[折々の言葉]  11、12月ぶん

[折々の言葉]  11、12月ぶん

 

崇高においては、感性的な無限が真の無限によって克服される。一方、美においては、有限は無限と根源的な形で融和されている。・・ある像が美としてあるための、その限定が少なければ少ないほど、それは崇高へ近づくが、だからといって美であることをやめはしない。(シェリング『芸術の哲学』) 11.3

 

すべて真の芸術作品とは、絶対的に必然的なものである。存在したり存在しなかったりするようなものは、芸術作品という名に値しない。(シェリング『芸術の哲学』) 6

 

イザベルが彼にホテルまで送ってもらいたくないと思ったのは、独立心に富むアメリカ娘であるだけに、過度に人の世話になるのは自分のためにならない気がして、結局、今の数時間を自分一人で過ごそうと考えた。しかも彼女は元来、孤独の時間が大好きだったのだ。(H.ジェイムズ『ある夫人の肖像』) 10

 

イザベル、あなたは、人間はロマンチックな物の見方をすれば、面倒な義務から逃れられると思っている。それは大きな幻想よ。・・この世では誰もまったく喜ばせられないような、自分をも喜ばせられないような場合がよくあることを心得ていなくてはいけないわ。(H.ジェイムズ『ある夫人の肖像』) 13

 

私が、<美貌>という強力で有利な特質をどれほど尊重するかは、何度言っても言い足りない。・・我々のもっているもので、これほど人を信用させるものはない。それは、人間の交際で第一位を占め、我々の判断を強大な権威と強烈な印象で引き付ける。(モンテーニュ『エセー』) 17

 

小さな悲しみは口に出せるが、大きな悲しみは口をつぐむ。(セネカ『ヒュッポリュトス』) 20

 

泣くのは、些細なこと / 嘆くのは、一時のこと、でも / その遣り取りで一杯になって /私たちは死ぬのね、男も女も。(エミリ・ディキンソン) 24

 

ストア学派からエピクロス学派に移る者はたくさんいるが、その逆は決してない。・・快楽好きphiledonoiと呼ばれている人たちは、実は、美や正義を愛する人たちphilokaroi、philodikaioiであり、あらゆる徳を養い行う人たちである。(モンテーニュ『エセー』) 27

 

ウィルとドロシアは2メートルほど離れて座り、その場に咲き出た二つの花のように、顔を見合わせていた。・・彼は言いようもなく満ちたりた気持ちだった。愛がその対象となる人の完璧さに満足できる時、それは我々人間に許された神聖な瞬間である。(ジョージ・エリオット『ミドル・マーチ』) 12.1

 

相手が初めて逢った[素晴らしい]人であれば、人はずいぶん多くのことを始めることができる。まず自分がよりよい人になり始めることさえできるのである。(ジョージ・エリオット『ミドル・マーチ』) 4

 

誰もが、理性的な魂であるよりも先に、美しい魂であることを欲し、正しいといわれるよりも、高貴であるといわれることを欲している。道徳論などはいずれ趣味という一般的な概念に還元され、悪徳は、ただわずかにいかがわしい劣悪な趣味ということになるだろう。(シェリング『自由論』) 8

 

[ラルフはイザベルに言った]貴女には思考力が、とくに良心がありすぎるのです。いけないと考えることが多すぎて理不尽です。時計の針を戻すのです。情熱を加減するのです。翼を広げて地面からさっと舞い上がるのです。それは決していけなくはありません。(H.ジェイムズ『ある婦人の肖像』) 11

 

命令する権利は、美しい人々に属する。また、美しさが神々の姿に近い者がいれば、神々のごとく崇拝されてしかるべきだ。(アリストテレス政治学』) 15

 

愛は、それぞれがそれだけで存在しうるようにみえるけれど、実際にはそうではなく、他者がなければ存在しえないもの、そういうもの同士を結びつける。これが愛の秘密である。(シェリング『自由論』) 18

 

私たち老人は、子どものようなもの、甘やかされるのが大好きなんだよ。(ゴルドーニ『抜目のない未亡人』) 22

 

イザベルにはいつもいろいろな決意をする癖があった。それらの決意は、内容はさまざまだが、要約すると、「もし私が不幸になるにしても、それは自分自身の過ちによるものであってはならない」というもので、彼女の自由な精神は、つねに最善を尽くしたいと願っていた。(H.ジェイムズ『ある婦人の肖像』) 25

 

7年の間、私たちは愛し合った。恋人同士のように、母と子のように、夫と妻のように、友達のように、愛した。私は彼女にとってそれらすべてであり、彼女も私にとってそれらすべてだった。・・私たちは色々な役割を楽しんだが、自分を見失うことはなかった。(ジャネット・ウィンターソン『詩としてのセックス』) 29