[オペラ] B.ジネール《シャルリー ― ~茶色の朝》

[オペラ] B.ジネール《シャルリー ― ~茶色の朝》 神奈川県立音楽堂 10月31日

(写真は舞台↓、1人の歌手と5人の室内楽という構成だが、表現の力は十分)

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2002年にフランスで極右のルペンが大統領選に躍進したことに危機感を覚えた作曲家ジネールが、少し前に書かれたフランク・パブロフの小説『茶色の朝 Matin brun』をそのままオペラ化して《シャルリーCharlie》という人の名前のタイトルにした。45分くらいの小品だが、今回の日本初演では、前半に室内楽[=アンサンブルK]がクルト・ヴァイルなどの小曲を7つ演奏する部分(40分弱)と組み合わせて上演された。「茶色」はナチスの突撃隊の征服の褐色を暗示している。ファシズムは静かにやってくる、というのが『茶色の朝』の主題。茶色以外の犬を飼うことを国家が禁止するという何気ない小事から、やがては茶色=一定の政治的・思想的立場以外はすべて禁止される。国民が油断しているうちにナチスがドイツで政権掌握する過程を、小さな舞台の静かな物語で再現しているわけだ。最初は白い服を着ていた主人公の女性も、途中から茶色の服に変えたのに、過去の思想が茶色以外だったと判断されて、最後は逮捕される↓。主人公は、パブロフの原作では男性だが、オペラでは女性に変えた。これが適切だったというトークセッションでの高橋哲哉氏の発言は鋭い。ファシズムは、まずは兵士より先に「銃後の女たち」を捉えるからだ。

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このような政治劇であるにもかかわらず、音楽が美しいのに驚いた。現代音楽なのだが、ファシズムや暴力は、ときどき鳴る不協和な音で暗示されていて、歌と全体の音楽の流れはとても美しい。前半に演奏された小曲も、すべて第一次大戦から第二次大戦にかけてユダヤ系作曲家によって作曲されたものだが、その旋律は極めて美しい。特にパリからさらにアメリカに逃れたばかりのクルト・ヴァイルが作曲した「ユーカリ」は、現代音楽のシャンソンだが比類なく美しい。そして同時に演奏された《三文オペラ》の一部が、こんなに美しい曲だとは初めて知った。極右の台頭に警鐘を鳴らすオペラで、芸術的にも非常な成功作なのだが、その夜に総選挙で「維新」が躍進したのは本当に残念。写真↓は前半部。

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[今日の絵] 10月後半

[今日の絵] 10月後半

 

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20 Holbein : Portrait of Thomas Cromwell, 1533

トマス・クロムウェル1485~1540は、ヘンリー8世の側近で副首相などを務めた政治家、ピューリタン革命のオリヴァー・クロムウェル1599~1659とは別人、強い表情、書類を握りしめる手など、権力の側にある人物がみごとに描けている

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21 Rubens : スペイン王カルロス5世と王妃イザベラ1628

ティツィアーノが100年近く前に描いた絵を、ルーベンスが模写した、神聖ローマ皇帝を兼ねる夫がヨーロッパ中を回っている間、知性と美貌で知られる妻は摂政を勤めた、若くして妻は死んだが、死後に夫は、一度も妻を見たことのないティツィアーノに妻を描かせた

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22 Hals : ヤスパー・シャーデの肖像 1645

シャーデ(1623~1692)は、ユトレヒト裁判所長官などを勤めた貴族、この絵では若干22歳、やや神経質そうだが風格ある美しい貴公子、リボンのついた黒いフェルト帽など、おしゃれだったのか、デカルトの肖像もそうだが、ハルスの肖像画には「いかにもその人らしさ」がある

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23 Degas : ウジェーヌ・マネの肖像(習作) 1875

ウジェーヌ・マネ(1833~92)は、エドゥアール・マネの弟で、女性画家ベルト・モリゾの夫。自分も画家で、よく兄や妻の絵のモデルになっているが、彼自身の画家としての評価は高くない、この絵は友人のドガが描いた習作だが、ウジェーヌは神経質で気難しい人だったのか

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24 Manet : Portrait of Georges Clemenceau, 1879

クレマンソー(1841~1929)はフランス首相を二度務めた政治家、マネとは友人だったが、この絵について、「マネの描いた私の肖像画だって? 全然よくない、自分の所有ではないから気にならないが、どうしてルーヴル美術館にあるのか、聞いてみたいものだ」と言った

