[演劇] T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』 文学座

[演劇] T.ウィリアムズ『欲望という名の電車』 文学座 紀伊国屋サザン 11月4日

(写真↓は、ブランチ[山本郁子]とステラ[渋谷はるか]、そしてスタンリー[鍛冶直人])

高橋正徳演出。2002年に蜷川幸雄演出、大竹しのぶのブランチと寺島しのぶのステラを見たときには、ブランチがやけに明るくてコミカルな女であることに、違和感を感じたが、今回の方が、『欲望という名の電車』という作品のより本来的な舞台だと思う。今回あらためて感じたのは、ブランチという女の多面的で複雑なキャラクターである。ブランチは自分の女性性をうまく表現・現実化できず、女として非常に不幸な人生になった、というのが本作の主題だが、ブランチという女性には、下記の多くの問題が集中的に輻輳している。(写真↓は、スタンリーにレイプされる直前のブランチと、終幕、精神病院から「迎え」が来るブランチ)

(1) 自分の女性性を絶えずアピールし続けずにはいられない「イタい女」

(2) 十代で美少年に恋して結婚したが、同性愛の現場を見てしまい、彼を自殺に追い込んだことのトラウマ

(3) 生理的に肉食系男子を受け付けず、動物的で生々しいセックスに激しい嫌悪感をもつ

(4) そもそも男たちが野蛮すぎて、妻にも暴力をふるうことへの激しい嫌悪

(5) 以上は、普通の女性にも多かれ少なかれありうる感受性だが、ブランチは明確に限度を超えていて、被害者意識の強さや妄想、幻聴など、メンタルを病んでいる疑いが強いこと

(写真↓は、スタンリーと親友の野蛮な男性たち[右端のミッチだけがやや違うが、彼も最後にブランチをレイプする])

ブランチという女性には、少なくとも以上の5つの文脈が輻輳しており、それを完璧に表現するのは難しい役だと思う。テネシー・ウィリアムズは「ブランチは私だ」と言ったが、おそらくこの5つの文脈は彼自身にも関わっているのだろう。彼自身も同性愛者であり、精神病院入院歴もあり、そして彼の実在の姉のローズ、そして『ガラスの動物園』のローラは明らかにメンタルを病んでいる。しかし、ブランチもローラもメンタルを病んでいるにも関わらず、我々は彼女たちに深く共感するところが、真の名作である所以なのだろう。