[映画] 松元ヒロ『テレビで会えない芸人』

[映画] 『テレビで会えない芸人』 ポレポレ東中野 2月22日

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私はこの50年間TVをほとんど見ていないので、松元ヒロというお笑い芸人を知らなかった。しかし彼は、1985年に「お笑いスター誕生」でダウンタウンをおさえて優勝、「笑パーティー」「ザ・ニュースペーパー」などで、社会風刺・政治風刺ネタを語る大笑い番組はTVで人気だったという。しかし、ある時期からTV出演はやめ、劇場や公民館などで一人語りをする形式にしたという。TVに出ない理由は、「TVでは自由にものが言えないから」、つまり検閲が入ったのだろう。この映画を作った鹿児島テレビ放送の報道制作局長など幹部は、松元がTVに出られない理由をこう語る、「今のテレビは気楽に見られるものの方が好まれる」「やっぱり際どいネタを扱っているからでしょう」「社会の“空気”なんですかね」「クレームとかトラブルとか・・まあ予防線は張っておきたいと」等々。私はTV番組などの検閲は、安倍内閣になってから安倍や菅が推進したものと思っていたが、実はもっと前から行われていたわけだ。TV局の「自主規制」という形式をとって、政治批判ネタは排除される。芸能人が政権批判の発言をすると芸能事務所から圧力がかかるのも同じだ。しかしこれはいつ頃からなのだろう。

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松元ヒロを見て、私はシェイクスピア劇にたくさん登場する「道化」を思い出した。道化は、王を笑わせ、慰めることを期待されているが、同時に、鋭く王や政治を批判することも許されている。それは、「笑い」だからこその批判、いや、笑いはそもそも批評性を持っているから、笑いと政治批判は結びつくのだ。これは、政治風刺という文化としてヨーロッパ近代社会に継承された。現代ではフランスが政治風刺が一番強いだろうか。しかし、日本では、政治風刺という文化そのものが弱いのではないか。鎌倉幕府成立以来、「お上」を笑いの対象にすることは禁止され、明治維新以降も現代までそれは続いているのではないか。

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松元ヒロは、この20年間「憲法くん」という8分間のコントも語り続けており、それを含めて彼の政治風刺は、井上ひさし永六輔立川談志などに高く評価されてきたという。この映画を見て一番印象的だったのは、松元が風刺ネタを仕入れるために凄く勉強し努力している姿である。彼の131冊目になる「ギャグノート」には、政治風刺のネタがたくさん書き込まれ、しかも新鮮な時事ネタにするために、公演直前には絶えず書き換えている。シェイクスピアで「道化は結局、一番賢い人なのだ」と言われていたように、新鮮な語りをたえず生み出すことは、学者が論文を書くような創造的な仕事なのだ。永六輔は最晩年に、ラジオ番組の中で「憲法9条をよろしく」と松元に個人的にメッセージを送り、また松元が行く床屋には永六輔の「生きているということは誰かに借りをつくること、生きてゆくということはその借りを返してゆくこと」という言葉が額に掲げられている。言葉の芸人松元がもっとも大切にしている言葉なのだ。この映画では、松元自身がそのように生きている/いきてゆく姿が描かれている。彼の笑顔がとてもいい!

 

紹介動画がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=d-kK-EWTMUY

[オペラ] マシュー・オーコイン《エウリディーチェ》 Metライブ

[オペラ] マシュー・オーコイン《エウリディーチェ》 Metライブ Movixさいたま 2月18日

(写真↓は舞台、上はオルフェウスとエウリディーチェの結婚式の、海辺のダンス、下は、死んで冥界に降りてきたエウリディーチェ、エレベーターで降りてくるのがいい)

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アメリカの現在31歳の作曲家が創り、初演は2020年、すばらしいオペラだ。オペラという表現様式を全開にしている。歌が多様性に富んでおり、例えば「冥界の王ハデス」(バリー・ハンクス=テノール)はベルカント唱法で朗々と歌う。またオルフェウス(ジョシュア・ホプキンス=バリトン)にはカウンターテナーの分身(ヤクブ・オルリンスキー)がいて、二人の唱和がとても美しい。オルリンスキーは、オペラ歌手でブレイクダンスができる唯一の人らしく、曲芸のように軽快な空中回転をしたりする。天使のように羽の生えた分身にふさわしい身体表現だ。そしてエウリディーチェを歌ったエリン・モーリー(ソプラノ)は、《カルメル会修道女》のコンスタンスを歌った人だった。(写真↓は、冥界の王ハデスとエウリディーチェ、その下のエレベーター内は、オルフェウスと分身、エウリディーチェの奥にいるのは父)

