[演劇] 文学座『岸田國士恋愛短編集』

[演劇] 文学座岸田國士恋愛短編集』 信濃町文学座アトリエ 4月12日

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岸田の初期の作品、「恋愛恐怖病」(1926)、「チロルの秋」(1924)、「命を弄ぶ男ふたり」(1925)の三本立て。いずれも40分の作品で、文学座若手俳優と演出家で上演。どれも面白く、役者も上手い。三つとも「人と人との距離感distance」が主題になっており、案内パンフには「他者と繋がりたい、でも繋がりたくはない、という相反する欲望をかかえる登場人物たち」とある。とても現代的なテーマではないか。『恋愛恐怖症』は会話だけで成り立っている劇で、その会話がとても素晴らしい。冒頭、二人の男女が、海岸に、デートのようなそうでないようなふうに並んで座っていて、互いに恋愛関係にはならずに、よい友達でいたいね、と話し始める。そして、「相手のこういうところを尊敬するから友達でいるのだ」云々と、突っ込んだ人間観察を二人は互いに披瀝するのだが、二人は本当は好意を互いにもっており、特に女は男を愛しているので、「よい友達」という状態はたちまち破綻してしまう。今は「友だち以上恋人未満」という言葉もあるが、100年前にもやはり若い男女の間では、友達であることと恋人であることとの連続と断絶が重要な課題だったことが分かる。(写真は「恋愛恐怖病」の三人の役者と演出)

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『恋愛恐怖病』は絶妙な会話によって劇が進行するのだが、しかし、現代の男女だったら、こういう状況でこんなことは言わないよね、と感じる場面もあり、やはり何かしっくりこないものも残る。おそらくそれは、これが書かれた1926年には、西洋由来の「恋愛」というものがまだよく理解されておらず、若者はまだ恋愛というものを模索中だったからではないだろうか。もちろん日本の太古から、男女の「惚れた腫れた」の関係はあったわけだが、現代の我々が「恋愛」と呼ぶものは、西洋近代に発したある種の様式、それは制度ではないにしても、付き合い方の一定のマナーにもとづく男女関係なのだ。平安時代以来、「恋」という言葉はあったが、「愛」はまったく異なった概念であった。「恋愛」というのは明治以降にできた言葉だが、西洋の「ラブlove」という概念は日本に移入するのが困難であった。現代でさえも、相手に面と向かって「愛している」とは、なかなか言いにくい言葉であると思う。それを考えると、『恋愛恐怖病』の次のやり取りは、不思議な感じがする(戯曲は青空文庫より引用)

 

女:なによ? あたしは、煮えきらない男は嫌いよ・・・

男:煮え切るも煮えきらないも、別段、今、決心をしなければならん場合じゃないでせう。

女:(ふき出して)決心をしなけりやならん場合よ。([男が立ち去ろうとすると、女は]いきなり、男の手をつかまへて、そばへ引き据える) 駄目! 駄目よ、行つちや・・・

男:さ、放してください。

 

ここまではいい。1926年の日本でも、こういう状況では、このように男女は発話しただろう。しかし、その少し後が不思議だ、

 

女:(お話を聴かせてあげるやうに)さうよ、あなたは、どんなに得意におなりになつてもいいわ、あなたは、一人の女から、命をかけて愛されていらつしゃるのよ

男:その愛を、僕は、命をかけて拒もうとしてゐるのです

・・・・

女:あたしたちは、先ず決して誓ひというものを立てません。その代り、あたしたちは、誰もゐないところへ行つて、二人だけの愛の巣をつくります。あたしたちは、夜が明けてから、日が暮れるまで顔を合はせないやうにします。あたしは、その間、なるだけ寂しさうな顔をしてゐます。あなたが、いつ、なんどき、あたしのしてゐることを、見にゐらつしやるかわからないから・・・

(男が「さよならをしませう」と言うと)

女:(力なく、しかし、男の口調を真似て) よからう。(間) ところが、もう真暗だ。ホテルまで送つて来てくれ給へ。ついでに、晩飯を一緒に食はうぢやないか。(間) よかつたら、僕んところへ泊まつて行くさ。部屋はいくらでもあいてる。・・[男が行こうとすると] 駄目だよ、そんなに急いぢや・・・。(男を引き留める) どら、どんな顔をしている。(男の顔を覗き込む) ちつたあ、笑へよ。(と云ふなり、男の頬へ唇を当てる)

男:なにするんです。(と云ひながら、驚いて女を突きのけ、逃げ去るように走り去る)

女:(笑ひながら) 戯談よ、今のは戯談・・・。何処へ行くの・・・。もうしないつてば・・・。本当にもうおしまひよ

[この「おしまひよ」は、冗談=お芝居はおしまいよ、という意味である。でも、一人残された女は、この後、深夜まで、浜辺で一人すすり泣いていた]

 

ここは、この劇のクライマックス。フランスに留学しフランス人の恋愛をたくさん見てきた岸田國士が、考えに考え抜いて創作した科白だと思う。男言葉になって求愛するこの女は、何と魅力的なのだろう! 私は一瞬、『お気に召すまま』のロザリンドを思い出した。男言葉だけでなく、「芝居をしている」ふりをしながら求愛するのも同じだ。でも、そんな女が1926年の日本に、本当にいただろうか? このシーンはやはり、岸田が理想化する「恋愛」を描いているのではないか? 演劇は、人間の生き様を「必然性のある可能態として再現する」(アリストテレス詩学』)。このシーンは、1926年の男女が真剣に恋愛を模索しているという点で「必然性」があるだろう。(写真↓の、右下から左に、「恋愛恐怖病」の女と男、上と左下は、あと二つの劇)

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