今日のうた47(3月)

charis2015-03-31

[今日のうた] 3月1日〜31日
(写真は寺山修司1935〜83、1957年に病院の屋上での撮影したもの、早大に入学したがネフローゼで長期入院していた、俳句は高校時代のみの作だが、瑞々しい詩情を大胆な技法で詠む句は天才的なものを感じさせる、短歌も作り、劇作家として活躍)


・ やわらかな光をもちて融けはじむ昨日(きぞ)の雪まず足の跡から
 (植村恒一郎「朝日歌壇」1992.3.1、佐左木幸綱選、当時、住んでいた団地の午前中の実景です、春の雪は積もってもすぐ解けはじめます、まず足跡のところから) 3.1


・ セーターをたたんで頬(ほお)をさはられて
 (佐藤文香1985〜『君に目があり見開かれ』2014、彼氏との愛の句だろう、セーターを「たたんで」に、女の子のやや緊張した初々しい感じが伝わってくる) 3.2


・ 見にもどる雛の売場の雛の顔
 (岡田史乃1998、ひな人形の顔は単純なようで不思議だ、デパートでひな人形を下見する作者、一応決めて売場を離れたが、「そういえば顔のイメージがはっきりしない、どんな表情だっけ」、もう一度確かめに戻る、今日は桃の節句、下記はFBのコメント欄) 3.3
(田島 正樹 :人形を親に買ってもらへない子が、未練にもう一度売り場に戻って見てゐるのだけど、その子自身の顔がまるで雛人形のやうに可愛い、といふ意味かと思ひました。
植村恒一郎 :なるほど、その解釈はいいですね。そうだったのか、たしかに、この「もどる」には、子どもが関わっていそうです。ぐずった子どもにせがまれたとか。母親が一人で選ぶよりは、娘と一緒に選んでいる方が自然ですね。いずれにしても高価な雛人形なのか、まだ買ってはいない。見るだけかもしれません。作者は詩人の岡田隆彦の夫人ですね。)


・ 瓶(びん)の酒にいつか春日の移りけり
 (室生犀星1941、「春の日差しがいつのまにか動いて、酒瓶に当たり、澄んだ酒が光っている」、「瓶の酒に」がいい、本句は、犀星が大衆小説家の小島政二郎[1894〜1994、俳人でもあった]に送った句) 3.4


・ 淡水パールはずして胸をしんみりと真水にさらす 月はきれいね
 (東直子回転ドアは、順番に』2003、ウェディングドレスやくちづけの歌の次にあるから、たぶん性愛の歌、ほてった胸を「しんみりと」冷やす繊細なニュアンス、「淡水パール」「真水」「月」の呼応が美しい、明日は満月) 3.5


・ 魔のごとき気多の碧(みどり)よ悔しかり暗鬱にしか愛し得ざりし若さ
 (米川千嘉子1988、新婚の夫と能登半島を旅した作者、気多神社裏の「魔のごとく青い」日本海の前に立っている、「暗鬱にしか」彼を愛せなかった自分の「若さ」が悔しい) 3.6


・ かくてまた夜があけ朝がやって来て犬のなく声鳥のさえずり
 (加藤克己『朝茜』2007、作者1915〜2010は戦前のモダニズムの影響を受け、たえず新しい発想で歌を詠んだ人、この歌は92歳の作) 3.7


・ 板踏めば春泥こたへ動きけり
 (高濱虚子1920、冬には凍って硬い土も、春になればぬかるみが増える、今日、いつも歩き慣れている板を踏んだ途端、少し動いた、ここにも春の気配が、「春泥こたへ」が卓越) 3.8


・ 片方が動けば動き春の猫
 (上野嘉太櫨、雌を追いかける雄猫ならば、ガガーっと言い寄るから、こんなのんびりした優雅な動きはしないだろう、恋の季節はもう終ったのか、二匹はどういう関係なのだろう) 3.9


・ 三月や水をわけゆく風の筋
 (久保田万太郎、春の風が湖の表面に細い筋をつけてゆく、まるで水を「分ける」のを楽しんいるかのように) 3.10


・ 方面の 混み合っておりお掛けなお 100万回目のつぎはぎの声
 (伊藤真也・男・37歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選、作者コメント「震災直後の歌です。原発10km圏内に住む大切な人と連絡が取れず、気絶しそうになりながらリダイアルしていました」) 3.11


・ 少しだけネイルが剥げる原因はいつもシャワーだよシャワー土下座しろ!
 (古賀たかえ・女・30歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選、女性にとって、ネイルがちょっと剥げるのは、けっこう大変なことなんだね、シャワーが怒られてる) 3.12


・ ハブられたイケてるやつがワンランク下の僕らと弁当食べる
 (うえたに・男、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選評「ハブられた、イケてる、ワンランク下というベタな表現の連続が、裏返しの詩的価値を生み出しています」、仲間外れにしたり、学校カーストはキビシイ) 3.13


・ ひとりでは成り立たないという結論為(な)すべきことを為すジュリエット
 (林あまり『ベッドサイド』1998、「ジュリエット」は作者のこと、もっぱら性愛を詠んで名高い歌集だが、この歌は理屈っぽい、すべては読み手の想像力に委ねられていて、どこかコミカルな感じがあるのも面白い)  3.14