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ハデスのベルカント唱法で気づいたのだが、現代オペラは実は調性的で、調性と無調を対立的に捉えるのは間違いだと思う。柿沼敏江『<無調>の誕生』によれば、「十二音技法には全部の調性が含まれており」、<無調>が単独で存在して<調性>と対立するわけではないのだ。また本作は、物語を、原作から(私の参照はオヴィディウス『変身物語』)大きく描き換えている。原作にはまったくない「エウリディーチェの父」が出てくる(↓)。まぁ冥界だから、先に死んだ父がいてもいいわけだが、エウリディーチェはオルフェウスと父の両方を愛している。そして、オルフェウスは、音楽のアレゴリーだから、音楽とエウリディーチェの両方を愛している(彼はエウリディーチェよりも分身をより愛しているようにみえる)。二人が結婚する頃、エウリディーチェが「貴方は、私のことよりも、音楽のことばかり考えてる」と歌ったのは面白い。そして結局、冥界から抜け出る途中の道でオルフェウスが後ろを振り返り、それによってエウリディーチェが冥界に戻されるのは、冥界にいる父との愛が強かったからだ、という解釈。私が最も感動したシーンは、冥界に残された父が、エウリディーチェがイリノイ州の自宅に帰れるように道案内する歌で、オケの音楽は讃美歌のように聞こえた。

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ロサンゼルスの初演ですが、3分の動画が。

https://www.youtube.com/watch?v=IUlaVTPxlso

[今日の絵] 2月前半

[今日の絵] 2月前半

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1 Velazquez : A Young Lady, 1635

人物画の中でも、少女や少年はとりわけ美しく、どの画家も描いている主題といえる、今月は少年と少女の画のみを見比べてみたい、まずベラスケス、名門の家柄の令嬢だと思われるが、彼女が「お嬢様」であることが、完璧に描き尽くされている

 

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2 Rubens : Portrait of a Young Woman, 1635

日本では安井曾太郎のデッサン力が有名だが、ルーベンスのデッサンも卓越しており、画学生がよく模写をするという。線で形を表現し、黒く塗る部分の薄さ濃さと空白で面を表現する、その両者の組み合わせで立体感を造形、この少女の気品が見事に伝わってくる

 

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3 Degas : The Savoy Girl, 1873

見た瞬間には視線ゆえにやや「きつい」表情にも見えるが、顔を見詰めているうちに、静かに微笑んでいる顔のようにも見える、サヴォアとはフランス東部でスイスのレマン湖に接する地方、少し日焼けした顔と服装から、日光の強い山岳地方の娘らしい雰囲気が伝わる

 

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4 Boldini : Girl with Black Cat, 1885

黒猫を抱えている少女にも、抱えられている黒猫にも動性があり、動画の中の一瞬を切り取ったような趣がある、絵の左上から右下へ向かって、頭部の茶髪、首に巻いた灰色の布、黒猫、首の白い部分へと、大きく横切る線的な構図と、背景の赤を含めた色の調和が絶妙

 

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5 Morisot : Young Girl and the Budgie, 1888

ベルト・モリゾ(1841~95)はマネの義妹で、自分も画家、家族や少女の絵をたくさん描いた、この絵は、セキセイインコが輝くように浮かび出ており、見詰める少女の表情がいい、「さあ、この手にお乗り」と呼びかけているのか

 

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6 Renoir : Seated Young Woman, 1890

この絵は、指先など未完成に見えるが、右上に署名がある、顔がくっきりと浮かび上がっており、何よりもルノアールでなければ描けない美しさ、そして気品が感じられる

 

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7 Benson : Katharine Gray Dodge, 1910

ベンソンには三人の娘がいたが、キャサリン・グレイ・ドッジは娘たちのシッターらしい、しっかり者という感じだが、ベンソン家では家族のように愛されていたのだろう、スカートの広がり、手に持つ花など、よい構図だが、簡略な背景はベンソンの他の絵と違う

 

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8 Gustav Klimt : Mäda Primavesi (1903–20), 1913

タイトルは17歳で死んだ少女の名前らしい、彼女の10歳の姿が描かれている、足元に敷いてあるのは動物園の地図だろうか、足の広げ方や、リボンや服装を含めて、全体に子どもっぽいが、端正な顔をもつ美少女だ

