[オペラ] マシュー・オーコイン《エウリディーチェ》 Metライブ

[オペラ] マシュー・オーコイン《エウリディーチェ》 Metライブ Movixさいたま 2月18日

(写真↓は舞台、上はオルフェウスとエウリディーチェの結婚式の、海辺のダンス、下は、死んで冥界に降りてきたエウリディーチェ、エレベーターで降りてくるのがいい)

f:id:charis:20220219075727p:plain

f:id:charis:20200127191401j:plain

アメリカの現在31歳の作曲家が創り、初演は2020年、すばらしいオペラだ。オペラという表現様式を全開にしている。歌が多様性に富んでおり、例えば「冥界の王ハデス」(バリー・ハンクス=テノール)はベルカント唱法で朗々と歌う。またオルフェウス(ジョシュア・ホプキンス=バリトン)にはカウンターテナーの分身(ヤクブ・オルリンスキー)がいて、二人の唱和がとても美しい。オルリンスキーは、オペラ歌手でブレイクダンスができる唯一の人らしく、曲芸のように軽快な空中回転をしたりする。天使のように羽の生えた分身にふさわしい身体表現だ。そしてエウリディーチェを歌ったエリン・モーリー(ソプラノ)は、《カルメル会修道女》のコンスタンスを歌った人だった。(写真↓は、冥界の王ハデスとエウリディーチェ、その下のエレベーター内は、オルフェウスと分身、エウリディーチェの奥にいるのは父)

f:id:charis:20220219075831j:plain

f:id:charis:20211121225643j:plain
ハデスのベルカント唱法で気づいたのだが、現代オペラは実は調性的で、調性と無調を対立的に捉えるのは間違いだと思う。柿沼敏江『<無調>の誕生』によれば、「十二音技法には全部の調性が含まれており」、<無調>が単独で存在して<調性>と対立するわけではないのだ。また本作は、物語を、原作から(私の参照はオヴィディウス『変身物語』)大きく描き換えている。原作にはまったくない「エウリディーチェの父」が出てくる(↓)。まぁ冥界だから、先に死んだ父がいてもいいわけだが、エウリディーチェはオルフェウスと父の両方を愛している。そして、オルフェウスは、音楽のアレゴリーだから、音楽とエウリディーチェの両方を愛している(彼はエウリディーチェよりも分身をより愛しているようにみえる)。二人が結婚する頃、エウリディーチェが「貴方は、私のことよりも、音楽のことばかり考えてる」と歌ったのは面白い。そして結局、冥界から抜け出る途中の道でオルフェウスが後ろを振り返り、それによってエウリディーチェが冥界に戻されるのは、冥界にいる父との愛が強かったからだ、という解釈。私が最も感動したシーンは、冥界に残された父が、エウリディーチェがイリノイ州の自宅に帰れるように道案内する歌で、オケの音楽は讃美歌のように聞こえた。

f:id:charis:20211122115714j:plain

f:id:charis:20220219080151j:plain


ロサンゼルスの初演ですが、3分の動画が。

https://www.youtube.com/watch?v=IUlaVTPxlso