[ミュージカル] わらび座『いつだって青空~ブルマー先生の夢』

[ミュージカル] わらび座『いつだって青空~ブルマー先生の夢』 蕨市民会館 11月23日

(写真↓は舞台、そして井口阿くり)

高橋知伽江の脚本・作詞によるミュージカルで、明治時代に日本に女子体育を導入した井口阿くり1871~1931の評伝劇。秋田県出身の井口は、アメリカ留学1899~1903から帰国し、東京高等女子師範学校(お茶の水女子大の前身)の教授になる。スウェーデン体操、体育着のブルマーなどを日本に導入したが、それだけでなくバスケットボール、スキー、セーラー服、さらにはヨーロッパを回って帰国したので、バレー「白鳥の湖」なども日本に紹介した。体育を、身体表現として広く捉え、西洋のダンスや日本の伝統的な踊りと統合的な「楽しいもの」と捉えたことに、井口の何よりの功績がある。現在のお茶大に珍しい「舞踊教育学コース」があるのもたぶん井口と関係ありそうだし、このミュージカルから分かるように、男子の体育が、武道の伝統からする儒教的な「厳しいもの」としての修身教育の趣があるのに対して、井口の体育観は、体育を感情や精神の表現でもある身体表現として捉え、ダンスや社交とも繋がる「楽しいもの」として、大きく対立している。そもそもブルマーを発明したブルーマー夫人は、コルセットなどから女性の身体を解放しようとした人で、フェミニズムの流れにつながり、井口も、津田梅子と同様に、フェミニズムの先覚者と言える。帰国後の井口の女子体育教育が、日本男性の保守的なジェンダー観と衝突し、それと戦う井口の奮闘が、このミュージカルの基調になっている。それがとてもいい!(写真↓は、井口の留学時のアメリカの大学女子のスウェーデン体操、そして帰国後の井口が考案した女子の体育服)

「舞踊」には「踊り心」がなければならず、「踊り」は何よりもまず人間の喜びの感情の表現なのだと井口は主張した。スピノザは『エチカ』で、喜びの感情は身体=精神の完全性を高め、生の力を増すと述べているが、井口の体育観はまさにそれだ。また彼女は、スポーツを戦争と対立するものと捉え、日露戦争開戦とオリンピックが同じ年になったことを憂えている。スポーツや体育もまた、人間観をめぐる思想対立の文脈にあることが、このミュージカルからよくわかる。何よりも、ダンスだけではなくバスケットボールをする井口や教え子たちが、生き生きと嬉しそうなのが素晴らしい。その意味でも、『いつだって青空』は名作だと思う。

4分の動画がありました。

わらび座 ミュージカル「いつだって青空 〜ブルマー先生の夢〜」PV - YouTube

[演劇] 大池容子『かがやく都市』 うさぎストライプ

[演劇] 大池容子『かがやく都市』 うさぎストライプ公演 アトリエ春風舎 

(写真↓は、女子高校生・佐々木華が手にしている小さな人形、美術の授業で彼女はそれで遊んでいる、しかしもう一人の男子高校生・松崎は、都市の建物の模型を作った、この違いは大きい、でも、二人は終幕で初めて「友だち」になれそうになる、写真下の左は高校の美術教師、右は華の兄、兄妹は宇宙人)

上演は50分だが、ベケットを見ているようで、小さな舞台が大きな主題を表現している。東京という都市に「人がいなくなる」というのは、我々が「他者の心を理解できなくなる」ことの暗喩なのだ。高校の美術の時間、「理想の都市」の模型を作るのが課題。男子高校生・松崎は、建物が並ぶ模型を作る(女優が演じる↓、外見は可愛い少年にしか見えない、このトランスジェンダーは意味がある)。一方、一緒に授業を受けている女子高生・佐々木華は、都市の模型を作らず小さな人形を手にしている。彼女は本当は宇宙人なのだ。人間の姿をしているが他者が何を思っているのか理解できないので、どう行動してよいか分からず、友だちは一人もいない。彼女の兄も宇宙人で、工場で、すごろくのような「人生ゲーム」に使う極小のプラスチック人形だけを作っている。彼も孤独なのだ。宇宙人の兄妹はテレパシーのように相手の脳内に電波を送ってコミュニケーションするが、それでも互いに相手の思っていることをよく理解できない。「帰りに牛乳を買ってくる」という連絡が意味不明で、互いにイラつく。(↓トランスジェンダーの男子高校生松崎[宝保里実]と、宇宙人の女子高校生華[安藤歩]との遣り取りが初々しく、切ない、そしてあとの三人も、その自虐的な饒舌さの中に現代の孤独な若者をうまく表現できている)

