『アルトゥロ・ウイの興隆』

[演劇] 6.25 ベルリナー・アンサンブル『アルトゥロ・ウイの興隆』 新国立・中


ブレヒトの原作を、ハイナー・ミュラーが改変・演出。素晴らしい傑作だ。ドイツの名優マルティン・ヴトケが凄い。というより、彼がヒトラーを演じなければ、こうはいかなかったろう。さえないシカゴのギャングが、巧みな戦略と恫喝で市政を乗っ取るという物語によって、ナチスの活動が生き生きと描かれる。徹底した喜劇だが、ヒトラーに擬したウイの身体表現によって、他の人物、音楽、歌、装置を含む舞台全体が「生き物」のように躍動する。


まず幕開け、ウイが上半身裸で「犬」に成り切って這いずり回る。音楽がシューベルト「魔王」というのが凄い。前衛的でモダンな何もない空間、犬になったヒトラーシューベルトの音楽。この三つの組み合わせが戦慄的だ。いかにも神経質で、とてつもなく不器用な動きしかできないウイの身体。歩き方、座り方、演説の仕方を俳優から教わるシーンが特によい。一生懸命「模倣」するぎこちない身体が、突然、躍動するように見える。たぶんこれが核心なのだ。ぎこちなさの中に一瞬だけ含まれる躍動。何か奇蹟のような衝撃感がある。実在のヒトラーの身体表現も、たぶん洗練されたものではなく、何か不器用さが伴ったのではないか。だが、なぜ「下手な演説」が大衆の心を掴んだのか? 見ていて、永井均の「ロボットが人間になる奇蹟」という言葉を思い出した。


「切れのよい」暴力を用いて恫喝する手法も、なるほどと思う。ウイ=ヒトラーの語り方は、一貫して不器用で幼稚であるにもかかわらず、驚くほど理知的で哲学的な科白が混じるのは衝撃的だ。ウイ以外の人物も、隠し味のようにハムレットの科白が埋め込まれていたりする。音楽に、二世紀前の民謡のような愛国的軍歌『よき戦友』が使われると同時に、冒頭のシューベルト、途中のモーツァルト、最後のタンホイザー序曲と、取り合わせの妙が印象的。なるほどベルリナー・アンサンブルの代表作だけのことはある。ヴトケの演技の細部を、前から4列目の席で見られたのは幸運だった。(舞台写真は↓)
http://www.nntt.jac.go.jp/season/s267/s267.html