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25 Boldini : Portrait of Guiseppe Verdi (1813-1901), 1886

イタリア人のボルディーニ(1842~1931)は1872年からパリ在住、パリでヴェルディの弟子の指揮者ムツィオと知り合い、彼を介して、ちょうどパリに来ていたヴェルディの肖像を二度描いた、最初1886年3月の絵は二人とも気に入らなかったが、4月に描き直したこの絵は二人とも大満足とか

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26 Renoir : Portrait of Stephane Mallarme, 1892

1892年、リュクサンブール美術館の展示依頼に応えた5点の油彩画の一つ、この展示依頼にはマラルメも助力した、マラルメ(1842~98)は、マネなどサロンで落選した画家たちを支持し、批評を書き、励ましてきた詩人、ルノアール(1841~1919)とはほぼ同い年の友人だ

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27 高橋由一 : 小幡耳休之肖像1872

日本人洋画家による肖像画としては、最も初期のもの、「小幡耳休君寿齢八十」と由一の裏書き、モデルは有名人ではないだろう、老人らしい口元だが、視線は鋭い、明暗表現による立体感など、絵具もまだ不自由する頃で、傑出した肖像画といえる

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28 黒田清輝 : 東久世伯肖像 1894

前年フランスから帰国した黒田(28歳)が描いた本格的な肖像画、モデルは貴族院副議長を務めた伯爵東久世通禧、大礼服姿の伯爵は新聞を片手に腕を組み遠くを見ており、風格を感じさせる、モデルを長時間立たせるわけにいかないので一気に描かれたという

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29 浅井忠 : 中沢岩太博士像 1903

風景画を多く描いた浅井は、人物画をあまり得意としなかったが、これは数少ない肖像画、モデルは京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)の初代校長、浅井はパリで中沢と意気投合し、帰国後、東京美術学校教授を辞任して京都高等工芸学校に移った、中沢は骨のある人物なのだろう

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30 岸田劉生 : バーナード・リーチ像 1913

陶芸家のリーチは1909年に来日し、エッチングなどを教えた、柳宗悦志賀直哉、里見弴などとも親交があった人、この絵では26歳、岸田は22歳、セザンヌの影響を感じさせる絵

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31 中村彜 : 田中館愛橘博士像 1916

中村は、物理学者の田中舘の東京帝大在職25年記念の肖像画を頼まれた、田中館はじっとしていない人で、研究室にもしじゅう誰かが訪れる、中村には不満の作だったが、第十回文展で特選を得た、ルノアールの影響があるが、人物の把握が深く、肖像画の傑作だ

 

今日のうた(126) 10月ぶん

今日のうた(126) 10月ぶん

 

秋刀魚食ふ五十五階の窓辺にて (高橋まさお『東京新聞俳壇』9月26日、小澤實選、「高層ビルの食堂で、旬の焼さんまを食べているのだろう。五十五階に意表をつかれた。はるかまで見えている」と選者評、高層ビルの窓辺では焼さんまの存在そのものが新鮮にみえる)  10.1

 

生きながら幻となる人の秋 (齋藤達也『朝日俳壇』9月26日、長谷川櫂選、「マスクをするとこんな感じがする、誰でも」と選者評、顔が半分見えないと、他人とは違う<その人>としてのアイデンティティが曖昧になるから、人間としての存在感が薄くなるのだろう) 10.2

 

コーヒーと動画はさみて向い合う子の暮らしぶりぽつぽつ知りぬ (藤本恵理子『朝日歌壇』9月26日、佐佐木幸綱選、「オンライン映像ではじめてわが子の部屋を見たのだろう。どことなくユーモラスな味わいが嬉しい」と選者評、私もオンライン映像で初めて知人友人の自室を覗き見た)  10.3

 

27歳で東京に成り果ててあらゆる視界で景色B役 (『東京新聞歌壇』9月26日、東直子選、「上京して何年も経った感じを新鮮な言い回しで表現している。その他大勢であることの淡い諦念を自覚する27歳」と選者評、たとえば東大生も、入学すれば、小学校の「神童」が「ただの人」に)  10.4

 

