木ノ下歌舞伎『心中天の網島』

charis2017-11-15

[演劇] 木ノ下歌舞伎『心中天の網島』 横浜にぎわい座のげシャーレ 11月15日


(写真右は、最後の心中直前の治兵衛(日高啓介)と小春(伊東茄那)、原作でも28歳と19歳の若者、写真下は舞台、大きな網目のような模様で、床も壁も統一したのがいい、「網島あみじま」なのだろう。手前は治兵衛)

木ノ下歌舞伎を見るのは昨年の『義経千本桜』に次いで二回目だが、とても良かった。現代の若者の恋に置き換えて、原作にない場面を補い、軽快な音楽と踊りをつけて、心中という悲劇が美的に昇華されている。無責任な翻案ではなく、原作の重要な場面と科白はきちんと踏襲されている。『心中天の網島』が、男女の愛を描いた『源氏物語』から『春琴抄』にいたる日本文学の中でも、最高傑作の一つである理由が、よく分った。それは、女性が徹底した「愛の主体」として描かれているからである。この作品の核心は、女同士の命を賭けた友情であり(原作では「女の義理」と自ら呼んでいる)、男の愛がこんなにも浅く、いい加減であるのに対して、女の愛は何と深いのだろうと感嘆せざるを得ない。普通の三角関係ならば、一人の男を愛する二人の女は対立関係になるが、ここではそれが最高の友情へと転化する。トリュフォーの『突然炎の如く』は、二人の男と一人の女の「三人婚」が破綻して二人が無理心中するが、それとちょっと似ている。『心中天の網島』の真の主人公は、治兵衛の妻おさんである。おさんも小春も、愛の主体としての女性としてほとんど極限の姿が描かれているが、おさんの人物造形は特に素晴らしい。(写真下は↓、左がおさん(伊東沙保)、炬燵で二人が向き合う中之巻は、原作でもクライマックス)

それにしても、おさんも小春も、治兵衛のように人間が薄っぺらで浅い男に、どうしてこんなに惹かれてゆくのだろう。原作では、その理由は示されていないように思うが、木下歌舞伎の本作は、現代の若者に置き換えているので、おさんと治兵衛の出会いという原作にない場面を作って、それを示そうとしているのだろう。高校の同級生なのだろうか、治兵衛はおさんにラブレターを渡すのだが、ひたすらおどおどしていて、その不器用さ、格好の悪さ、滑稽さは恥ずかしくて見ていられない。でも、おさんは治兵衛のそういうところがすごく好きなのだろう。「うん、いいよ」とすぐ言って、笑顔で彼を抱きしめる。プロポーズの時も同じ。何でこんな男に、と我々は思うのだが、おさんにとっては我々には分からない治兵衛の魅力が必ずあるのだ。「条件」で人を好きになるのは本当の愛ではないというのが、近松の根本スタンスなのだろう。今回の木ノ下歌舞伎は、『心中天の網島』の一番基本にあるものを、しっかり前景化できていると思う。そして、最後、一人生き残ったおさんが、子どもの勘太郎を抱いて遊ぶシーンは、もちろん原作にはないが、これで我々は救われる。治兵衛と小春の愛は、おさんの中で救済されるのである。帰宅して、原作を読み返してしまった。以下、おさんと小春の素晴らしい科白を、現代の若者言葉にしてみた。


炬燵にぬくぬくしながら、「小春は俺を裏切った」と勘違いして憤る治兵衛に対して、秘密を明かして決然と対決するおさん。「小春殿に不心中芥子ほどもなけれども。二人の手を切らせしは此のさんがからくり。こな様がうかうかと死ぬる気色も見えしゆゑ。あまり悲しさ女は相見互事。切られぬ所を思ひ切り夫の命を頼む頼むと。かきくどいた文を感じ。身にも命にも代えぬ大事の殿なれど。引かれぬ義理合思ひ切るとの返事。・・是程の賢女がこなさんとの契約違へ。おめおめと太兵衛に添ふものか。女子は我人一向に思ひ返しのないもの。死にやるわいの死にやるわいの。アアアア、ひょんなことをサアサアどうぞ助けて助けて!」(「小春さんはどこまでも誠実な人よ。あなたと小春さんの手を切らせたのは、実はこの私が仕組んだの。軽薄なあなたがふらふらと死のうとする気配もあったから、私はもう悲しくて悲しくて、彼女に手紙を書いたの。「私たちは弱い女同士です、助け合いましょう、とても切れないところを、思い切って、切ってください、私の夫が死のうとしているんです、助けてください、助けてください」と。そしたら、彼女は言ってきたわ。「治兵衛さんは、私にとっても身にも命にも代えられない人。でも、引こうにも引けない女の義理が、私たちの間にはあるわよね。分りました、彼を諦めます」。・・・これほど誠実な人よ、小春さんは。あなたとの約束を破るわけがないでしょ。太兵衛みたいな嫌な男が身請けすると言っても、彼女が本気で受けるわけないじゃない。受けると思ったあなたは何てバカなの! 女は誰しも、一途に愛した人を、絶対に裏切ることはない。小春さんは死ぬしかないのよ、死んじゃうわ、死んじゃうわ。あ、あ、あ、あ、どうしたらいいの。さあ、助けるのよ、彼女を、助けて、助けて!」)


替りに治兵衛が小春を身請けするとして、でも、小春がうちに住むようになったら、おさん、お前はどうすると、治兵衛が言うのに、おさんは答える。「・・と言われてはつと行き当たり。(おさん)「アツアさうじゃ。ハテ何とせう子供の乳母か。飯炊きか。隠居なりともしませう」とわつと叫び付し沈む。」(・・と治兵衛が言うのを聞いて、おさんはハッと答に窮した。そして、「アッ、そうだった、ぜんぜん考えてなかったわ。さあ、どうしよう!子供の乳母か、飯炊き女になるか、隠居でもするわよ」と、わっと泣き叫んで伏せてしまう。)


小春も凄い。最後、心中する直前、私たちが枕を並べて心中したら、おさんさんに申し訳がたちませんと、治兵衛に言う。「ふたりが死顔ならべて、小春と紙屋治兵衛と心中と沙汰あらば。おさん様より頼みにて殺してくれるな殺すまい。挨拶切ると取交はせしその文を反故にし。大事の男をそそのかしての心中は。さすが一座流れの勤めの者。義理知らず偽り者と世の人千人万人より。おさん様ひとりのさげしみ。恨み妬みもさぞと思ひやり。未来の迷ひは唯一ツ。私をここで殺してこなさんどこぞ所を変へ。ついと脇で」(「もし二人が死に顔を並べて、小春と治兵衛が心中したと世間で伝えられたら困るわ。「治兵衛さんを殺さないでね」という彼女に答えて「ええ殺しません、彼との関係を切ります」と言った私は嘘をついたことになる。彼女の大切な男をそそのかして心中させた小春という女は、しょせん、その場限りの遊女、人の義理も知らない裏切り者と思われるかもしれない。世間の人にどう思われてもかまわないけど、おさんさんから軽蔑され、恨まれ、妬まれるとしたら、それは絶対に私は耐えられない。これから死んでいく私の、未来への心残りはそれだけ。だから、私をここで殺して、あなたは、どこか場所を変えてね。ちょっと離れた別のところで死んでね。」)