ミリカン『意味と目的の世界』(8)

charis2007-06-25

[読書] ルース・ミリカン『意味と目的の世界』(信原幸弘訳、勁草書房、07年1月刊)


前回見たように、オシツオサレツ記号に含まれる「目標の表象」から、「目標が達成された状態の表象」が分離されるためには、たんなる「目標の場所」ではなく、空間的表象から、時間的表象が自立しなければならない。これは、動物の進化においては、どのような転換点として追跡できるのだろうか。それは、大きく二段階のステップに分かれる。すなわち、(1)動物が餌の分布している自分の「縄張り」全体を空間的な地図として表象できる(=事実的表象としての空間)、(2)空間の中にある「あの餌」という目標までの「経路」を、まずA、次にB、そしてCといった「移行の系列」として表象することには、「あの餌が自分の手にある事態」という未来の目標達成状態の表象が含まれる(=時間順序の表象)。


まず(1)だが、多くの動物は自分の縄張りであれば、目隠ししてどこへ連れてこられようと、まっすぐ自分の住みかに帰ることができる(p257)。また、ホシガラスは冬の到来に備えて食べ物を何百もの場所に隠し、その隠し場所を覚えている(同)。これらは、個別の知覚が個別の行動を導くというアフォーダンスというよりは、「縄張りの空間的配置について、何らかの種類の一般目的用の表象を作り上げることができる」(258)ことを示している。「まったくのオシツオサレツ動物でさえ、高等になれば、たんにアフォーダンスを知覚してそれにもとづいて行為するだけではなく」(282)、「事実の記憶」や空間地図という「記述的な表象」へと一歩踏み出しているのである。


(2)は、さらに興味深い。というのは、ある種の動物は、たんに空間的な表象をもつだけではなく、その空間に重ねて、線形時間ではないが、時間順序の系列を表象できるからである。これは、縄張りの環境に分布している通常の餌ではなく、通常とは異なった状況に設置された餌を、動物が試行錯誤によって「それを手に入れる経路」を発見することによって証示される。たとえば、あるリスがミリカン家の「鳥の餌」を手に入れた経過はこうである(p281f)。テラスの屋根から鎖で空中に吊るされた鳥用の餌箱は、地面や木の枝と不連続だから、リスは通常のアフォーダンス知覚によっては、この鳥の餌を手に入れることはできない。しかしリスは数日にわたって、餌箱の下、テラスの一方の側、テラスの他方の側などと空間的な位置を変えながら、そこから餌箱を観察し続けた。そして「ついにリスは、一方の側から手すりに沿って一走りして、家のドアを反射板にして餌箱に飛びつき、かろうじて前足を餌箱の端に引っ掛けて、ずり上っていった」(281)。


数日間も探索を重ねたリスも立派だが、その間ずっと観察し続けた"生物学者"ミリカンも凄い。このリスの事例で重要なのは、単独のアフォーダンスだけでは目標に到達できずに、複数の過程を繋ぎ合わせ、複数のアフォーダンスの結合として、最終目的に達していることである。そして、そのためには、「目標が達成された表象」を持たなければならないことである。「食べ物が見える場所にあるという事態」→「食べ物が手の届く場所にあるという事態」→「食べ物が自分の手の中にあるという事態」という三つの事態の「移行」を理解するには、最終段階の表象がなければならない。つまり、リスは未来の事態を事実表象として持っているから、複数のアフォーダンスを結合して「目標までの経路」を認知することができるのだ。


ミリカン家のリスと同じことは、心理学者ケーラーのチンパンジーが、天井近くに置かれた餌を、箱を積み上げることによって手に入れた実験からもいえる(284f)。チンパンジーにとって、箱という存在は、それをひっくり返して上から中に入るとか、積み重ねずに上に登るとか、きわめてたくさんの行動を触発するアフォーダンスをもっている。そのような多くの可能性があるにもかかわらず、箱をいくつも積み重ねて餌を取ることができるのは、「目標達成状態の表象」があらかじめあって、それがまったく種類の違うアフォーダンスの組み合わせを導いて、「目標までの経路」を完成するからである。


とはいえ、「箱をいくつも積み上げる」というのは、人間にとっては何でもないように見えるが、動物の空間表象と時間順序表象のレベルからすると、「干草の山の中から一本の針を探し出すようなもの」であり、「それまで通過したことのない<新しい経路>を作り出すためにより多くの部分を組み合わせなければならないとすれば、正しい結合を見出すという問題は指数関数的にその困難を高める」(289)。つまり、ケーラーのチンバンジーと我々人間との間には、実はまだ、もの凄く大きなギャップが存在している。それを述べるのが、最後の18章「動物の思考の限界」と19章「人間の思考をめぐる推測」である。[続く]