[今日のうた] 3月
春芽ふく樹林の枝々くぐりゆきわれは愛する言ひ訳をせず (中城ふみ子『乳房喪失』1954、31歳で乳癌で亡くなった中城は、離婚して実家に戻ったが、年下の青年と新しい恋におちた、その時の歌だが、それから死まで長くはない) 1
ささやかな生きの命のいとなみを君が鼓動にふれてかなしむ (馬場あき子『早笛』1955、作者は24歳で結婚したが、おそらくその直前の歌、彼氏とハグしているのだろう、「ささやかな生きの命」という言葉が瑞々しい、「かなしむ」は「愛おしい」という意味だろう) 2
燃ゆる夜を又逢いに来て誤てる思想と厳しく諭されていつ (道浦母都子『無援の抒情』、ベトナム反戦運動や学園闘争を戦った作者は、1968年の国際反戦デーのデモで逮捕され三週間独房で黙秘した、その時の歌かどうかは分らぬが、彼氏は戦いの同志であり先輩なのだ) 3
みづみづしき相聞の歌など持たず疲れしときは君に倚りゆく (石川不二子『牧歌』1976、作者1932-2020はまだ女子学生がほとんどいない東京農大を卒業し、開拓農場に入植して5男2女を育てた酪農家、これは若い時の歌だろう) 4
わが胸のガラスの魚を誉めつつも今日より君は君を守れよ (梅内美華子『横断歩道』1994、作者の彼氏は、年下のひ弱で頼りない男性なのだろうか、姉が弟に教え諭すような感じだ) 5
靴という小暗き穴へ足沈めあなたは夜を帰って行けり (大森静香『手のひらを燃やす』2013、作者1989~は大学生か、夜中に彼氏が帰ってゆく、「靴という小暗き穴」に「足を沈める」というのがリアル、「後朝の別れ」のような感情なのか) 8
昔から微(かす)かだけれど好きな音雪が静かに着地する音 (松田わこ「朝日歌壇」3月9日 馬場あき子/永田和宏共選、「雪の着地の音という思いがけない音が聞こえてきそうだ」と永田評) 9
どっちでもいいよと言われ遠浅に流されてゆくサンダルになる (山田香ふみ「東京新聞歌壇」3月10日 東直子選、「「どっちでもいいよ」と委ねられた側の、どうしたらいいか分からない途方もなさが明確な映像として伝わる。感覚の伝え方がとてもユニーク」と選評) 10
豪雪の怒りのごとく詩のごとく (村上永「朝日俳壇」3月9日 大串章選、「豪雪は人々の心を揺るがす。感情移入の詩歌を数多(あまた)生み出す」と選評) 11
薄氷(うすらひ)を駆けわたる鳥羽ばたけり (佐野一郎「東京新聞俳壇」3月9日 小澤實選、「春の薄い氷を駆けわたっている鳥が、羽ばたいた。小さい鳥ではあるが、氷が割れてしまったのかもしれない」と選評) 12
ふららこを降りて翼を失へり (神蔵器、公園のブランコだろうか、たしかにブランコは、降りて歩き始めた瞬間に、体の重さを感じる) 13
白梅のあと紅梅の深空(みそら)あり (飯田龍太、梅の花は、深い青色の空を背景にすると、とりわけ印象的だが、紅梅は白梅よりもさらに「深空」に映えるのか) 14
春めきてものの果てなる空の色 (飯田蛇笏、春先は明らかに空の感じが冬とは何か違ってくる、「ものの果てなる空の色」が違うのだ) 15
外(と)にも出(で)よ触るるばかりに春の月 (中村汀女、春の月は冬の月とは何か違う、冬の月は透明な遠さがあるのに対して、春の月は「触るるばかり」に近く感じられる) 16
ふだん着でふだんの心桃の花 (細見綾子、桃の花が一杯に咲いているのを見ると、何だかうれしくて、お祝い気分になる、今日は「ふだん着でふだんの心」、でも何だかうれしい) 17
春日傘(はるひがさ)まはすてふこと妻になほ (加倉井秋を、妻はもうかなりの年なのに、まるで少女のように、春日傘をくるくる回して喜んでいるのか、「妻になほ」がいい、愛妻句だろう) 18
