アラン・ロブ=グリエ 『嘘をつく男』

[映画] アラン・ロブ=グリエ 『嘘をつく男』 横浜シネマリン 2月6日

(写真↓から分かるように、ロブ=グリエ映画の映像美はすべて、人間の肉体をオブジェとして捉え、幾何学的かつ質料的背景の中に置くことによって成り立っている)

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ロブ=グリエの小説『消しゴム』は、人間を完全なオブジェとして、それを視覚的に記述する。彼の映画もすべて同じで、私が今回見た5作目の『嘘をつく男』(1968)もまさにそうだった。『快楽』『エデン』などと違って、裸体はまったく出てこないが、視覚的オブジェとしての人間が本当に美しい。本作では、ナチスの兵士に追われて森の中を逃げ惑うトランティニヤン↓など、端正なスーツを着た男たちの身体が美しい。洞窟、古い城郭の中の石の部屋、鉄器具、鏡、絵画、古道具など、たしかに人間は幾何学的・質料的な背景の中に配置されたオブジェでもある。そして音響、本作では「ノイズ」が傑出している。

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彼のどの映画にも筋というものがなく、すべて不条理劇になっているのも、人間の肉体に視覚的オブジェとしての意味だけを与え、それ以外の人間的意味を剥奪するためだろう。本作はスロヴァキアで撮影されたためか、ナチス時代のレジスタンスにおける、闘士、裏切り、密告などの物語だが(「嘘をつく」という題の由来)、最初から最後まで登場人物の行動の意味はほとんど分らない。ロブ=グリエ自身の解説によれば、本作はモーツァルトドン・ジョバンニ』、プーシキン『ボリス・ゴドゥノフ』、ボルヘス『裏切り者と英雄のテーマ』等々多くの文学・芸術作品からの「引用」場面が含まれているそうだが、それはふつうの鑑賞者には分からない。映画というのはもともと大衆向けの娯楽だが、ブレッソンベルイマン、レネ、ゴダールなどの芸術映画もあり、ロブ=グリエはそうした系譜の中でもっとも難解なものだろう。彼の映画には妻のカトリーヌ・ロブ=グリエが出てくるようだが、本作では薬剤師の役割で、とても良かった↓。彼女は『イマージュ』という有名なSMポルノ小説を書いており、SM実践の大家らしいが、確かに夫の映画もその影響を受けている。

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4分間の動画が↓。やはり、彼の映画はどれも、「石の家」と調和的です。

https://www.youtube.com/watch?v=TCBXkhGCwfc

チェルフィッチュ 『スーパープレミアムソフトWバニラリッチソリッド』

[演劇] チェルフィッチュ『スーパープレミアムソフトWバニラリッチソリッド』 シアター・トラム 2月2日

 (写真下は舞台、コンビニに働くバイト店員たち、店長、お客などが登場人物、ふだんのチェルフィッチュのように小刻みに体を震わせる脱力系の身体運動だけでなく、ダンス的な速い運動も加わる)

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チェルフィッチュは、これまで数回しか見ていないが、今回が一番面白かった。2014年上演の『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』に「ソリッド」を加えたのが、今回の再演。私は初見だが、演劇にこんなことができるのかと感嘆した。こういうことを考えつく岡田利規は天才だと思う。(キース・ジャレットの弾くピアノ版)バッハ『平均律クラヴィーア曲集』に合せて、身体が「踊る」のは何と素晴らしいのだろう!しかも開幕から終幕まで、ワーグナーの無限旋律のように切れ目なくぶっ続けで!  音楽と、身体運動と、科白の言葉とが、三つ重なると、そこには無限に多様な感情、意思、思いなどが表現されて立ち現れる。同じ曲が何度か繰り返し使われるが、体の動きと科白が違えば、同じ音楽でも違った感情や思いを表現できる。バッハの音楽がこのように使われたことが、かつて一度でもあっただろうか!?

