小林よしのり『靖国論』(13)

charis2005-10-15

[読書] 小林よしのり靖国論』(幻冬舎 05.8.1)


(写真は、「昭和天皇独白録」を製作した中心人物である、寺崎英成。その下は「独白録」原本。右は、1996年にアメリカで発見された、英語版「独白録」。東野真『昭和天皇二つの独白録』NHK出版、1998より)


前回の続き。小林よしのり氏の「戦後観」の誤りを考察する。小林氏は、一方では『昭和天皇独白録』を素朴に援用して、昭和天皇には戦争責任がないことを強調し、他方では、東京裁判A級戦犯を裁いたことを激しく非難する。だが、実際のGHQの占領政策においては、政治家や軍人の戦争責任を問うことと、天皇の免責とは、コインの裏表のような関係にあった。統帥権をもつ「大元帥」である天皇は、当然のことながら、自らが「開戦の聖断」をした真珠湾攻撃の責任を逃れることはできない。もし天皇東京裁判に訴追されていたら、その結論は不可避であったであろう。


だがGHQは、45年の末までに、天皇の訴追を行わない方が占領政策の遂行上、得策であるという結論を出していた。しかし、戦勝国であるソ連、中国、英国やアメリカ本国には、天皇の戦争責任を問うべきだという根強い意見があり、それらを説得するためにも、天皇の免責理由を早急に示す必要があった。そのために46年3月以降、極秘に天皇にインタビューを行って大急ぎで作成されたのが『昭和天皇独白録』なのである。つまりそれは、GHQの政策の線に沿って、東京裁判のために書かれたものなのである。


昭和天皇独白録』については、吉田裕『昭和天皇終戦史』(1992、岩波)が正確な史実を明らかにしている(この本は新書版ながら非常な力作で、2005年1月で19刷を重ねている)。『独白録』は1990年に発見されたが、「たんなる回顧録」なのか「東京裁判向けの政治的文書」なのかを巡って、研究者が対立した。前者の立場をとる伊藤隆東大教授は(小林よしのり氏の本にも似顔絵つきで紹介されている)、「英文が出てきたらカブトを脱ぎますがね」等と大見得を切っていたが(『文芸春秋』1991年1月号・座談会)、その後、英語版が発見されて、後者の立場を取る秦郁彦、吉田裕、粟屋憲太郎らの諸氏が正しかったことが明らかになった。


吉田裕『昭和天皇終戦史』によれば、『独白録』製作の中心人物であった寺崎英成は、戦前はアメリカの日本大使館に勤務した外交官であるが、首相直属という特異な身分を持ち、日本の在米諜報活動を担う人物でもあった。アメリカ人女性グエンと結婚したが、妻のグエンの親戚が、マッカーサーの軍事秘書フェラーズ准将であり、東京裁判における検察役である東京検察局の幹部モーガンとも親交があった。つまり寺崎は、GHQ高官と人脈をもつ日本側の重要人物であり、アメリカ側では、GHQに対する「極秘の情報提供者」と呼ばれていた。寺崎は、戦争を推進したと目される人物に関する具体的な情報を、国際検察局に積極的に提供していたと言われる。要するに、東京裁判における日本人戦犯の訴追のために、密かにアメリカに協力していたのである。


この寺崎英成が中心となってまとめたものが『昭和天皇独白録』であり、彼は、その一部を英訳してフェラーズ准将に渡した。1996年にフェラーズの娘ナンシー・フェラーズの自宅で、膨大な天皇関係文書とともに発見されたのが、上記の英語版『独白録』である。もちろん、現在の時点で、寺崎英成を批判することはまったく意味がない。彼は天皇の免責の為に尽力したのであるが、その活動は、GHQが他の戦争指導者を訴追するための「極秘の情報提供」と一体であったところが問題の核心である。


小林よしのり氏は、口を極めて東京裁判を罵倒するが、東京裁判における日本人戦犯の訴追と、天皇の免責とは表裏一体のものであることを思えば、『昭和天皇独白録』などを無邪気に引用して、「天皇に責任なし」などと能天気なことは言えないはずである。三島由紀夫は『英霊の声』(1966)において、昭和天皇の「裏切り」を厳しく批判した。もし小林氏が「大東亜戦争を戦った英霊たち」に真に忠実であろうとするならば、大元帥たる昭和天皇の戦争責任を曖昧にしてはいけないはずである。にもかかわらず、それをしないところに、“よしりん史観”の大いなる自己欺瞞と誤魔化しがある。