[今日のうた] 5月

[今日のうた] 5

 

母のこと「オーイ」と呼ぶな名を呼べと彼氏のできた娘の小言 (重親峡人「読売歌壇」4.28 栗木京子選、「交際中の相手と父親をつい比べてしまう娘。もし自分が「オーイ」と呼ばれたら嫌だ、と気付いたのだ。一方、作者のほうは小言をもらってどこか楽しそうに見える」と選評」) 5.1

 

暴力を見せられている感覚で月を見ていた死んだオオカミ (入間しゅか「毎日歌壇」4.28 水原紫苑選、「オオカミは月の暴力、光の暴力、美の暴力に耐えかねて去ったのかもしれない。詩人ではなく、詩である存在の痛み」と選評) 2

 

秒針の今長針に重なりて吾子の入試の時は終わりぬ (吉村まさい「朝日歌壇」1972春、五島美代子選、母はおそらく大学入試会場の外で待っているのだろう、娘か息子の試験の出来はどうなのだろうか、と) 3

 

山の音音せぬ声を聞きたりき人の孤独ははかり知れざる (高井寿一郎「朝日歌壇」1972春、五島美代子選、ひっそりと物音ひとつしない深い山中で、かすかな人の声が聞こえたような気がした、ひょっとして人がいるのだろうか、それとも空耳だろうか、いずれにしても人間は実は孤独に生きている) 4

 

春泥を如何に越え来し修道尼 (「朝日俳壇」1972春、山口誓子選、修道女が、裾回りを泥だらけにしながら教会へたどり着いたのだろう、真摯でかつユーモラスな光景) 5

 

メーデーを終り看護婦帰りいそぐ (高田一大「朝日俳壇」1972春、加藤楸邨選、看護婦は忙しい、つねに患者が待っている、メーデーが終わっても急いで職場に戻る) 6

 

竹の葉のさしちがひ居る涅槃かな (永田耕衣『加古・傲霜』1934、竹の葉が互いに「差し違える」ように乱れている、「涅槃」とは真逆の感じなのに「涅槃」) 7

 

手品師の指いきいきと地下の街 (西東三鬼『旗』1940、三鬼の句は、どこの国ともどこの町とも分からない感じだが、手品師の指が「いきいき」しているのだけはリアル) 8

 

旅びとが起きあがる影もおきあがる (富澤赤黄男『魚の骨』1940、「これはまたわが姿なり」と前書、「旅びと」は作者なのだ、実に含意の豊かな句) 9

 

その五月われはみどりの陽の中に母よりこぼれ落ちたるいのち (今野寿美『花絆』、五月といえば新緑が美しい、五月十日生まれの作者は、五月が好きなのだろう、「その五月」「みどりの陽の中に」がいい) 10

 

風に飛ぶ帽子よここで待つことを伝へてよ杳(とほ)き少女のわれに (小島ゆかり『憂春』2005、作者には娘が二人いて、とても仲のいい母娘、服を取り換えて楽しんでいる歌もある。この「杳(とほ)き少女」はたぶん中学生くらいの娘だが、自分の分身のように感じているのか) 11

 

てのひらに水面を押せばあふれつつこの直接もきみを得がたし (小野茂樹『羊雲離散』1968、おそらく、教育大付属中学高校以来の同級生で恋人、そして後に妻となる青山雅子が、他の男性と結婚してしまった直後の歌か) 12

 

むくわれぬ恋のように裏側のある物いつまでも乾かない (東直子2007『十階』、日常にいくらでもある散文的な光景だが、それがそのまま詩になるのが短歌の魅力) 13

 

この街に味方はいない水溜まりにしみこんでゆく私の影も (江戸雪『百合オイル』1997、作者は鋭い感受性の人、「水溜まりにしみこんでゆく私の影」に敵意を感じてしまう) 14

 

バゲットを一本抱いて帰るみちバケットはほとんど祈りにちかい (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』、フランスパンのバケットBaguetteは、たしかに独特の存在感がある、「抱いて帰る」や、「祈りにちかい」に、いたく共感する) 15

 

さようなら。人が通るとピンポンって鳴りだすようなとこはもう嫌 (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』2001、人が通るとセンサーが反応して音を出すのは、改札とか、店員の少ない店の入口とか、大きな建物の入口にもあるだろうか、警戒されているようで何だか感じが悪い) 16