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ダンス的パフォーマンスだけでなく、演劇としてちゃんと主題もあり、それが見事に表現されている。それは、芥川賞受賞の村田沙耶香コンビニ人間』(2016)とも共通していて、コンビニという場所は、現代社会の人間関係のある側面を先鋭に表しており、そこでのディスコミュニケーションと人間関係の奇妙なねじれが主題。『コンビニ人間』もそうだったが、コンビニはちょっと変わった変な客も来るのだ。「スーパー」「プレミアム」「リッチ」などという大げさな修飾が付いているがフツーのアイスクリーム「スーパープレミアムソフトWバニラリッチ」を毎日必ず買いに来る奇妙な女の子がいる。このアイスが新製品に変更になったのだが、ぜんぜん味が違うものになったと、彼女は激しく抗議する。「いやいや、どうもすみません」とバイト店員の女の子が必死で慰める。そうかと思えば、何も買わないでひやかしにだけやってくる長身の美青年もいる。彼はバイト店員に「最低の時給で使われている君たちは、搾取されているのに、分らないのかな」とか言って、とてもナルシスティックなダンスを踊る。彼はきっとお金持ちのお坊ちゃまなのだろう。しかしそういう彼は、トイレを借りにコンビニに来たとき、店員から意地悪されて貸してもらえない。チェルフィッチュ特有の小刻みな身体運動で、お尻をプリプリ激しく震わせているうちに(=もの凄くリアル!)ウンコをもらしてしまう(写真下の左の白い服の青年↓)。そうかと思えば、上部から派遣されてくるスーパーバイザーは、店の売り上げが低迷しているので、本部から自分の責任にされるとして、店長を激しく詰問する(写真下の右の黒い服)。コンビニという存在をとてもよく表しているではないか。何と面白い演劇だろう。演劇における笑いの批評性が全開の作品だ。

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1分間ですが、初演の映像↓。バッハ(チェンバロ)と身体運動のこの「取り合せ」の妙!

https://www.youtube.com/watch?v=yHu7NJxGzo8

RoMT.  シェイクスピア『十二夜』

[演劇]  シェイクスピア十二夜』 劇団RoMT. 横浜・若葉町ウォーフ 1月31日

 (写真下は、冒頭、船長に男装を頼む難破したヴァイオラ、その下は、トービーと道化フェステ、フェステが女性なのもいい)

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客席44の小部屋だが、熱のこもった『十二夜』だった。さまざまな場面で演出の工夫が感じ取れた。『十二夜』は、主筋の切なく美しいしみじみとした恋と、副筋のドタバタ喜劇とを、どう平行させ、どう接合するかがとても難しい。トレヴァー・ナンの映画版が、切なく美しい恋をうまく表現できたのは例外的な傑作で、ほとんどの舞台は、どうしてもファース(=笑劇)中心になる。そのポイントは、激しい感情と誇張した身体表現を、どこでぎりぎり寸止めにして、ドタバタの滑稽さに陥らないようにするかにある。マルヴォーリオやサーアンドルー関係を限りなくドタバタにし、ヴァイオラは滑稽にしないのは、どの上演も同じで、それでよいのだが、問題はオリヴィアである。彼女は「私もマルヴォーリオと同じでmadよ」と言うことから分るように、男装のヴァイオラに恋するあの舞い上がりぶりは滑稽なのだが、でも、観客の我々は、「こんな美少年なら恋しちゃうよね、分かる分かる!」と共感し、彼女に感情移入するのでなければならない。そのバランスがとても難しい。昨夏のオックスフォード大学学生公演(OUDS)は、ヴァイオラ、オリヴィア、マライアを女子高校生のように可愛らしく、60年代ファッションに仕立てていたので、成功していた。しかし今回のオリヴィアは、少女ではなく成熟した大人の女性。(下記は↓、OUDS公演の私のブログ記事、その下の今回の写真は、左からオリヴィア、マライア、ヴァイオラ、少女マライアが可愛い!)