誰の心もよく理解できない彼女は、寂しい思いで生きているから、「理想の都市」という授業の課題に対して、建物ではなく、まず最初に、そこにいるべき人間を考えてしまう。でも、最後には<救い>がありそうだ。終幕、華が松崎に「もし突然宇宙人が君の部屋に侵入してきたら、宇宙人は最初に何と言うかな?」と問うと、松崎は「友だちにならない? かな」、と答える。それが彼の「ファイナルアンサー」と知って、華は喜び、そして終幕。たぶん、松崎と華は今までも互いに好きだったのだろう。でもその思いを伝えることはできなかった。そう、今初めて「友だち」になれるかもしれない可能性が生まれたのだ! 私は、ベケット『しあわせな日々』の終幕を思い出した。そして、しおたにまみこの絵本『やねうらべやのおばけ』とも似ていると思った。そういえば、大池もしおたにも私の娘も36歳だ(関係ないか^^;)。そしてもう一つ、ひょっとして『十二夜』や『お気に召すまま』のトランスジェンダーは、「他者の心が理解できない」ことの暗喩を含意していたのかもしれないとも思った。大池容子はこれまで、不条理劇の形式で切ない愛を描いてきたが、この『かがやく都市』も、小品ながらキラリと光る名作だ。

 

 

[今日の絵] 11月前半

[今日の絵] 11月前半

1 Boldini : パリ、クリシー広場1874

今日からはパリの街を、パリはヨーロッパの都市でも、もっとも多く絵に描かれた街、クリシー広場は大きな通りが幾つも交差する珍しい場所、この当時も大勢の人が行き交っている、まだ馬車の時代、荷車もたくさんいて、何かほのぼのとした感じがする

 

2 Bonnard : ウェプレールの店からのクリシー広場1912

ピエール・ボナール1867~1947はフランスの画家で、「ナビ[=預言者]派」と呼ばれ、ポスト印象派とモダンアートの中間と言われる、昨日のBoldiniの1874年と比べると、約50年後の同じクリシー広場は、馬車が自動車に代ったが、行き交う人々の生き生きした感じは同じ

 

3 Jean Béraud : キャピュシーヌ大通り1875

ジャン・ベロー1849~1935はフランスの画家、ベル・エポック時代のパリの人々の日常生活を描いた、特に大通りの絵はどれも女性が目立つ、これは割と初期の絵、キャピュシーヌ通りはオペラ座とマドレーヌ寺院の間にある大通り、最初の印象派展1874は、この通りの建物でひっそりと行われた

 

4 Charles Courtney Curran : 夜のパリ1889

チャールズ・コートニー・カラン1861~1942はアメリカの画家、女性をたくさん描いた、この絵はパリ留学中のもの、まだ夕方で空はやや明るいが、灯火や雨水の路面に反射する光が美しい、人や車にはぬくもりがあり、パリの街を描いた名画の一つ

 

5 Luigi Loir : パリ 共和国広場1880

ルイジ・ロワール1845~1916はスロバキア生れで、フランスの画家、風景画を多く描いた、この広場には、フランス共和国を擬人化した「マリアンヌ像」があるが、描かれてはいないようだ、空がまだ明るく灯がほとんど灯っていない夕方、行き交う人々は落ち着いて美しい

 

6 Marcel François Leprin : Montmartre

マルセル・ルプラン1891~1933はフランスの画家、パリのモンマルトルをたくさん描いた、この絵もその一枚、パリの空が晴れ始めて、光が美しい、そして建物も人も美しい

 

7 Marguerite Nakhla – La Seine, Paris

マーガレット・ナクラ1908~77は、フランスで学んだ現代エジプトの画家、パリの絵もたくさん描いている、これは「パリ、セーヌ川」との題だが、戦前のパリの川近くの裏通りだろう、二階以上は人の住居で、木の雨戸や洗濯物など生活の匂いがする

 

8 Edouard Cortes : Quai Saint Michel

パリのサン・ミシェル河岸通り、ノートルダム聖堂が見える、雨上りだが露店が出ているのがいい、そして雲が少し高い位置に地平線のようになっている。エドゥアール・コルテス1882~1969はフランスの画家、パリの街並みをたくさん描き、「パリの絵の詩人Le Poète Parisien de la Peinture」とも呼ばれた

 

 9 Velazquez : スペイン王妃イザベル 1632

人物画の原点は、依頼されて描く肖像画、今日からは有名人を少し、スペインのフィリペ四世の妻イザベル1602~44、もとはフランス王アンリ四世の娘、ベラスケスは何枚か描いており、これは彼女が30歳の時の立像、眼光と表情に凛としたものがあり、立ち姿に威厳

 