 

木隠(こがく)れて茶摘みも聞くやほととぎす (芭蕉1694、「木の間に遠く見え隠れしながら茶摘みをしている娘たち、あの娘たちも、過ぎてゆくほととぎすの鳴き声を聞いているのだろうか」、遠景の茶摘み娘が独特だ、1694年は芭蕉の最後の年) 17

 

駒どりの声ころびけり岩の上 (斯波園女、駒どりが岩の上で鳴いているのだろう、「声ころびけり」がいい、作者は芭蕉の弟子の女性俳人) 18

 

蝸牛(かたつぶり)何おもふ角(つの)の長みじか (蕪村1768、「何おもふ」と言ったのがやや一茶的か) 19

 

恋のない身にも嬉しや衣がへ (上島鬼貫、「恋のない」と言っているのは、鬼貫の内心は、「恋をしたい」からだろう) 20

 

何をして腹をへらさん更衣(ころもがへ) (一茶1810、一茶は47歳、独身、江戸の貧乏暮らし、おそらく今日は仕事がないのだろう、だからせっかくの更衣も張り合いがない) 21

 

うすうすと窓に日のさす五月かな (子規1893、五月には、夜明けが次第に早くなるが、しかし光の強さはまだそれほどではない、窓に「うすうすと」日がさす感じだ) 22

 

行春を尼になるとの便りあり (虚子1896、知人の女性だろう、その人から「尼になる」との便りを受け取った時、虚子はどのように感じたのか、「行く春を」とあるから、尼になるのを「惜しむ」のか、しかし「尼になるのを惜しむ」というのはどういう感情かよく分からない) 23

 

薔薇を見る少女らの帽すでに白く (富安風生1940、ちょうど衣替えの頃だろうか、薔薇の花を見ている女学生たちの、それまで紺の帽子だったのが白の帽子に変っている、薔薇の花以上に瑞々しい少女たち) 24

 

みちをしへ道草の児といつまでも (阿波野青畝1927、青畝は27歳、男の児に「道を教え」たら、何となくその児と「いつまでも」おしゃべりしていた、「道草をくう」のはその児だけでなく、青年青畝も一緒に「道草をくう」、彼はたぶん子ども好きなのだ) 25

 

北限の花を惜しみて春惜しむ (縣展子「朝日俳壇」5.25 長谷川櫂大串章/高山れおな共選、「これでいよいよ今年の春も終り。「北限の花」が心に染みる」と大串評) 26

 

人間のふりして人参のくせに (横浜 J子「東京新聞俳壇」5.25 石田郷子選、「解釈を試みれば二本足の形に育ってしまった人参を叱っている場面か。理屈抜きに明るいリズムを楽しみたい」と選評」) 27

 

動画もう撮ってるって気づくまでの顔、無重力で宇宙だった (葉山 あも「東京新聞歌壇」5.25 東直子選、「気軽に動画を撮る時代ならではの一瞬。無防備な表情に「無重力で宇宙」を見出し、その内面に壮大な未知の世界を感じていることが伝わる」と選評。時代の先端を詠んでいる) 28

 

館内の鳥が骨折した事も日誌に綴る守衛の仕事 (貴田雄介「朝日歌壇」5.25 佐佐木幸綱/川野里子共選、「病院とか図書館など、公共の施設で守衛の仕事をしている作者だろう。日誌を書くという時点をクローズアップして、うまい」と佐佐木評) 29

 

岡に寄せ我が刈る萱のさね萱のまこと柔(なご)やは寝ろと言(へ)なかも (よみ人しらず『万葉集』巻14、「君は、海辺の萱を刈り取って陸地に寄せたように柔らかな肌をしているね、どうして柔らかに僕と打ち解けて一緒に寝たいと言ってくれないの」) 30

 

流れては妹背の山の中に落つる吉野の川のよしや世の中 (よみ人しらず『古今集』巻15、「妹山と背山の間を割って、急流が流れ落ちる吉野川のように、僕たちもあっという間に逢えなくなってしまった、でもまぁ、これで<よし>としよう、これが女と男の仲というものさ」) 31