https://charis.hatenadiary.com/entry/20180805

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今回の舞台で、演出が工夫し、感情と身体表現を強調した成功箇所は幾つもある。まず第1幕、ヴァイオラがオリヴィア邸を訪問したとき、ヴェールを被ったマライアがあわててエプロンを捲し上げ、膝を開いて座ってしまう(普通の上演は、マライアはもっと冷静)。第2幕、ヴァイオラがオーシーノ公爵に「女の恋」を激しく訴え、感動のあまりヴァイオラとオーシーノがしっかり抱き合う(これは初めて見た)。第3幕、ヴァイオラが、「あの人、今、私をセバスチャンと呼んだ、まさか、お兄様は生きているのだわ、ああ、この想像よ、当たってね!」と叫んで走り出すシーン等々。でも、全体にオリヴィアはちょっと滑稽にし過ぎたように思った。あと、終幕のヴァイオラの最重要シーン、「お兄様、私を抱きしめるのはちょっと待って、まもなく時と所と運命が、声を一つにして叫ぶでしょう。そうよ、私がヴァイオラよ!」のところ、そさくさとやらず、ゆっくりとやってほしかった。今回は、二人が駆け寄って、すぐに抱き合ってしまったので、この科白がちゃんと言われなかったではないか!それから第3幕、オリヴィアに「To bed !」と言われてマルヴォーリオが舞い上がるシーン。ケンブリッジ・高校生版テクストでは、ここは「amorous invitation(=性愛の誘い)」と註が付いているくらいで、もっと大げさにやらないと、知らない人には分からない。それでも、今回の舞台は、熱演がとても良かった。大いに楽しめた。写真下は、マルヴォーリオ、サーアンドルー、フェビアンなども)

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今日のうた(93)

[今日のうた] 1月ぶん

(写真は榎本其角1661~1707、芭蕉の高弟で、職業は医者だった、明るく華やかな句を

作るひと、酒が好きだったせいか、47歳で没す)

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  • 鐘ひとつ賣れぬ日はなし江戸の春

 (榎本其角、1698年の元日に詠まれた歳旦句、作者は38歳、そんなにたくさん売れるはずのない寺の鐘が、江戸の町では毎日一つは売れるという、景気がいいのだ、こういう明るい冗談で正月を祝った) 1.1

 

 (渡辺松男『短歌』2018年1月号、「弥勒のまへか」が卓越、宇宙の悠久の時の流れを人間と結びつける、弥勒菩薩は、釈迦入滅の後56億7千万年後に、この世に現われて衆生を救うと言われる、我々の住む銀河系(=天の川銀河)とアンドロメダ銀河は、どちらも星雲) 1.2

 

  • おみくじを何度引いてもわからない君がどうして怒っているか

 (うにがわえりも「半減期」『かばん・新人特集号第7号』、最近、彼女を怒らせてしまった作者、おみくじを何度も引いてみるが理由は不明、おみくじは過去のことには関心がないのだ、作者は山形在住の若い歌人)1.3

 

  • さうか、もうきみはゐないのか 気になつて誰のことばであつたか検索(さが)す

 (今野寿美『短歌』2018.1、作者は「さうか、もうきみはゐないのか」という言葉を、どこかで聞いたことがあると思い検索する、亡き妻を綴った城山三郎の遺作『そうか、もう君はいないのか』だった) 1.4

 

  • 冬薔薇に開かぬ力ありしなり

 (青柳志解樹『松は松』1992、冬薔薇は、他の季節の薔薇と違って、蕾から開くまでに長い時間がかかる、それを「開かぬ力ありしなり」と詠んだ、作者1929~は俳誌「山暦」主宰の人) 1.5

 

  • 冬がれや田舎娘のうつくしき

 (正岡子規1891、漱石と同じ年に生まれた子規1867~1902のもっとも初期の句、子規と同じ村に住む娘なのだろうか、東京の街中ではなく「冬がれ」の中にいる彼女、「ああ、君は美しい!」と彼は感じた) 1.6

 

  • 星一つ見えて寐られぬ霜夜哉

 (夏目漱石1895、漱石1867~1916の若い頃の句、子規の指導で熱心に俳句を作り始めた時期、素直だけれど、味わいがある句、「星が一つ見えるので、それが気になって寝られない」というのが、漱石らしいのではないか) 1.7

 

  • 花あまたもつ寒木瓜(かんぼけ)の枝たわめ遊ぶ雀を見てゐる雀

 (大岡博『春の鶯』1982、寒ボケの花は小さい、そして葉もほとんど出ていない、だから枝に遊ぶ雀の姿がよく見える、「遊ぶ雀を見てゐる雀」がとてもいい) 1.8

 

