[オペラ] ワーグナー《タンホイザー》

[オペラ] ワーグナータンホイザー》 二期会 東京文化会館 2月21日

(写真↓は第2幕、中央がエリーザベト、以下の写真は、元の上演であるフランス国立ラン歌劇場(2013)のものも含む)

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キース・ウォーナー演出で、舞台の空間性の鮮やかな構成がとても見事だった。第三幕の最後の部分は、第一幕や第二幕と違って、もともと原作の内容自体によく分からないところがあるが、この舞台の終幕では、天井から大きな籠のようなものが下りてきて、そこに死にかけたタンホイザーが入ると同時に、上からエリーザベトの遺体が下りてきて、そして籠がゆっくり上昇し、二人がともに天国へと召喚されてゆく。つまり、『ファウスト』終幕と似た構図を見せることによって、二人の魂が救済されたことがよく分る。(写真↓)

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しかし改めて考えてみると、『タンホイザー』の第三幕は、何が主張されているのかよく分からない。「エロス的衝動に生きるタンホイザーという英雄」(パウル・ベッカーの劇評)が、まず「ヴィーナスの国」で快楽に溺れるが、やがて飽きてそこを出てゆく(第1幕)。「性的快楽の女王であるヴィーナスから解放されたタンホイザー」(同ベッカー)が、性欲一辺倒ではない「聖なる愛の女性」(同)エリーザベトとの愛を復活させ、罪を清めるためにローマに巡礼する(第2幕)。ここまでは良く分かる、しかしローマ法王から直接「お前は救えない、地獄へ行け」と言われたタンホイザーは、がっくりして帰ってくると、開き直ったのだろうか、「やはりヴィーナスの国へ帰る」と言い出す。たちまちヴィーナスも現れて、タンホイザーを抱きしめる。しかし真面目な友人であるヴォルフラムがタンホーザーを救うために「エリーザベト」と叫ぶと、それが魔法の呪文のように機能し、ヴィーナスは消えてしまう。エリーザベトの棺がやってきて、その死体に覆いかぶさるようにしてタンホイザーも死んで幕。ワーグナーの原作では、ト書きを含めてこれしか書かれておらず、しかもあっという間の出来事である。エロス的衝動の愛(第1幕)と聖なる愛(第2幕)との対立は、どのように解決されたのだろうか。(写真↓は第1幕のヴィーナス)

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ウォーナーによれば(プログラムノート)、これを書いた時期のワーグナー(30歳頃)はフォイエルバッハに傾倒していた無神論者であり、ワーグナー自身も「《タンホイザー》をキリスト教的に解釈しないように注意を促している」(ワーグナー『友人たちへの伝言』)。つまり、官能に溺れる「おぞましい愛」とキリスト教的な「聖なる愛」との対立が後者の勝利に終わるという、単純な話ではないのだ。ウォーナー演出のこの舞台では、終幕ヴィーナスは消えず、打ちのめされてふてくされたようにそのまま長椅子に横になっている。これはどういう意味なのだろうか? タンホイザー、エリーザベト、ヴィーナスの三者とも「敗北」して、誰も勝利しなかったということだろうか。ワーグナー原作では、ヴィーナスが敗北したことは確かだが、エリーザベトもタンホーザーも勝利したわけではない。これは「解決」なのだろうか? ワーグナーは死の少し前に、妻のコジマに「《タンホイザー》はまだ直すところがある」と言ったが、やはりまだ《タンホイザー》は未完の作品なのだと思う。(写真↓は舞台等)

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