川上(かはかみ)の根白高萱(ねじろたかがや)あやにあやにさ寝さ寝てこそ言(こと)に出にしか (よみ人しらず『万葉集』巻14、「川べりの根の白い萱はやたらに背が高いけど、そのくらいやたらに君と共寝しまくったら、噂が立っちゃった」、「あやにあやにさ寝さ寝てこそ」の迫力!) 19
つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日(きのふけふ)とは思はざりしを (在原業平『古今集』巻16 、「病して弱くなりける時によめる」と前書、「誰もが最後に行かなければならない道のことは、前から知っていたけれど、まさか昨日今日のこととは思わなかったよ」、辞世の歌) 20
床の上の枕も知らで明かしてき 出でにし月の影を眺めて (和泉式部『家集』、「恋人の貴方は、せっかく来たのに月を一緒に眺めることもなく、早く帰ってしまったわ、私はそのあと一睡もせずに、明け方まで、月を見ながら貴方のことを想っていたのよ」) 21
厭はる厭はるるそのゆかりにていかなれば恋はわが身を離れざるらん (源仲頼『千載集』巻15、「僕は、君から嫌われる関係になってしまった、君は僕から離れてゆく、でもなぜ、僕の君への恋心は、僕から離れてゆかないのでしょう」) 22
人心(ひとごころ)うす花染めのかりごろもさてだにあらで色や変らむ (三条院女蔵人左近『新古今』巻13、「貴方の心は、すぐ色褪せてしまう薄い花染めの狩衣みたいね、これという理由もないのに、どうして私への愛がさめてしまうのかしら」) 23
年ふれどまだ春しらぬ谷のうちの朽木のもとも花を待つかな (式子内親王『家集』、「まだ春を知らない谷にある、年を経た朽木でさえも、付ける花を待っているのね、それにひきかえ、私は恋愛も結婚もしないまま、むなしく年老いてしまった」) 24
仕事場で俺が演じている俺がさらに演じる電話対応 (亀田巧「読売歌壇」3.24俵万智選、「「俺」と「演じる」の繰り返しが、マトリョーシカのような効果をあげている。本当の俺の外側に仕事場の俺。仕事場の俺の外側にさらに対外向けの俺。何重もの俺の有り様は、現代社会を象徴」と選評)25
終点で起こしてくれた車掌さん わたしは朝の宇宙を歩く (りんか「毎日歌壇」3.24加藤治郎選、「始発電車かもしれない。わたしは熟睡していたのだ。車掌さんに感謝する。夜の記憶を宇宙と感じながら歩いている」と選評)26
うすらひの申し合はせたやうに消え (村松譲「読売俳壇」3.24高野ムツオ選、「池の薄氷の欠片数片、気づいた時には跡形もなかった。ぶり返した寒気とともに再来した冬の妖精たちが朝日を合図に、頷き合いながら、この世から姿を消した」と選評) 27
雛壇に近づけばすぐ抱きとられ (中林照明「毎日俳壇」3.24西村和子選、「主語はよちより歩きの幼児。きれいに飾ったひな壇のあれこれに触りたがり、倒したり汚したりする。その寸前を描いた」と選評) 28
西行の庵もあらん花の庭 (芭蕉、江戸六本木の友人の屋敷を訪れ、その庭を誉めた挨拶句、「西行の庵」は吉野にあるから、この「花」は桜だろう) 29
日半路(ひなかじ)を照られて来るや桃の花 (志太野坡『炭俵』、「長い道を半日も春の陽光に「照られて」テクテク歩いてきたら、あっ、燃えるような色の桃の花が咲いている」、桃の花の濃いピンクはとても印象的だ、野坡は芭蕉の弟子で『炭俵』の編者の一人) 30
軒(のき)うらに去年(こぞ)の蚊うごく桃の花 (上島鬼貫、「軒の裏側に「去年の蚊」(本当か?)がうごめいている、すぐ横には美しい桃の花が満開だというのに」、蚊と桃の花の取り合わせが俳諧の味) 31