ヴェルディ『運命の力』

charis2015-04-11

[オペラ] ヴェルディ運命の力』  新国立劇場大ホール 2015.4.11

(写真右は、修道院がレオノーラを受入れるシーン、教会が大きな箱で示されているが、この教会は幕が変るごとに縮んでゆき荒廃してゆく、写真下は、冒頭、ピストルが暴発して侯爵[左]が死ぬところ、もう一つは、戦場の兵士を慰問する慰安婦たち、手前の慰安婦は戦後の米兵相手の「パンパン」を思わせる服装、中央手前はロマの娘プレツィオジッラ)

スペインの演出家エミリオ・サージ演出。2006、7年の再演だが、私は初見。昨年の『ドン・カルロ』もそうだが、『運命の力』がこれほど素晴らしい作品であるとは知らなかった。どちらも純愛の悲劇が中心軸にあるのは『椿姫』『リゴレット』などと同じだが、叙事詩的な広がりと深みがある。『運力』の場合、名誉を重んじる貴族階級のメンタリティ、カトリック教会の包容力、インカの血を引く王子(=アルヴァーロ)という外部性を排除するヨーロッパ貴族社会の閉鎖性、戦争、男の友情など、多面的な要素がうまく統一された「大河ドラマ」になっており、修道士、兵士、慰安婦、民衆などが生き生きと描かれている。原作の戯曲を書いたのは、スペインのリバス公爵アンヘル・デ・サアベドラという人で、19世紀前半のスペイン独立戦争に関わり、自由主義者で10年も亡命していた。スペインのロマン派文学の創始者の一人というから、フランスのユゴーとも似たところがある。ヴェルディその人もまたイタリア独立運動の英雄の一人だったから、戦争、国家、貴族階級などを包括する叙事詩的なオペラが生まれたのかもしれない。「ホームドラマ」風オペラとは違った、硬派で重厚な悲劇作品である。それでいてロマ(=「ジプシー」)の娘プレツィオジッラの明るい歌と踊りや、ずっこけ修道士メリトーネなど、喜劇的キャラも活躍するので、全体がとても生動的で生彩に富んでいる。


音楽的には、悲劇的で宗教性の高い場面に、筆舌に尽くしがたい美しい旋律が歌われる。冒頭右写真にある修道院がレオノーラを迎えるシーンで歌われる「天使の中の聖処女よ」の静謐で澄んだ美しさ、そして、終幕、修道院の洞窟にいるレオノーラが、恋人アルヴァーロに再会する直前に歌う大アリア「神よ平和を与えたまえ」は、本当に万感胸に迫るものがある。そして直後に、レオノーラは父の復讐を誓った兄に刺されて死ぬ(写真↓、教会はこんなに小さくなってしまった、左からレオノーラ、アルヴァーロ、グァルディアーノ神父)。歌手では、レオノーラを歌ったグルジア人ソプラノのイアーノ・タマー、精悍でセクシーなインカの王子アルヴァーロを歌ったセルビアテノールのトドロヴィッチ、そして重要人物である、冷静沈着なグァルディアーノ神父を歌ったバスの松位浩が、とてもよかったように思う。キラキラした旋律というよりは深みのある味わい深い歌が多いので、歌手にとっては難しい作品なのではないだろうか。


2006年の上演だが、動画があります↓。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/150402_003711.html