金木犀風の行手に石の塀 (沢木欣一、金木犀は普通、まず香りでその存在を知り、次いで、どこだろうと探して、視覚に捉えられる、しかしこの句では、作者の後方の金木犀は見えていない、その香りだけが風に乗って前方へ流れているが、その行手を「石の塀」が遮っている) 10.5

 

ひとりでに家壊れつつあきざくら (坂戸淳夫、「あきざくら」はコスモスのこと、最近は、大都市の内部は別として、住宅地には空き家がだいぶ増えた、空き家はどんどん荒れて壊れてゆく、そういう場所には雑草のように生い茂ったコスモスがよく似合う) 10.6

 

名月や烟(けむり)はひゆく水の上 (服部嵐雪、「烟」とは川霧のことだろう、「月に照らされてやや明るい川の水面を、白い霧のようなものがすべるように動いてゆく、いい月だなぁ」) 10.7

 

岩端(いははな)やここにもひとり月の客 (向井去来、「岩端」とは大きな岩の出っ張ったところ、「月が美しいので野山をぶらぶら歩いていたら、岩山の端にでたよ、いい場所だな、あっ、「ここにも一人」月見の先客がいる」) 10.8

 

石山(いしやま)の石より白し秋の風 (芭蕉1689、「奥の細道」の旅に出た芭蕉は、加賀の那谷寺に来た、境内は全山が白っぽい石英粗面岩からなる霊場になっている、秋の風が「その白い石よりも白い」と感じられる、寂しい情景)  10.9

 

十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風 (森川許六、作者は彦根の人、「宇津の山を過ぐ」と詞書、峠の茶屋で名物「十団子」をまた買った、十個の小さな団子が連なるが、「あれっ、前より団子が少し小さくなったぞ」、実質的な値上げなのか、今もありそうな話) 10.10

 

秋惜しむ戸に訪(おとづ)るる狸かな (蕪村1771年9月3日、小西甚一によれば、蕪村はこの日、仲間の俳人たちと「化け物づくし」の句を詠み合ったという、その中の一句、「狸」は何か愛嬌があって「化け物」という感じがあまりしないが、当時は違ったのか)  10.11

 

黄昏のレモン明るくころがりてわれを居れざる世界をおもふ (井辻朱美『地球追放』1982、夕暮れのやや暗い室内、テーブルに明るく輝いてころがるレモンが、もうそれだけで十全な存在にみえる、それを見る私など不要な「われを居れざる世界」なのだ、それは)  10.12

 

何でさう聞きたがるんだ率直に言ふならばまあ(→∞)こんな感じだ (萩原裕幸『あるまじろん』1992、(→∞)のような記号が短歌に登場するようになったのは、インターネットのせいだろう、絵文字なども含めて従来にない記号がたくさん短歌に登場するようになった)  10.13

 

「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」 (穂村弘『シンジケート』1990、短歌は時代を映す、俵万智『サラダ記念日』1987等、80年代末から90年代初めに、今までと違う新しい短歌がどっと生まれた、バブル全盛、ベルリンの壁と転換期だった) 10.14

 

息づいてエレベーターに押されいる我は細かい実をつけた枝 (安藤美保『水の粒子』1992、作者の代表歌「君の眼に見られいるとき私はこまかき水の粒子に還る」と何かが共通する、他者からの何らかの「作用」を感じる時、自分の体は「小さな粒子」の集積に感じられる) 10.15

 

女子だけが集められた日パラシュート部隊のように膝を抱えて (飯田有子『林檎貫通式』、小学校の高学年か、月経と妊娠について教わるために女子だけが体育館に集められた、「膝を抱えて」床に座る彼女たちは「パラシュート部隊」に見える、「産む機械」の戦士なのだろうか) 10.16

 

若草の新手枕(にいたまくら)を枕(ま)き初(そ)めて夜(よ)をや隔てむ憎くあらなくに (『万葉集』巻11、「君は若草のように瑞々しい、新婚の「まき初めた」その「手枕」、一晩だって間を置くものか、毎晩にきまってるでしょ、愛してるんだから!」) 10.20

 

君や來む我や行かむの十六夜(いさよひ)に真木の板戸も差さず寝(ね)にけり (よみ人しらず『古今集』巻14、「貴方が来てくださるかしら、でも来ないなら私が行こうかしら、どうしようかしら、十六夜の月のようにぐずぐず迷っているうちに、戸閉まりもしないで寝ちゃったわ」) 10.21