・ 小さき風大きく変へて花ミモザ
 (中野孤城「朝日俳壇」1989、稲畑汀子選、ミモザは銀葉アカシアともいい、黄色い花が咲く、一つ一つの花は小さいが樹全体が風にそよぐ姿はとても美しい) 3.15


・ 先代の顔になりたる種物屋
 (野村研三、三月は農作物の種を準備する時期、種物屋の主人は二代目だが、作者といろいろ種の相談をしているとき、ふと先代にそっくりの表情を見せる、この店とはもう長い付き合いなのだろう)  3.16


・ 山もとの鳥の声声(こゑごゑ)明けそめて花もむらむら色ぞみえゆく
 (永福門院『玉葉和歌集』、「山のふもとでは鳥たちがさえずり始めている、夜が明けてゆくのね、花があちこちに群がって咲いているのが、だんだん見えてくる、色が少しずつ鮮明になってくる」、春の早朝の時間の経過が生き生きと詠われている、作者1271〜1342は、このような情景を好んだ京極派の歌人)  3.17


・ 夢路(ゆめぢ)には足もやすめず通へどもうつゝに一目見しごとはあらず
 (小野小町古今集』巻13、「夢路っていいわよね、ふつうはあなたが通ってくるところを、こうして私の方があなたの所へじゃんじゃん通っちゃうんだから、ああ、でもね、あなたと現実に会ったあの夜にはとても及びません」、禁断の恋を歌ったものか、「夢路」は小町の造語と言われている) 3.18


・ 菫(すみれ)ほどな小さき人に生まれたし
 (夏目漱石1897、スミレの花に語りかける漱石、偉そうに自分を大きく見せたがる男たちが嫌いだったのだろう、「すみれのように小さい」人に生まれたかった、と) 3.19


・ 泣きたいと言へば泣くなと言ひし友よ泣けよと言ひし友よ ありがたう
 (小島ゆかり『希望』2000、つらいとき、親友に「泣きたい」といったら、「泣かないで」という友と、「泣いていいのよ」という友の両方がいた、ともに私の苦しみを真剣に受け止めてくれた) 3.20


・ ふだん着でふだんの心桃の花
 (細見綾子、蕪村の「桜より桃にしたしき小家かな」もそうだが、桃の花にはどこか、お高くとまっていない優しさがある、私の住む鴻巣市でも梅に続いて桃の花が)  3.21


・ 一人旅装うブログ打つ君の携帯カメラに映らぬわたし
 (たみやともみ・女・31歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選評「リアルですね。「君」との関係性が、かつては存在しなかった筈の角度から照らし出されています」、秘密の二人旅の旅先から彼がブログ投稿、どの写真にも私はいない) 3.22


・ 閉じた時写真同士がキスをする卒業アルバム一つずれたい
 (ヒポユキ・男・46歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選、女子高校生の歌かと思ったら、作者は46歳の男性とのこと) 3.23


・ 太もものジーパンはちきれむ勢ひに亭主を跨ぎ子を飛び越ゆる
 (島田修三『晴朗悲歌集』1991、自分をまたぎ、子を飛び越えて、室内を軽やかに動き回っている元気印の妻、ユニークな愛妻歌) 3.24


・ 鶯(うぐひす)の枝ふみはづすはつねかな
 (蕪村1769、その若い鶯はまだ上手に鳴けず、必死で鳴こうとしているのか、「枝踏みはずす」が初々しい) 3.25


・ 白き息触れあひてみな卒業歌
 (寺山修司、県立青森高校に学んだ作者、卒業式の日もまだ寒いのか、「触れあひて」に詩情が溢れる、本句は橋本多佳子主宰の俳誌「七曜」1952年7月に掲載) 3.26


・ シュレッダーが截断(せつだん)しつつ積む紙片ほそく整然たり襤褸(らんる)にあらず
 (宮英子『やがての秋』2007、シュレッダーに裁断され、層をなして積み上がってゆく細い紙片、その塊には何か独特の存在感がある、作者90歳頃の歌)  3.27


・ 人間はかくのごとくにかなしくてあとふりむけば物落ちている
 (山崎方代、作者1914〜85は、出征して片目を失明、生涯独身で孤独に生きた人、孤独を詠いながらもどこか剽軽で自由な歌が多い、この歌も、下の句の“軽み”がいい) 3.28


・ 雪の嶺(ね)の霞に消えて光りけり
 (鈴木花蓑1881〜1942、作者は大正期末に『ホトトギス』で活躍した人、春の霞の向こうに遠くかすんで見える山だが、そこに残る雪が霞を通しキラリと光った一瞬) 3.29


・ 歳月はさぶしき乳(ちち)を頒(わか)てども復(ま)た春は来ぬ花をかかげて
 (岡井隆1977、逃げるように九州に移住し、短歌を離れていた作者が、数年ぶりに短歌に復帰する時の作、「歳月は、甘くない寂しい思い出をたくさん与えてくれたが・・」という意味か、今年もまた桜が) 3.30


・ 桜ちる桜ちるときめしべある花の重みのゆるさるるなり
 (井辻朱美1978、作者1955〜の初期の作、桜が散る姿に花びらの「重み」を見て取り、「めしべある花」の「重み」だから散るのも「許される」という作者、「散る」を捉える斬新な美意識) 3.31