10 François Boucher : ポンパドゥール公爵夫人の肖像1756

フランソワ・ブーシェ1703~70はフランスのロココを代表する画家、ポンパドゥール夫人はルイ15世の「公の」愛人、政治的権勢もふるったが、学芸的才能があり、ヴォルテールディドロや、芸術家のパトロンになった、この絵では書斎?のベッドにくつろぎ、本を手に、足元にも本が散らばっている

 

11 Élisabeth-Louise Vigée Le Brun : 薔薇を持つマリー・アントワネット1783

エリザベート=ルブラン1755~1842はフランスの女性画家で、十代前半から職業画家で、ヴェルサイユ宮殿に招かれ宮廷画家に、とりわけマリー・アントワネット1755~93を多く描いた、二人は同年生まれで、この絵はともに27~8歳、王妃らしく凛とした威厳がある

 

12 Ilya Repin : Leo Tolstoy 1887

イリヤ・レーピン1844~1930はロシアの画家、トルストイ1828~1910の領地ヤースナヤ・ポリャーナに滞在して、生活をともにして彼を何枚も描いた、レーピンの絵は人物の表情に強い力がある、このトルストイもほぼ60才だが、精悍で充実している

 

13 Odilon Redon : Joan of Arc 1900

オディロン・ルドン1840~1916はフランスの画家、同時代の印象派の画家たちと違って、幻想的なものを描き、「キュクロプス」など怪物やグロテスクなものを好んだ、この「ジャンヌ・ダルク」も、アングルやミレーのような女神風の戦闘美少女ではなく、不気味な感じがある

 

14 Munch : Friedrich Nietzsche 1906

ムンク1863~1944とニーチェ1844~1900は、互いに面識はなかっただろう、この絵(左)はニーチェの妹の依頼で描かれたと言われる。写真か、あるいはルドルフ・ケセリッツの描いた肖像画1883(右)をもとにムンクが描いたのだろう、背景など不気味だが、はたして妹は気に入ったのだろうか

 

15 アンリ・ルソー : ピエール・ロティの肖像1910

アンリ・ルソー1844~1910はフランスの画家、くっきりした形と美しい色彩の絵を描いた、ピエール・ロティ1850~1923はフランスの作家で海軍士官、世界中を航海し、各地の女性と恋をし、日本の鹿鳴館のパーティにも参加、『お菊さん』は日本の現地妻、顔からして面白そうな人

 

16 Martios Sarian : Shostakovich 1963

サリアン1880~1972は旧ソ連アルメニアの画家、絵筆のタッチも荒い簡素な描き方だが、写真と比べてみても、ショスタコービッチ1906~75の顔が驚くほど的確に描写されている

[演劇] T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』 文学座

[演劇] T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』 文学座 紀伊国屋サザン 11月4日

(写真↓は、ブランチ[山本郁子]とステラ[渋谷はるか]、そしてスタンリー[鍛冶直人])

高橋正徳演出。2002年に蜷川幸雄演出、大竹しのぶのブランチと寺島しのぶのステラを見たときには、ブランチがやけに明るくてコミカルな女であることに、違和感を感じたが、今回の方が、『欲望という名の電車』という作品のより本来的な舞台だと思う。今回あらためて感じたのは、ブランチという女の多面的で複雑なキャラクターである。ブランチは自分の女性性をうまく表現・現実化できず、女として非常に不幸な人生になった、というのが本作の主題だが、ブランチという女性には、下記の多くの問題が集中的に輻輳している。(写真↓は、スタンリーにレイプされる直前のブランチと、終幕、精神病院から「迎え」が来るブランチ)

(1) 自分の女性性を絶えずアピールし続けずにはいられない「イタい女」

(2) 十代で美少年に恋して結婚したが、同性愛の現場を見てしまい、彼を自殺に追い込んだことのトラウマ

(3) 生理的に肉食系男子を受け付けず、動物的で生々しいセックスに激しい嫌悪感をもつ

(4) そもそも男たちが野蛮すぎて、妻にも暴力をふるうことへの激しい嫌悪

(5) 以上は、普通の女性にも多かれ少なかれありうる感受性だが、ブランチは明確に限度を超えていて、被害者意識の強さや妄想、幻聴など、メンタルを病んでいる疑いが強いこと

(写真↓は、スタンリーと親友の野蛮な男性たち[右端のミッチだけがやや違うが、彼も最後にブランチをレイプする])

ブランチという女性には、少なくとも以上の5つの文脈が輻輳しており、それを完璧に表現するのは難しい役だと思う。テネシー・ウィリアムズは「ブランチは私だ」と言ったが、おそらくこの5つの文脈は彼自身にも関わっているのだろう。彼自身も同性愛者であり、精神病院入院歴もあり、そして彼の実在の姉のローズ、そして『ガラスの動物園』のローラは明らかにメンタルを病んでいる。しかし、ブランチもローラもメンタルを病んでいるにも関わらず、我々は彼女たちに深く共感するところが、真の名作である所以なのだろう。

