[演劇] キェシロフスキ『デカローグ1~4』 新国(小)

[演劇] キェシロフスキ『デカローグ1~4』 新国(小) 4.26/5.2

 

(写真は舞台↓、1988年のワルシャワの巨大な公営住宅に住む人々、舞台は、シンプルでスタイリスティッシュで美しい)

上村聡/小川絵梨子演出で、TV用映画10連作を舞台化した。キェシロフスキは『二人のベロニカ』『トリコロール三部作』を観ているが、この『デカローグ』もどこか共通する主題と美しさがある。主題は、偶然と愛と孤独といってよいだろう。「デカローグ」とは「モーゼの十戒」のことだが、本作は、日常のごく普通の市民に生じる結婚、不倫、妊娠、病気、子どもの事故死、父と娘の愛など、生活の些細な一コマの中に、偶然を受け止められられない個人の孤独が、非常に深く描かれている。「子どもをもつこと」が隠れた主題になっており、全体にポーランドという国の特徴であるカトリック信仰が背景にある。人間の美しさを静かに描いてるという点で、小津の映画に近いものを感じたが、内面の葛藤は小津映画より激しい。現代の我々は、科学的知識を背景に、病気など様々な出来事を一定の必然性の文脈で理解し、受け容れているが、しかし人間と人間の関係、自分と他者の関係については、本質的に偶然の契機があり、愛/憎いずれにしても、なぜそうなるのか分からず、自分の行為や選択が正しかったのかどうか確信を持てない。それゆえの孤独。これが『デカローグ』の主題。第一話は、言語学の大学教授とコンピュータが得意な小学生の息子だが、息子は凍った池に落ちるという事故で死んでしまう。無神論者の教授の深い喪失感と悲しみ。(写真↓)

デカローグ3は、妻と子どもと愛のあるささやかな家庭をもつタクシー運転手だが、クリスマスイブに元愛人が突然やってきて、困惑する。妻子に知られないように、そして元愛人も傷つけないように、彼は誠実に対応するが、元愛人も孤独で大きな嘘をついたりして二人の亀裂は深まるが、最後には和解。誰にでもありそうな話で、とてもリアル↓。

デカローグ2は、ヴァイオリニストの女性が癌で死にそうな夫(二人の間には長い間子どもができなかった)を前に、夫以外の男性と妊娠する話。今、妊娠3か月だが、夫が癌で死ぬかどうかで産むか産まないかが変る。夫の様態を医者に執拗に尋ねるが、医者は「どうなるか分からない」という。だが新たな転移が見つかり、医者は「夫はすぐ死ぬ」と告げるが、どういうわけか夫は奇跡的に回復する。中絶しかけた妻に対して、やっと自分の子供ができたことを喜ぶ夫、夫の子ではないことを知っているのは妻と医者だけだ↓。バッハ無伴奏ヴァイオリンの旋律が妻の孤独を深くする。

デカローグ4が私には一番感動的だった。小津映画と同様、父の娘の愛の物語。娘を産んですぐ死んだ母は、「父が死んだら開封してね」という手紙を娘に残す。本当は貴女は父の子ではない、別の男の子どもだ、と書いてあるその手紙を、あるとき娘は開けて読んでしまう。衝撃を受ける二人。だが、娘は「私は本当は手紙を読んでいない、自分の創作だ」と言い訳をし、父は父で、引き出しから別の封をした手紙を取り出してみせて、それを破る。こちらが本当の手紙だと言わんばかりに。つまり、本当はどうなのか、分からなくてよいのだ、でも父と娘は愛し合っていることを二人で確認し合う。私は『リア王』『リゴレット』『ヴァルキューレ』そして小津映画など、<父娘もの>に特に弱いので、デカローグ4にはいたく感動した↓。それにしても、偶然をうまく受容できず、人間関係の不全感に苦しむ現代人の姿が、実に見事に描かれている。デカローグ5~10にはさらに「きつい」物語もあるようだ。(愛を確認し合う父と娘↓)