[演劇] チェホフ『三人姉妹』 自由劇場

[演劇] チェホフ『三人姉妹』 9月23日  浜松町・自由劇場

(写真↓は終幕、左からイリーナ[平体まひろ]、オーリガ[保坂知寿]、マーシャ[霧矢大夢]、保坂は劇団四季、霧矢は宝塚出身で、ともにスラリとした姿勢の立ち居振舞いが美しく、軽くワルツを踊る姿もうっとりするほど美しい、右端のチェブトゥイキン[ラサール石井]も名演)

演劇ユニットunrato企画、大河内直子演出。原作通り、リアリズム寄りのオーソドックスな演出だが、非常に優れた舞台だった。広田敦郎がC.ガーネットの古い英訳から日本語台本を作り、セリフの切れがとてもよい。今回気付いたのだが、登場人物たちには、相手の心情への<無関心>が支配しているが、誰もがかすかな<冷たい敵意>のようなものを抱えていて、実は棘を含んでいるようなセリフが多い。それが舞台からよく分る。その結果、人物造形がとても深まったように思う。例えば、マーシャとイリーナは二人ともメランコリックである点でよく似ており、クルイギンはイリーナに「君はとってもいい娘(こ)だ。マーシャに似ていて、同じようにもの思いにふけるタイプだ。ただ、君の方がもう少しやさしい性質(たち)かな、イリーナ」(第4幕)と実際に言うし、戯曲には二箇所でイリーナについて「メランコリックに」とト書きされている。二人とも「夢見る乙女」タイプのお嬢様なので、イリーナが姉のオーリガから「女が結婚するのは愛じゃない、そうするのが義務だからよ」(第3幕)と、トゥーゼンバッハと結婚するよう諭され、彼女がそう決意したのは、大変なことだった。イリーナは彼を尊敬はしているが愛はまったくないのだから。(下は↓、オーリガ、イリーナ、マーシャ。マーシャが一番の文学少女だが、三人とも英独仏の三か国語(イリーナは+伊語も)ができる知的で教養ある女性、やはり三人姉妹は上流階級の娘たちなのだ)

音楽の使い方もうまく、この上演は全体がとてもスタイリッシュで美しい。トルストイは「チェホフ劇には本物の農民がでてこない」と批判したが、実際チェホフ自身が根っからのシティ・ボーイで、チェホフ劇はどれもが基本、知性と教養ゆたかな上流階級の人々の物語なのだ。(写真↓は、若い軍人二人と、プレゼントされた独楽を回すイリーナ、見守る二人の姉ほか人々[第2幕])

あと、老医師チェブトゥイキン(ラサール石田)が非常によかった。彼が繰り返し口にする「ま、どうでもいいけどね」という言葉は、実は他の登場人物も口にする科白で、互いの<無関心性>という『三人姉妹』の基調低音のようなものだ。そして、今回非常によく分ったのは、結局兄嫁のナターシャだけが希望をすべて実現した「勝ち組」で、他の残りすべての人々にとっては「喪失」の物語なのだ。たとえ上流階級の人々でも、誰もがそれぞれに異なる<生きにくさ>を抱え込んでいるのに、他者の<生きにくさ>については、互いに無関心で共感も同情もあまりない。しかしだからこそ、どこまでも孤独な彼女たちの、「私たち生きていかなければ、さあ生きていきましょう!」という言葉に、我々は深く励まされるのだと思う。(写真は冷たい敵意を互いにもつオーリガとナターシャ、右端ではおろおろとアンドレイが見守っている[第2幕])

練習風景だが2分間の映像、俳優の身体性がよく分る

unrato#10『三人姉妹』トレーラー① - YouTube