北村文ほか『合コンの社会学』

charis2008-01-11

[読書] 北村文阿部真大『合コンの社会学』(光文社新書、07.12月刊)


(写真右は、ジェイン・オースティン『エマ』のダンスパーティ。下図は、現代日本における未婚率の上昇。2005年では、30代前半の男48%、女33%が、30代後半の男31%、女19%が、未婚。これは全国平均であり、東京はこれより10%近く高い。)

現代の若者は、第三者が選んだ特定の相手との「お見合い」や、条件などを事前に明示する「結婚相談所」のようなものを不自然と感じる。そうした若者が自発的で自然な出会いを求めて行われるのが「合コン」である(男子コンパと女子コンパを合同で、というのが語源)。現代の合コンは、企画者が最初の段階から参加メンバーを慎重に選別しているにもかかわらず、収入、学歴、社会的地位などは前面に出さず、自由で偶然の出会いであるかのように巧みに演出される。そして、参加者が嫌な思いをしないように、さまざまな暗黙のルールやコードが張り巡らされている。本書は、こうした合コンを社会的な「相互儀礼行為」(ゴッフマン)として分析する。調査サンプルは、合コン経験豊富な20代後半から30代前半の女子20名と男子11名。東京を中心とした高学歴・高階層の未婚者で、いわゆる「下流」の若者ではない。著者は、二人とも30〜31歳。


本書を読んで、私はジェイン・オースティンの小説を思い出した。200年前のイギリスの上流階級では、ダンスパーティでの男女の出会いが制度化されていた(大きなものはball、個人宅の小さなものはpartyと呼ばれる)。日本の見合いと違って、一定の人数の男女が集まり、そこでは、誰が誰と踊るか、どういう順番で相手を選ぶか、どんな会話をするかなど、各自の振る舞いはすべて個人の自由に任されている。多くの人の眼前ですべてが進行するので、ダンスの技量、マナー、容貌、衣装、会話のうまさ、話題の豊かさ、あるいは不適切な振る舞いなど、すべてが厳しく皆に吟味され、品定めが徹底して行われる。かなりシビアな世界であるが、それでも若い男女は、あくまで自分の意思で、自分が納得できる仕方で、相手と出会い、そして選びたいと強く願っている。「あさましい」「がっついた」態度は忌避され、洗練されたマナーで、しかも自然な仕方で出会うことが求められる。どちらかというと「選ばれる」側にある若い女性たちが、良い条件にある女性もそうでない女性も、自分の納得のゆく出会いと結婚を求めて、主体的に全力を尽くして生きようとするところが、オースティンの小説に類まれな輝きと魅力を作りだしている。相手の収入や身分もたしかに重要だが、それよりも、自分で自分の人生を創り、それに自分がどこまで納得できるのか、これが結婚の一番重要な要素なのである。『高慢と偏見』や『エマ』の光に溢れるヒロインばかりでなく、『マンスフィールドパーク』のファニー・プライスのような、条件が悪く、美女でもない地味なヒロインの結婚譚が、我々に深い感銘を与える理由はそこにある。


現代日本の合コンもまた、オースティンのダンスパーティと似たところがある。合コンの「あの独特の高揚感や緊張感」(p9)や、「相手が見つからない人」がないように誰かが気を配るなど、両者は類似している。調査サンプルの男女が語る合コン観、恋愛観、結婚観は繊細で、しかも要求水準が高い。彼らが恋愛や結婚に求めるのは、相手の条件もさることながら、「運命的な出会い」という自分が納得できる「美しい物語」なのである。1972〜1981年に生まれた若者が、「真正団塊ジュニア世代」と呼ばれるそうだが(p181)、本書に描かれる合コンは、団塊ジュニアの若者たちの繊細な心性と、優しい気配りに満ちている。話題になっている合コンも、「王様ゲーム」や「お持ち帰り」といった「ものほしそう」で「いやらしい」もの(p51)よりは、もっと洗練された上品なそれである。

>「理想はがっついていない人。いきなりがーっとこられるのは絶対にいや」(女性・30代・会社員)
>「メールアドレスを誰にも聞かないのは失礼だから、気に入ってなかったとしても、少なくとも前に座った女の子には聞く」(男性・30代・専門職)
>「がっつかないほうが相手にもいい印象を与えるだろうし、何よりも、必死になっているところを男友達に見られたくないっていうのがある」(男性・30代・専門職)


だが、これだけ気配りをしたとしても、合コンが恋愛に発展するとは限らない。
>「最初は外見で順位をつけてるんだけど、話しているうちに、かっこよくても偉そうな態度だったりするといやになってしまって、どんどんランキングが変っていく。でも、この人は話が面白いけどいまいちさえないなあ、とか思っているうちに、最終的にはみんなダメってことになる」(女性・30代・専門職)


本書の優れたところは、合コンが「相互儀礼行為」として洗練されればされるほど、必ずしも結婚には結びつかないという逆説に焦点を当て、団塊ジュニア世代の未婚率上昇と関連付けたことにある。サンプルの男子がやや"線が細い"感じはするが。
>「うまく振舞えないからうまくいかないのではなく、うまく振舞ってしまうからこそうまくいかない。」「これほどに困難な場であるはずの合コンに期待がかけられるのは、私たちが条件どおりの相手ではなく、自分が納得できる物語を求めるからだった。」(p156)
>「合コンは、美しい出逢いの物語を紡ぐことを可能にしてくれる。私たちが物語それ自体を手放し、結婚のなまなましい現実を直に生きるようにならないかぎり、やはり合コンはなくならない。」(p170)