[演劇] 矢代静一『七本の色鉛筆』

[演劇] 矢代静一『七本の色鉛筆』 新国立劇場小H  10月22日

(写真は舞台、大学教授の一家で、母が亡くなり、七人の娘がそれぞれ自立してゆく物語)

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矢代静一(1927~98)作、民藝の田中麻衣子演出、新国の演劇研究所第15期生試演会。

家族愛を描いているが、どこか謎めいた不思議な家族だ。演出の田中が、「この作品には、なんだか正体のわからないものが数多く潜んでいる」と言っているが、戯曲を読み解くのが難しい作品なのだろう。しかしよく考えてみると、やはりチェホフの描く家族と似ている。それは、家族のそれぞれがみな違った方向を向いていて、誰もが基本的には自分のことしか考えていないからだ。この家族は、一人一人の「幸福観」や「人生観」が大きく違っているが、そのことをお互いに分った上で、互いの価値観を尊重し合っている。だから、リベラルな「よい家族」ともいえるが、誰もが自分が傷つかないように、互いに適度な距離を取っているようにも見える。特に、大蔵官僚のエリートと結婚した四女まりは、かなりの自己中だが、その滑稽さには憎めないところがある。初演が1973年で、私自身は22歳だったが、当時のことを考えてみても、このようなリベラルな家族は日本にあまり存在しなかったように思う。(写真は、娘の一人の結婚式だが、左端の末娘は修道女になるために家を出てゆく)

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終戦直前、一家の家庭教師だった大学生が学徒動員の出征の直前、娘たちの母を密かに恋していた彼はそれを告白し、母は断り切れず男女関係になってしまう。その一回の関係で六女と七女の双子の末娘たちが生まれる。そして大学生は死なずに生還し、20年後に末娘の一人と偶然会い、あまりに母に似ているために、二人は恋仲になってしまう。もし彼女が彼と結婚すれば、彼は彼女の父であると同時に夫であることになる。終幕で彼女は、彼との結婚直前に、交通事故で死ぬから、結婚は実現しないが、この女オイディプスの物語は、絶対ありえないこととは思われない。そして、母の一回の男女関係も、その後母はそれを「罪」として悔いているわけでもなく、天国で彼女は、「実は私、夫以外の男性に一度は抱かれてみたかったのよ」と告白するのがいい。(写真↓は、その大学生と母、この母と六女の文代を一人二役で演じた末永佳央里は、とても瑞々しい)

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私が違和感を感じたのは、8年後修道院から戻ってきた七女の巴絵を、父が「私はお前を神様にさしあげたのだ、戻ってくるな」と拒絶するシーンである。これはありうるのだろうか? 矢代静一は熱心なクリスチャンだったそうだが、彼はありうると考えているのだろう。このように、仲のよい家族といえども、それぞれの幸福観や価値観は深いレベルでは大きく違っているというのが、この作品の主題なのだと思う。(写真↓は、修道女になった七女からの手紙を読む家族と、下は、全体を語り部として解説する次女の菊[左端])

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