シュトラウス『影のない女』

charis2010-05-26

[オペラ] R.シュトラウス影のない女』 新国立劇場


(写真右は、終幕、人間世界へ覚醒した二組の夫婦の幸福な大団円。下は、染物屋バラクとその妻。そして、乳母と決別する皇后(右))

シュトラウスのオペラとしてはもっとも長時間で、大編成のオケがよく鳴る見事な作品だ。日本では18年ぶりの上演とのこと。テーマの意外な現代性、充実した音楽と舞台など、もっと上演されてもよいのではないか。「影のない女」の「影」とは生殖能力の隠喩、「影がない」というのは「子供が生まれてこない」という事態を象徴している。物語は、神話的寓意に満ちた複雑なものだが、人間における“生殖の根源性”がテーマになっているので、全体としては分りやすい物語だと思う。


霊界の大王カイコバートの娘は、人間の皇帝に見初められ、その妻の皇后となっているが、結婚後一年近くたっても子供ができない。「ガラスのような透明な体を光が通ってしまう」ので、肉体の作り出す「影」ができないのだ。あと三日のうちに子供ができなければ、人間の皇帝は石に変えられてしまうという運命の日が迫っている。皇后の世話をする、やはり霊界出身の乳母は、子供を作らない人間の女から「影」を買い取って、それを皇后のものにするために、皇后とともに人間界に「影探し」に行く。うまい具合に、染物屋バラクとその妻は夫婦仲が悪く、妻は子供を作る気がない。乳母は、バラクの妻にありとあらゆる快楽を与えて誘惑し、「影」を売り渡すように迫る。うまくいきそうになったのだが、今度は、皇后の方が動揺してしまう。彼女は、バラクとその妻の人間くさい怒りや悲しみ、そして、のたうちまわるような夫婦愛を間近で観察するうちに、彼らの「影」を取り上げて自分が子供を作ることに懐疑的になってしまった。乳母と決別し、「影」を自分のものにする秘薬を眼前に差し出された彼女は、「私はいりませんIch will nicht!」と叫んでしまう。皇帝が石になり、一切が終わるはずだったが、突如奇跡が起こり、皇后に影が宿り、皇帝は人間に戻る。そして、バラクとその妻も和解して、幸福な大団円のうちに終幕。


この作品は『魔笛』との類似が言われるが、私はむしろ『ファウスト』の影を強く感じた。乳母はメフィストフェレスそのものであり、皇后はファウストである。最初は、「ガラスのような透明な身体をもつ」自分が、人間から「影」だけ手軽に奪って子供を作ろうという身勝手な女であったが、やがて生殖のもつ人間くささ、人間らしさを知り、神(霊界大王の娘)たる自分を恥じて、人間とともに苦難の道を生きることを決心する。「人間は努力する限り迷うものだ」というファウスト的主題は、生殖、出産、子育てといった人間の根源的な営みにも言えるのではないか。このオペラは1919年初演だが、第一次大戦の大量の死者を前に、人間社会の基盤である「子供が生まれてくること」=生殖への祈りのような希求が感じられる。「影」の売買という寓話も、生殖医療、代理母、中絶、そして少子化という今日的な問題と直結している。


歌手は、特にソプラノの高域と大きな声量が素晴らしかった。『アリアドネ』のツェルビネッタのアリアのようなものはないが、歌いこなすのが難しい作品だと思う。バラクの妻(ステファニー・フリーデ)、乳母(ジェーン・ヘンシェル)、皇后(エミリー・マギー)、バラク(ラルフ・ルーカス)、みな充実していた。演出はドニ・クリエフ、舞台装置の動きがとても巧みだった。