 

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9 Makovsky : Girl dressed as Flora, 1915

コンスタンチン・マコフスキ(1839~1915)はロシアの画家、タイトルは「花の女神フローラに扮した少女」という意味だろう、どちらかといえばフランスの新古典主義に近い画風か

 

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10 Modigliani : Young Girl Seated, 1918

モディリアーニは、カフェで臨席した客の似顔絵を描き、それを売りつけていたとも言われる、この絵がそうかどうかは分らないが、こんなに素敵に描いてもらったら、買いたくなるのではないか、モディリアーニの女性画には彼しか描けない美しさがある

 

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11 Belsky : Girl, 1920

ニコライ・ベルスキー(1868~1945)はロシアの画家、農村の子供たち、学校などを生き生きと描いた、この絵は、都会のひ弱な少女ではなく、農村の元気で逞しい女の子、強い目をしているリーダー格の少女かもしれない

 

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12 Serebriakova : 野菜とタタ 1923

ジナイーダ・セレブリャコワ(1884~1967)はロシアの画家、家族をたくさん描いた、4人の子供がいたから、タタはたぶん13歳の長女だろう、顔も母に似ている、ロシア革命後の生活苦で1924年にパリに移住、その1年前、食材も決して豪華ではないが、とても生き生きしている

 

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13 Grethe Jürgens, Blumenmädchen, 1931.

グレーテ・ユルゲンス(1899~1981)は新即物主義に属するドイツの女性画家、ベルリン工科大学で建築を学び、広告などのイラストも描いた、この絵は「花を持つ少女」だが、少女は花栽培に携っているのか、それとも花売り娘か、いずれにせよ花は彼女の仕事という顔をしている

 

[演劇] オスカー・ワイルド『理想の夫』

[演劇] オスカー・ワイルド『理想の夫』 新国立劇場演劇研修所・15期生終了公演 2月5日

(写真上は、チルターン卿とその妻ガートルード、下は、ゴーリング子爵とチルターン卿の妹メイベル、俳優は頑張ったけれど、なかなか「貴族の雰囲気」を出すのは難しい、映画版『理想の結婚』1999では、ガートルード=ケイト・ブランシェット、ゴーリング卿=ルバート・エヴェレットで、いかにも貴族らしかった)

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そもそも、ワイルドの『理想の夫』は、傑出した作品だと思う。ラヴ・コメディなのだが、悲劇と紙一重の非常に「重い」ラブ・コメなのだ。今、外務次官であるチルターン卿は、22歳のとき、スエズ運河に関する公文書から機密情報を知り、それをある政治家に漏らすことによって、運河の株で大儲けをして、それが彼の政治的出世の端緒になった。その秘密は18年間守られてきたが、彼が秘密を洩らした政治家の愛人だったチェブリー夫人が、その秘密を知り、チルターン卿を恫喝する、というのが物語の骨子。チェブリー夫人(末永佳央里)が、今回はもっとも貴族らしく見えたというのは皮肉。(写真左↓)

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本作では、チルターン卿とゴーリング卿の深い友情も主題の一つで、第2幕冒頭で、ゴーリングに「誘惑に対する弱さ」を指摘されたチルタターンはこう反駁する、「いや、僕は弱くはない。誘惑には負けるために力と勇気を要するものがある。たった一瞬のために自分の全生涯を賭ける、その賭けにはとても勇気がいるんだ」。『理想の夫』には素晴らしい科白が溢れているが、これがたぶん最高の科白。だから、ラブコメといっても悲劇と紙一重なのだ。そもそも『理想の夫』は、ワイルド自身のト書きがキツイ。ゴーリング卿については「上品な顔で、感情をほとんど顔に出さない。彼は切れる頭脳をもっているが、他人にはそう思われたがらない。一部の隙もないしゃれ者である。もし人からロマンティックな人間だと思われたら、おそらく気を悪くするだろう。人生をもて遊んでいるが、世間との折合は至極よい」。ガートルードについては「端正なギリシア風の美人、27歳くらい」。チルターン卿については「40歳、だが年よりはいくらか若く見える。・・彼の物腰には一点非の打ちどころもない気品がある。きりりと引き締まった口と顎は、奥深い目にひそむロマンティックな表情と著しい対照をなしている。・・ヴァンダイクなら、好んで彼の頭を描いたことだろう」等々。どうだろう、とても難しいキャラではないか。この役を完全に演じられれば十分に貴族に見えるだろうが、でも15期の研修生たちはよくやったと思う。

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[今日の絵] 1月後半

[今日の絵] 1月後半

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21 da Vinci : レダと白鳥(模写)

原画は失われたが多くの模写が残存、白鳥に化けたゼウスがスパルタ王妃レダと交わったという主題を最初に絵にしたのがダ・ヴィンチ、以降、現代のフェミニズム絵画まで多くこの主題が描かれた、左下は生まれた子、レダの腰から足へ白鳥の羽が平行し、曲線の絡みが面白い この女性、顔がモナリザに似ていない?

