[オペラ] 《夜鳴きうぐいす》 《イオランタ》

[オペラ] ストラヴィンスキー《夜鳴きうぐいす》 チャイコフスキー《イオランタ》 新国立劇場 4月6日

(写真は、《イオランタ》の舞台)

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《イオランタ》は1892年、《夜鳴きうぐいす》は1914年の初演、どちらもメルヘンを基にしたオペラで、前者は95分、後者は50分。どちらもギリシアのヤニス・コッコスが、演出・美術・衣装を兼ね、視覚的にとても美しい舞台だった。私はどちらも初見だが、チャイコフスキー最晩年の《イオランタ》は素晴らしかった。《夜鳴きうぐいす》は、第一幕と第二・三幕が作曲時期も音楽書法も違い、雰囲気がまったく違う面白さがあるが、全体としてオペラとしては物足りない感じがした(写真↓は、上が第一幕の海辺のウグイス、下が第二幕の中国皇帝の宮殿)

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《イオランタ》は物語も音楽も素晴らしく、大傑作のオペラだ。物語はドイツのヘンリク・ヘルツ原作。生まれつき盲目のイオランタ姫は、父王はじめ周囲の配慮で、自分が盲人であることに気づかないように育てられたが、周囲で交される会話から、「何か私には足りないものがあるようだ」と感じ始め、深い「憂い」に囚われる。ある日、彼女は一人で静かに涙を流したところ、乳母のマルタから「どうしてお泣きになっているのです」と慰めの言葉をかけられ、ハッと気づき、乳母に問いかける、「どうして私の眼に触らないのに、私が泣いていると分るの? 何か私の知らないことがあって、あなたは私に隠しているのではないの?」と。そうなのだ、視覚の存在を知らない彼女は、当然、他者が視覚をもっていて、自分の顔が「見られて」いることも想像がつかない。そう問われて、「しまった」と当惑するマルタ(写真下↓)。そうなのだ、イオランタにとって、目とは涙の出る器官であり、それ以外の何ものでもないのだ。

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ある日、ヴォデモン伯という若者が偶然、森の中のイオランタ姫の隠れ家に迷い込んでくる。姫に恋してしまった彼は、持ち帰る記念に赤いバラを一本取ってほしいと姫に頼むが、姫は赤いバラが選べず、何度頼まれても白いバラを取ってしまう。姫が盲目であることに気づいた彼は、「貴女は眼が見えないのですね、光を知らず、闇の中に生きているのですね!何と不幸な人!」と、彼女が盲人であることを教えてしまう。しかし姫は、そもそも視覚の存在を知らないのだから、「いいえ、何のことでしょう、私は少しも不幸ではありません、私に光は不要です」と返す。しかしヴォデモン伯は、彼女が盲目であることをしっかりと教え、そのうえで彼女に求愛する。この場面のデュエットは、「全ロシアオペラの中でも最高傑作の二重唱と言われ」(一柳富美子氏)、比類なく美しい。(写真↓は、白いバラしか選べないイオランタ)

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そこへ、医者を連れた父王が現れ、娘の盲目を治療しようとするが、医者は、「本人が、自分が盲目であることを自覚しなければ、その状態から脱したいと意志することもないので、治療はありえない」と言う。まさに精神分析と同じことを医者は言うわけだ。逡巡したあげくイオランタは、ヴォデモンの求愛に応えるために、自分が盲目であることを認め、治療を受けたいという。そして手術は成功し、姫は開眼する。姫の最後の科白「光がどっと襲いかかってきて、怖い、ただ眩しいだけで、見えるというのがどういうことか、まだ分からないわ、まったく知らない場所に連れてこられたみたい!」から、原作者ヘルツはモリヌークス問題(先天的盲者の開眼手術)を知っていたことが分かる。開眼直後はまさにそのような状態で、普通に「見える」ようになるまでは長いトレーニングが必要なことが、今日では医学的に分っている。演出のコッコスは、この作品の主題は「愛の贈与と真実を知ること」だと述べているが、姫のこの科白からも、その通りだと思った。

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