[今日のうた] 7月分
(下の絵は野沢凡兆(生年不詳~1714)、芭蕉の弟子たちの中でシャープな句を詠んだ人)
- 立ち読みをしたる心にもち帰る意地悪そうな写真のアリス
(杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、『不思議の国のアリス』の著者ルイス・キャロルは写真家でもあり、意地悪そうな少女の写真も残っている↓、アリスのモデルなのか、この歌の作者は、買わずに「心にもち帰った」) 7.1
- ぽぽぽぽと口から小鳥を吐いていると思い込んでいた空也上人像
(穂村弘『角川・短歌』2019年4月号、鎌倉時代に作られた空也上人像↓、念仏を唱えているから、口から吐き出しているのは仏像、でも、小鳥と思っていたという作者、ひょっとして小鳥と語り合った聖フランチェスコと混同している? いいじゃん! 作者はミッションスクール卒業の人) 7.2
- 漁師さんと結婚しようと言われてる 海のない街の女子高生が
(サツキニカ・女・25歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「本物の<漁師さん>からも<結婚>からも限りなく遠い。そんな<女子高生>たちの世界に充ちた他愛なさの魅力」と、穂村評) 7.3
- 飲み過ぎてしゃがみ込んでる女の子 たき火のようにみつめる男子
(柳直樹・男・42歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「そんな時、<男子>は手際よく介抱したりしない。<たき火のように>という比喩に惹かれます。それは手を触れることができない神聖なもの」と穂村評) 7.4
- 覚えたてのひらがなで書いた「すきです」のお返しはガンダムの絵でした
(ほうじ茶・女・23歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「恋という概念が伝わらない・・・と呆然としました」と作者コメント、その男の子は「すきです」が分からなかった? それとも本当は分っていて絵を返した?) 7.5
- 「あたし」って打つ子に「私」で打ち返す今の私は嫌な顔してる
(こんこん・女・35歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「きっと色んなことが合わないだろうなと思いました」と作者コメント、「<あたし>と<私>」の微妙な違いが、二人の世界の決定的な違いを示しているようです」と穂村評) 7.6
- ローソンと月の光と入れ替えるくらいしなけりゃ閉じないよ目は
(吉野・女・26歳『ダ・ヴィンチ』短歌欄、穂村弘選、「<ローソンと月の光と入れ替える>のひりひり感がいい。思わず目を閉じて、思わずキスする。そのためには、<月の光>のうねるような眩しさが必要らしい」と穂村評) 7.7
(杉山杉風1647~1732、作者は芭蕉の弟子、「梅雨でしとしとと降る雨によって、自然の景は完全に塗り込められてしまい、空も地も見分けがつかない」、現代ではコンクリートや鉄のビル、道路、高圧線など人工物によってなかなかこうはならないかもしれない、明日、人工物だけが見える芭蕉の句を紹介する) 7.8
(芭蕉1688、琵琶湖で詠んだ句、「琵琶湖は梅雨のしとしと降る雨によって、すべての視界が塗り込められたけれど、あの大きくて長い瀬田の唐橋だけが浮かび上がっている」、昨日の杉風の句のような自然景と違って人工物は塗り込められにくい) 7.9
(野沢凡兆、作者は蕉門、「梅雨の雨に誘われて、ナメクジが殻を捨てて這い出してきた」、当時はナメクジはカタツムリが殻を抜け出してきたものと誤解されていた、しかしこの句は、家を出て旅に立つ誰かを寓意的に詠んでいるらしい) 7.10
(蕪村、「怒りっぽい坊さんだな、ありがたそうな表情も見せず、せっかく受け取った施米の米を袋からこぼしながら行ってしまった」、「施米」とは国が貧僧に米や塩をほどこす行事のこと、蕪村には僧を風刺した句が幾つもある) 7.11
(正岡子規1895、「あいつ、また夜更かししてちゃんと寝ないから、すごい鼾かいて昼寝しているぞ」、「すさまじき」と詠んだのが上手い、友人か知人だろう) 7.12
(夏目漱石1896、次の句からすると、最近坊主になった若い知人が漱石の家に来ているのだろう、彼は今まで寺で厳しい修行をしていたのか、「うき世」では無邪気に昼寝しているよ、と) 7.13
- 津の国のこやとも人をいふべきに隙(ひま)こそなけれ芦(あし)の八重ぶき
(和泉式部『後拾遺集』、「摂津の国の昆陽[こや]のように、貴方に「来や[来てね]」と言いたいけど、芦の八重ぶきに隙間がないように、周囲の人目に隙がないのよ、だから難しいわ」、言い寄る男をやんわり断った) 7.14