 

折々の言葉(5) 9・10月ぶん

折々の言葉(5) 9・10月ぶん

 

通行人は愛すべきもの。でも作家にひっかかるのは避けたい。なのに私はひっかかってしまった。ある日、Pに出会った。作家だ。彼は親しげに私の肩を叩きコーヒーに誘った。「君の例の作品読んだよ」、彼は言った。「ほんと?」(ドゥブラフカ・ウグレシッチ『君の登場人物を貸してくれ』) 9.2

 

彼の発言に私は黙りこむ。その時少しは熟考すべきだったのかもしれない。男の人と出会うと必ず点灯する小さな赤信号が、その時も目に入ったかもしれない。・・なのに私は(もっとも毎度のことだが)、赤信号を見逃してしまった。(ドゥブラフカ・ウグレシッチ『君の登場人物を貸してくれ』) 5

 

私は間違ってキャンデーがついてない棒しかもらえなかった子供のように、棒だけを握って取り残された。そんな子供はキャンデーは食べたのだろうと思われ誰にも気にかけてもらえない。私は空想の棒を切ない思いで見つめていた。(ドゥブラフカ・ウグレシッチ『君の登場人物を貸してくれ』) 9

 

女が献身的に身を尽すと、男はすぐに熱がさめて主人顔に。でも女が残酷で不実になり、男を虐待したり、厚顔に玩具にしてやったり、無慈悲な顔をみせると、それだけ女は男の欲情をかき立て、男に愛され、つきまとわれる。ヘレナとデリラの昔からそう。(マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』) 12

 

あたしたちのあいだには、ささいな瞬間というのがない。言葉をまったく交わさないか、そうでなければ、何から何までしゃべるかのどちらだから。(ベス・ヌジェント『男たちの街』) 16

 

私たちは、しょっちゅう親子なのかと訊ねられる。答えはイエスでもありノーでもある。ちょうどレズビアンたちが、世界に対してはともかくもお互いに対して真実であるように、どちらの言い方も真実だ。真実は私たちにしっくりなじむ。(ジャネット・ウィンターソン『詩としてのセックス』) 19

 

一般に恋愛沙汰においては、女のほうが乗り気になっている場合には事が早く進むものですから。(セルバンテスドン・キホーテ』) 23

 

より気にかかることがあると、記憶の力はしばしば奪われてしまうものです。(ダンテ『神曲・煉獄篇』) 27

 

「得られてしかるべきものはおおよそ手に入れた。しかし、一人は寂しい、どこか虚しい、だから結婚したい」と思ったとき、その人間が「結婚」に求めるものは、当然、「一緒にいて楽しいと思えるエンターテインメント性になります」(橋本治『あなたの苦手な彼女について』) 30

 

(微笑んで)[このユニコーン=一角獣は]手術を受けたと思うことにするわ。角を取ってもらって、この子もやっと普通[の馬]になれたと思っているでしょう!(テネシー・ウィリアムズガラスの動物園』、ローラの科白。「手術」とは、ウィリアムズの愛する姉ローズのロボトミー手術の暗喩。「角」は、切除された彼女の脳の一部。何という悲しい科白) 10.3

 

私は、テレビを見ることも、雑誌の頁をめくることもできなかった。[なぜなら]香水や電子レンジを扱ったすべての広告が告げているのは、ただ一つのこと、一人の男が一人の女を待っていることだから[見るのは苦痛だった]。ランジェリー専門店の前を通るときには、いつも顔をそむけた。(アニー・エルノー『シンプルな情熱』) 7

 

次から次へと考えが湧く男は、とかく目標を踏みはずす。湧き上がる力が互いに力をそぎ合うからだ。(ダンテ『神曲』煉獄篇) 10

 

人はよく、物事に名前を付けるわ。私が棘と思うものを、あなたは薔薇と名付け、あなたが熱愛とお呼びになるものを、私は拷問と呼びます。(コルネイユ『舞台は夢』) 14

 

こうしたことでは女は敏感だし巧妙だ。二人の崇拝者を互いに仲良くさせておくことができれば、得をするのはいつも女だもの。(ゲーテ『若きヴェルテルの悩み』) 21

 

人間の幸福は、愛されているという意識から主として成り立っていると私は信じている。(アダム・スミス道徳感情論』) 24

 

何にもならない、思いを遂げても、満足できなければ。(シェイクスピアマクベス』)28

 

その読書の途中、何度も私どもの視線がからみ合い、次の一節で私どもは負けたのでございます。この人は、うち震えつつ私の口に接吻いたしました。(ダンテ『神曲・地獄篇』)31