  • ひとりごつ如くに降りてまた見ればひっそりとただ積もりいる雪

 (高安国世『虚像の鳩』1968、雪は「独りごとを言う」だろうか、もちろん言わない、でも、雪はあたかも「独りごとを言う」かのように静かに降っている、そして「ひっそりとただ積もってゆく」) 1.9

 

  • 小杉ひとつ埋れむとして秀(ほ)を出せる雪原(ゆきはら)をゆくきのふもけふも

 (斎藤茂吉『白き山』1949、戦後、山形県の寒村に籠った茂吉、降雪がすごく、小さな杉が深い雪に「埋もれそう」だが、先端の「秀」は青々としている、そんな雪原を茂吉は「きのふもけふも」行く) 1.10

 

  • 雪中の閼伽(あか)あたゝかく汲まれけり

 (西島麦南『西島麦南全句集』1983、「閼伽」とは仏壇などに供える聖水のことを言うが、ここでは井戸から汲んだ水のことだろう、深い雪に埋もれた井戸から汲んだ水は「あたたかく」澄んでいる) 1.11

 

  • 夜すがらや竹氷らする今朝の霜

 (芭蕉、真蹟短冊、貞享~元禄年間、「昨夜はずっと凍るように冷たかったな、朝、外を見ると、竹はすっくと立っているけれど、葉は真っ白で、まるで氷のようだ」) 1.12

 

  • たんぽゝのわすれ花あり路の霜

 (蕪村1777、今の日本では西洋タンポポ(1904年頃移入か)が多いので、冬でも黄色い花を付けているのを見ることは多い、しかし蕪村の頃は日本タンポポのはずなので、「帰り花」「わすれ花」は珍しかったはずである) 1.13

 

  • 冬枯にめらめら消(きゆ)るわら火哉

 (一茶1805、「わら火」とは藁火、つまり藁を燃やした火のこと、一茶はちゃんとした薪を買えないのだろう、冬枯れの小枝を集め、まず藁に火をつけたが、一瞬燃え上がっただけですぐ消えてしまった、めらめら消る」が悲しい) 1.14

 

  • 剥落はやさしきものか人生のいつからとなくなにからとなく

 (小島ゆかり「ブランコ」2018、「剥落」とは、樹木の皮、壁、絵画などの表面が薄く剥げ落ちること、でも作者は人間の皮膚のことを言っているのではないか、古くなった皮膚の「剥落」には、どこか「やさしさ」がある)  1.15

 

  • 言えません 言ってしまえば楽だけど口に出したら本音になるので

 (カン・ハンナ「膨らんだ風船抱いて」2017、作者は韓国から日本の大学院に留学している若い人、研究者として同僚に接する中に、ひょっとして、韓国人であることの微妙な居心地の悪さがあるのだろうか) 1.16

 

  • 大きなる白き炎と見ゆるほど灯に照らされて枯れ木は立てり

 (山川築「オン・ザ・ロード」2018、完全な夜、強いライトに照らされた枯れ木は、昼間とは大いに印象が違う、昼間は、むしろ光の中の影の部分のように見えるが、夜は、光そのもののように見える、陽画/因画の逆転のよう) 1.17

 

  • 女の身マスクの医師に見つめらる

 (寺山修司1952、作者は16歳、すぐ前に「咳のノドひらけば女医の指はやき」とある、マスクをした女医が口内の喉を見、次に診断の一部として作者の顔を無言で眺めたのだろう、見られている作者は、女医に「女の身」つまり「女」を感じた) 1.18

 

  • 髪の雪直ぐに乾けり幸(さち)なきごと

 (金子兜太1947「結婚前後」、トラック島出征から米軍捕虜を経て帰国した最初の冬、結婚する直前の彼女だろう、「髪にわずかの雪が積もった彼女はいつになく美しいな、でもすぐに融けてしまった、残念」) 1.19

 

  • 石の家にぼろんとごつんと冬がきて

 (高屋窓秋1948『石の門』、作者が満州から帰国後の句だから、石の家は日本国内、前の句に「木の家のさて木枯を聞きませう」とあるから石と木の両方あるのだ、石の家は硬い、冬が来て「ぼろんとごつんと」音がする、木の家はそんな音はしない) 1.20 

 