 

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22 Michelangelo : レダと白鳥(模写) 原作1530

ミケランジェロの場合は、ソファーにもたれたレダに白鳥(ゼウス)が口づけしようとしている、「レダと白鳥」を多くの画家が描くのは、美しい鳥である白鳥と美しい人間の女性を絡ませるという構図の魅力か、レダの腰と足、白鳥の羽と首、それぞれの曲線が並行し、かつ絡む

 

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23 Correggio : レダと白鳥(模写)1531

アントニオ・コレッジョ(1489~1534)の「レダと白鳥」は、中央がレダと白鳥(ゼウス)の交わり、右端が両者の出逢い、その中間は交わりが終って飛び去る白鳥を見送るレダ、と時間差で三場面が描かれている、中央の曲線の絡みが美しい、左は楽器を奏でるキューピッドたち

 

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24 Boucher : レダと白鳥1742

フランソワ・ブーシェ(1703~1770)はフランスのロココを代表する画家、ルイ15世付き筆頭画家、ブーシェらしい優美な絵だが、もう一人の女性は誰だろう、ひょっとしてレダと白鳥(ゼウス)の間に生まれたヘレナなのか(ダヴィンチでも生まれた子供が一緒に描かれていた)、ネットを見た限りでは分らなかった

 

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25 Cézanne : レダと白鳥1882

セザンヌの場合、レダは神話的ではなく、いかにも普通の女性で、ベッドも質素、自分の掌を白鳥に甘噛みさせて、ペットと戯れているような感じがいい、白鳥がゼウスだと彼女は分かっているのだろうか、「レダと白鳥」は、ダ・ヴィンチミケランジェロ以来たくさん描かれてきたが、レダを受動的ではない自由な女、媚びない女として描いた点で、これが一番の名画だと思う

 

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26 Boldini : レダと白鳥

ボルディーニ(1842~1931)らしく身体に動性があり、文字通り「交わり」の場面、レダはイク寸前のようだし、太ももを押さえる白鳥の足や嘴での愛撫など、なかなかにエロい、線を明確に描かず全体をぼかしたのは、交わりの生々しさを押さえるためか

 

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27 イエジー・ヒュレヴィッチ : レダと白鳥1928

ヒュレヴィッチ(1886~1941)はポーランドの画家、この絵では、レダも白鳥も曲線がまったくなく、すべて直線で描かれている、木の板の散乱する屋根裏部屋だろうか、レダとゼウスの交わりの場所としては奇妙だが、全体の直線的・幾何学的構成がとても美しい

 

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28 : ヴァルデマー・アレクソン : レダと白鳥 2021

アレクソンは現代アメリカの男性画家、この絵には#MeTooとあるから、レダは「私もされた!」と怒っている、しかしレダは、襲ってくる白鳥(ゼウス)の首を、輪に締め上げて逆襲、好色なゼウスの無残な敗北

 

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29 Bazille :自画像 1866

フレデリック・バジール(1841~70)はフランス印象派の画家、普仏戦争に志願し28歳で戦死、代表作『家族の集い』は既に紹介したが、これは自画像、画家の自画像はどれも眼が命で、これもしかり

 

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30 Gogh自画像1888

ゴッホは3年半のうちに37点の自画像を描いた、描こうとする対象を見詰めるゴッホの眼差し、多くの画家の自画像の眼差しには「きつい」ものが感じられるが、このゴッホの眼差しは、凝視ではあるけれど、どこか優しい

 

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31 Martiros Saryan : 自画像 1942

マトリオス・サリャン(1880~1972)はアルメニアの画家、絵はゴーギャンマティスの影響を受けたといわれる、この自画像も、左と右の背景の縦縞やパレットの絵具の広がりが、ややマティス的か、眼は鋭く対象を見詰め、手に持つ筆は対象の大きさを目測した直後だろう