 

思うてふ言の葉のみや秋を経て色もかはらぬものにはあるらむ (よみ人しらず『古今集』巻14、「秋のもみじは終って、すっかり色あせてしまったけれど、いつまでも色あせないものってあるだろうか、あるとも、僕が言った「君を愛している」という言葉だけは色あせないよ」)  10.22

 

掻きやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ (藤原定家『新古今』巻15、「今、独り寝の僕には、あぁ、共寝して掻きやった君のあの黒髪が、一筋一筋くっきりと見えているよ」、和泉式部「黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづ掻きやりし人を恋しき」に呼応した歌) 10.23

 

恋ひ死なむ身は惜しからず逢ふ事に替えむほどまでと思ふばかりぞ (道因法師『千載集』巻12、「僕はね、君を恋するあまり死んでしまうことを残念とは思わない、でもそれは、もう一度必ず君に逢うことと引き替えに死ぬのでなければならない、あぁ、逢いたいよ」) 10.24

 

つもりゐる木の葉のまがふ方もなく鳥だに踏まぬ宿の庭かな (式子内親王『家集』、「庭の木の葉が散って、入り乱れるとこともなく一面に敷き詰めたようになっている、鳥が来て踏んだ跡もない、誰も私のところには来てくれないけれど、鳥さえも来ないのね) 10.25

 

冷蔵庫ひらく妻子のものばかり (辻田克己、「冷蔵庫」は夏の季語、電気冷蔵庫の登場以前、氷式冷蔵庫の頃に早々と季語入りしたのだろう、当時は夏だけ冷蔵庫を使ったのか、いや江戸時代には、冬季に大量の氷を地下の洞穴深くに移して食料保存したとも、「冷蔵庫」の歴史は古い) 10.26

 

白粉花(おしろいばな)過去に妻の日ありしかな (きくちつねこ、作者は今は離婚して独身なのだろう、オシロイバナを見て、かつての自分の化粧を想い出した、「妻の日」に対する感慨は、たぶん両義的) 10.27

 

妻がゐて子がゐて孤独いわし雲 (安住敦、澄んだ秋空の「いわし雲」は美しいが、どことなく寂しい、可愛い妻と子のいる家族、だが父も孤独なときがある)  10.28

 

よろこびて馬のころがる今年藁(ことしわら) (滝沢伊代次、「今年藁」とは稲刈りの後、田に残された藁のこと、最近もよく見かける、でも「よろこびて馬のころがる」は本当なのか、「犬走り回る」ならありそうなのだが) 10.29

 

さやけくて妻ともしらずすれちがふ (西垣脩、楚々とした美女が向こうから歩いてくるので、思わずじっと見詰めてしまった、そしたらなんと妻だった、愛妻句というか、ノロケのうたか) 10.30

 

子にみやげなき秋の夜(よ)の肩ぐるま (野村登四郎、作者が貧乏な頃の句か、幼な子に「みやげ」を買って帰りたかったが、買えなかった、その代りに「肩ぐるま」をしてやる) 10.31

 

[演劇] シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』

[演劇] シェイクスピアジュリアス・シーザー』 パルコ劇場 10月26日

(写真は舞台、左からキャシアス[松本紀保]、アントニー[松井玲奈]、中央はシーザー[シルビア・グラブ]、右にブルータス[吉田羊])

f:id:charis:20211027084628j:plain森新太郎演出、科白は福田恒存訳、すべての役を女性が演じる珍しい舞台。女性がやってもちゃんと演じられるし、まったく不自然さがない。王、将軍、豪傑といえば男らしい男、つまり男性性の象徴とみられがちだが、それはたんなる偏見でしかなかったことが、この舞台からよく分かる。女が王、将軍、豪傑であったとしても、それはとても自然なことだ。その意味で、オールフィーメルにした意義は十分にある。とりわけ、思索的で思慮深いブルータスを演じた吉田羊と、若々しいアントニーを演じた松井玲奈は特によかった。ブルータスやアントニーが、魅力あふれる人物であったことがよく分かる(写真↓上はブルータス、下はアントニー)