- ちり積める言の葉知れる君見ずはかき集めても甲斐なからまし
(小馬命婦『範永集』、作者は清少納言の娘、歌人の藤原範永に貸した『枕草子』あるいは『清少納言集』を返してもらったときの歌、母の「草子」は、言葉の達人である貴方(=範永)に読んでもらってこそ本懐です、と) 7.15
- 斧(をの)の柄(え)のくちし昔は遠けれど有りしにもあらぬ世をもふるかな
(式子内親王『新古今』、「仙人の碁を見ていたら斧の柄が朽ちるほど時間がたち、王朝が交代していた、という中国の故事ではないけれど、お父様(後白河法皇)が亡くなって、私は、まったく違ってしまった世を過ごしています、ああ、なんて悲しいの」、「有りしにもあらず」が強烈な表現) 7.16
- わが恋は人知らぬ間の菖蒲草(あやめぐさ)あやめぬ程ぞ音(ね)をも忍びし
(宮内卿『玉葉和歌集』、作者が17、8歳のとき「千五百番歌合」で詠んだ歌、「あやむ」は怪しむ、「私の恋は、見えない水面下の菖蒲の根のように、誰にも怪しまれないように、まったく声も出さずに、ひたすら忍んできたのよ、わかってね」 7.17
- 世のつねの松風ならばいかばかりあかぬしらべの音もかはさまし
(建礼門院門院右京大夫『家集』、「せめて私が人並みの琴の腕なら、どんなに貴方と合奏したいでしょう、でも下手だからダメなの」、琵琶の名手である西園寺実宗から「貴女の琴と合奏しようよ」と口説かれて断った) 7.18
(蜻川[せいせん?]、ムクゲは秋の季語だが、我が家の周囲ではすでに美しく咲いている、この句は都会の下町だろうか、民家の干し竿にぎっりしり洗濯物が干してある狭い路地を突き抜けたところの家の生垣に、木槿が咲いている、そういう木槿はひときわ美しい、作者については調べたが分らなかった) 7.19
(高濱虚子1949、芙蓉の花は大きくてとても美しいが、どこか「絵に描いたような」ところがある、そこをぴたりと捉えた句だろうか、秋の季語だが我が家の周囲でも咲き出した) 7.20
(正木ゆう子『水晶体』1986、面白い句だ、作者はたぶんいつになく特に美しく装ったのだろう、アマリリスの花のごとくに、男の友人(あるいは夫?)が、「あっ」という感じで、ちょっと伏目がちになって作者を見詰めるのを楽しんでいる) 7.21
(寺山修司「暖鳥」1952、作者が高校1年の作、海辺のホテルで詠んだ句で、ホテルで飼われているオウムが風にキスするような動きをしたのだろう、寺山らしい独創的な把握) 7.22
(金子兜太『少年』、1944年か45年に出征したトラック島で詠んだ句、野営しているのか、蚊帳の中から夜空がくっきり見えている、そこへ「刺すように」流れ星が流れた) 7.23
(一茶、当時「梅雨雷」という言葉があったのだろうか、梅雨に雷が混じるようになると、梅雨明けも近い、「正直に」と詠んだのが卓越、さて、関東地方も梅雨雷となっている、そろそろ梅雨も明けるか) 7.24
(永田耕衣『與奪鈔』1960、「つるむ」とは交尾のこと、梅雨どき、我が家に植えたきゅうりの茎や葉には、かたつむりがよく付着しているが、たしかにかたつむりの肉には特別な粘着性がある) 7.25
(西東三鬼1936、代表句「水枕ガバリと寒い海がある」のすぐ前の句なので、「小脳を冷やし」とは「水枕によって大脳の後ろにある小脳がまず冷える」のだろう、うつらうつらする夢に「寒い海」や「小さな魚」が見えたのか) 7.26
(加藤楸邨『穂高』1940、「端居」とは、昔、暑い日に室内の暑さを避けて、縁側などでくつろぐことだが、たいして涼しくはなかっただろう、「わざわざ端居して何かを思い出そうとしていたのに、それが思い出せない」、というのか) 7.27
- 人だけが人を見ているゆうぐれの手信号 まだ滅んでいない
(北山あさひ『眠らない樹vol.2』2019、昨年9月、北海道胆振(いぶり)東部地震の大停電、交通信号がすべて消えた夕暮れ、人間が手信号で交通整理をしている、「人が人を見る信号」だが、街は「まだ滅んでいない」) 7.28
(香川ヒサ『眠らない樹vol.2』2019、昨年夏の「火星大接近」を詠んだのだろうか、「後ろ姿」というのがいい、目の前の街路を人が通り過ぎるように、火星もまた作者のすぐ前を通り過ぎた) 7.29
- ひつじ雲あわく千切れていくように家族はいつまで家族だろうか
(天道なお『眠らない樹vol.2』2019、「幸福な家族」というものはたしかにある、だがトルストイも言うように、それは非常に漠然としたものだ、本歌の「ひつじ雲があわく千切れてゆく」ように、幸福な家族の存在時間は短い) 7.30
(佐藤りえ『眠らない樹vol.2』2019、より優遇される立場になるために、スタンプをたくさん集める必要がある、それは分る、でもどんな場合の話なのかは読み手が想像するしかない、作者1971~は若者というわけでもない) 7.31