蜷川幸雄岩松了マキノノゾミ、齋藤晴彦、熊林弘高、鈴木裕美などの演出で観たが、今回のオスターマイアー演出のベルリン・シャウビューネ版は、斬新な舞台でとてもよかった。科白は原作をシンプルにしたのがいい。台本にないアドリブも多く、小さな円形舞台で↓、観客に俳優が話し掛ける観客参加型の演出。アドリブは字幕にないが、私はドイツ語が分かるので、最前列に座っていた私に「あなた、腕を組んでますね」と言われて楽しかった。第1幕のコースチャの劇中劇がそうだが、舞台と観客の関係そのものを問うことが、たしかに『かもめ』の一要素ではある。

今回、第1幕のコースチャの劇中劇は、コースチャを演じたラウレンツ・ラウフェンベルク(彼も作家らしい)自身が新たに書き直した新版だが、コースチャ自身が裸で踊るコンテンポラリーダンス風の、いかにも前衛劇になっていて、とてもよかった。(写真下中央↓、手前はアルカージナ[シュテファニー・アイト]、金髪の若々しい美女なのがいい)

『かもめ』はどの登場人物の人格も「曖昧」で、愚直なリアリズム演出ではうまくいかない。多くの場合、極端に様式化したりするが、今回の舞台は、リアリズムの線は守りつつ、登場人物のそれぞれの個性を突出させ、バラバラ感を強調したのが成功した。(1)『かもめ』の主題である「複雑な愛の絡み」、(2)トリゴーリンとコースチャという二人の作家Schriftstellerの「創作と実人生との関わり」を前景化した。(1)では、マーシャはコースチャが好き、コースチャはニーナが好き、アルカージナはトリゴーリンを好きなところに、ニーナもトリゴーリンを好きになる(しかも一時相思相愛に)、マーシャの母ポリーナは(夫のシャムラーエフではなく)医師ドールンが好きで、本当に好きな人とは結婚できないのが『かもめ』。マーシャはコースチャへの「恋を振り捨てて忘れるために、好きでもない教師メドヴェジェンコと結婚する」し、ニーナへの恋を告白したトリゴーリンに対してアルカージナが泣いてすがりついて跪く姿は、本当に切ない。(2)については、大変見事に描かれていて、芸術という主題についてトリゴーリンがニーナと心を通じ合えるのに対して、コースチャとニーナは最後まで心を通じ合えない。自分が二流の作家であることを自覚しているトリゴーリンと、それが分かっていないコースチャとの違いが、この結果を生んだ。トリゴーリンにもコースチャにも、チェホフ自身が幾分なりとも自分を投影していると思われるので、二人の違いは興味深い。「書くことは簡単だが、生きることはもっと難しい」というコースチャの言葉は、チェホフ自身のものかもしれない。今回、最後に登場する美しい「カモメの剥製」は、撃ち落されたカモメとは違う感じがした↓。そして何より感動したのは、最後に、ニーナが2年ぶりに劇中劇の舞台の残骸を見て泣くところ。これはチェホフ自身の演劇への愛を表現しているのではないか。『かもめ』がかくも多様な主題が一杯に詰まった作品であることがよく分った。

短いけれど、凄くいい動画が(暗いマーシャ!)↓

Die Möwe // Trailer der Schaubühne (youtube.com)

こちらはSPAC↓ 前列右端の青いシャツ、ノートを取っている観客が私、植村です(笑)

XユーザーのSPAC-静岡県舞台芸術センターさん: 「\『かもめ』全公演終了!/ 完売御礼となったオスターマイアー演出『かもめ』。静岡での全ての公演が終了いたしました🎉 昨年の3月にベルリンで初演を迎えたこの『かもめ』は、今日でちょうど50ステージ目とのこと㊗スタンディングオベーションとなった客席から、大きな拍手が贈られました👏 https://t.co/a0p0LfhHRE」 / X (twitter.com)