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しかし私には、『ジュリアス・シーザー』は、どこか奇妙な作品に思われる。シーザーは前半で死んでしまい、劇の主人公はブルータスになっている。つまり、シーザーが魅力的な人間であることが、舞台のどこにも示されていない。しかしそれでは、ブルータスたちが口々に語る「私はシーザーを愛している」という言葉に、リアリティが感じられなくなりはしないか。この作品の一番の決定的科白は、ブルータスの「私はシーザーを猛烈に愛している、しかしそれ以上にローマを愛している」だと思う。シーザーは優れた指導者、英雄であるが、王は政治的に公共性を体現していなければならない。その公共性という点にわずかな欠陥があること、すなわち私的な野心が混じっていることが、ブルータスがシーザーを殺す唯一の理由である。だから、シーザーは、たんなる傲慢な専制君主ではなく、欠点をはるかに上回る大きな美徳を備えた魅力ある人物でなければならない。そうであればこそ、アントニーの演説によって、民衆があっという間に反ブルータスの立場に代わってしまうのだ。アントニーの巧みな演説が民衆を扇動したというのは、ことの半面にすぎない。そもそも、シーザーの魅力の部分の表現が『ジュリアス・シーザー』にはやや少ないように思われる。だから、シルビア・グラブのシーザーに人間の魅力が感じられなかったとしても、それは役者や演出家の責任ではなく、シェイクスピアが悪いのだと思う。

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50秒ほどの動画が

https://www.youtube.com/watch?v=fNDE9iR-jGY

[演劇] 矢代静一『七本の色鉛筆』

[演劇] 矢代静一『七本の色鉛筆』 新国立劇場小H  10月22日

(写真は舞台、大学教授の一家で、母が亡くなり、七人の娘がそれぞれ自立してゆく物語)

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矢代静一(1927~98)作、民藝の田中麻衣子演出、新国の演劇研究所第15期生試演会。

家族愛を描いているが、どこか謎めいた不思議な家族だ。演出の田中が、「この作品には、なんだか正体のわからないものが数多く潜んでいる」と言っているが、戯曲を読み解くのが難しい作品なのだろう。しかしよく考えてみると、やはりチェホフの描く家族と似ている。それは、家族のそれぞれがみな違った方向を向いていて、誰もが基本的には自分のことしか考えていないからだ。この家族は、一人一人の「幸福観」や「人生観」が大きく違っているが、そのことをお互いに分った上で、互いの価値観を尊重し合っている。だから、リベラルな「よい家族」ともいえるが、誰もが自分が傷つかないように、互いに適度な距離を取っているようにも見える。特に、大蔵官僚のエリートと結婚した四女まりは、かなりの自己中だが、その滑稽さには憎めないところがある。初演が1973年で、私自身は22歳だったが、当時のことを考えてみても、このようなリベラルな家族は日本にあまり存在しなかったように思う。(写真は、娘の一人の結婚式だが、左端の末娘は修道女になるために家を出てゆく)

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終戦直前、一家の家庭教師だった大学生が学徒動員の出征の直前、娘たちの母を密かに恋していた彼はそれを告白し、母は断り切れず男女関係になってしまう。その一回の関係で六女と七女の双子の末娘たちが生まれる。そして大学生は死なずに生還し、20年後に末娘の一人と偶然会い、あまりに母に似ているために、二人は恋仲になってしまう。もし彼女が彼と結婚すれば、彼は彼女の父であると同時に夫であることになる。終幕で彼女は、彼との結婚直前に、交通事故で死ぬから、結婚は実現しないが、この女オイディプスの物語は、絶対ありえないこととは思われない。そして、母の一回の男女関係も、その後母はそれを「罪」として悔いているわけでもなく、天国で彼女は、「実は私、夫以外の男性に一度は抱かれてみたかったのよ」と告白するのがいい。(写真↓は、その大学生と母、この母と六女の文代を一人二役で演じた末永佳央里は、とても瑞々しい)

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私が違和感を感じたのは、8年後修道院から戻ってきた七女の巴絵を、父が「私はお前を神様にさしあげたのだ、戻ってくるな」と拒絶するシーンである。これはありうるのだろうか? 矢代静一は熱心なクリスチャンだったそうだが、彼はありうると考えているのだろう。このように、仲のよい家族といえども、それぞれの幸福観や価値観は深いレベルでは大きく違っているというのが、この作品の主題なのだと思う。(写真↓は、修道女になった七女からの手紙を読む家族と、下は、全体を語り部として解説する次女の菊[左端])

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