[演劇] 歌舞伎『桜姫東文章(上の巻)』

[演劇] 歌舞伎『桜姫東文章(上の巻)』 歌舞伎座 4月21日

(写真は、序幕第二場「桜谷草庵の場」、権助(仁左衛門)と桜姫(玉三郎)の濡れ場は本当に凄い)

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『桜姫』は、2009年に現代演劇版とコクーン歌舞伎版で二回観たが(清玄=中村勘三郎、白菊丸=七之助)、純粋の歌舞伎形式はこれが初めて。あらためて思うに、『桜姫』はこんなにエロティックな作品なのだ。権助と桜姫が互いの帯を解き合うシーンなど、さすがの『ドン・ジョバンニ』にもない。出だしの花道、僧・清玄(仁左衛門)と白菊丸(玉三郎)が出てくる最初のシーンからして、清玄は白菊丸の膝を少し開いて撫でている。ただし、仁左衛門玉三郎だからこそ、ここまで美しいエロスを表現できたのだ。この作品は、どちらかというと女性観客向きで、江戸時代の歌舞伎の観客には、BLを読んでる腐女子もいたのだろうと想像してしまう。この作品の魅力は、異性愛と同性愛を絡めたところにあり、その「性倒錯」性にあるだろう。全体が、美しい倒錯的なエロスに溢れている。白菊丸の生まれ変わりである桜姫が、自分を犯した権助の入れ墨をこっそり自分にしてしまうのも、倒錯の極みだ。こんなお姫様は、西洋の演劇にもオペラにもない、すごいキャラではないか。(写真下は、1975年の伝説の舞台、桜姫と白菊丸(玉三郎=25歳)と権助(仁左衛門=31歳))

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私の理解では、我々すべての男女は、多少は両性具有的なところがあり、誰もが性倒錯的な要素を少しはもっているのだと思う(精神分析ユングはそう言っている)。宝塚はもちろん、ヘンデルのオペラは宝塚みたいだし、シェイクスピアの『十二夜』『お気に召すまま』、そして『フィガロの結婚』のケルビーノ、『薔薇の騎士』のオクタヴィアン、『ワルキューレ』のブリュンヒルデ(戦闘美少女)など、ぜんぶトランス・ジェンダーだ。つまり、性倒錯的な要素は、エロス的な愛を魅力的なものにする不可欠な要素なのかもしれない。『桜姫』を観ていて、そんなことを思った。それにしても仁左衛門は、不良青年をやらせたら最高だ。この権助とか、『女殺油地獄』の与兵衛とか・・。そして思うに、女性は一般に(すべてではないが)、優等生的な青年よりは不良青年に惹かれるのかな。 『ドン・ファン』もティルソ・デ・モリーナの原作では、17歳くらいのやんちゃな不良青年だ。仁左衛門権助のすごい色気も、それに似たものを感じさせる↓。

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