  • 花ひらくこともなかりき抽象の世界に入らむかすかなるおもひよ

 (葛原妙子『橙黄』1950、作者1907~85は塚本邦雄が「幻視の女王」と呼んだように、超現実の前衛的な短歌を詠んだ、「花ひらくこともなかりき」の「き」は終止形、主語は何なのだろう) 1.21

 

  • われの未来といつまじはらむ排水管くねりて地(つち)に没(もぐ)りゆきしのち

 (塚本邦雄『日本人霊歌』1958、水を詠んだ歌、排水管を経て地下に流れた水は、川や海に出て、蒸発して雲となり雨として降ったり、あるいは魚として食べたり、いつか「われの未来とまじわる」のだろうか) 1.22

 

  • 説を替へまた説をかふたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく

 (岡井隆『朝狩』1964、60年安保の後、政治的立場あるいは思想的立場を変える「転向」を作者は意識する、だがこの歌はユニークだ、苦い思いを、「たのしさのかぎりも知らに、冬に入りゆく」と詠んだ) 1.23

 

  • 中天に月冴えんとしてかゝる雲

 (高濱虚子、季語「冴ゆる」は冬の凍るような冷たさを言う、「冬の月が凍るように冷たく光っている、そこに今、うすい雲がかかった、少し冷たさが和らぐような・・」、ちょうど今、冬の月が美しい) 1.24

 

  • 寒雀もんどり打つて飛びにけり

 (川端茅舎1934『華厳』、「もんどり打つて」がいい、「戻り打つ」のこと、「寒さに全身の毛を膨らませて止まっていた雀が、突然、飛び上がり、空中で一回転して飛び去った」、一瞬のことだが不安的な感じがあったのか) 1.25

 

  • 瓶(かめ)割るる夜の氷の寝覚めかな

 (芭蕉1686真蹟懐紙、「凍りつくような寒さに目が覚めてしまった、台所で、瓶の水が凍って、瓶が割れた音がしたような気がする」、暖房のない昔、厳冬期の夜の寒さは体にこたえた) 1.26 

 

  • 母さんの金の指輪よその肉に食い込みすぎていてこわかった

 (穂村弘「リング・ワンダリング」2018、小さな指環は、ほっそりした指には似合うが、むくんだ指や太すぎる指には似合わない、若い人でさえそうなのだから、いわんや「母さん」においてをや) 1.27

 

  • 大切に胸に抱かれ退場するチェロはいかにも一人のおんな

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、チェロという楽器は、人に抱きかかえられて弾かれるようなところがある、この場合は、チェリストは男性なのだろう、演奏が終わり彼女を抱きかかえるように退場) 1.28

 

  • だれか褒めてくれないかなあと呟けば娘が頭を撫でてくれたり

 (永田紅『短歌』2019年1月号、コメントによれば、作者には5歳2ヵ月の娘がいる、もう自分を「わたし」と呼ぶようになった、母親はその早さに驚いている) 1.29 

 

  • 大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり

 (花山多佳子『木香薔薇』2006、ネギはよく束ねて壁に立てかけてある、そういえば大根も同じことが可能なのだろうか、もしこの大根が一本だとすれば、何だか不思議) 1.30 

 

  • あなただけ方舟に乗せられたなら何度も何度も手を振るからね

 (馬場めぐみ『短歌研究』2011年10月号、これは愛の歌なのか、ノアの方舟には男女一人ずつが選ばれて乗る、もし仮に、作者は選にもれて乗れず彼氏だけが乗ったら、でも、愛を込めて何度も手を振るわ、と) 1.31

ケストナー原作、井上ひさし『どうぶつ会議』

[演劇] ケストナー原作、井上ひさし『どうぶつ会議』  新国立劇場・小  1月29日

  (写真下は、ライオンの王様のアロイス[=元宝塚女優の大空ゆうひ]、その下はその弟のライオン[=栗原類]、日本のサーカス団の仲間の動物たち、すごい美女とイケメンをライオンの兄弟にしたのがいい)

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エーリヒ・ケストナーが1949年に書いた児童文学をもとに、井上ひさしが演劇化し、1972年に劇団四季で上演された。それを今回、田中麻衣子演出の新しいバージョンで、こまつ座が初演した。とてもよく出来た楽しい劇で、ぜひ子供たちに見せたいと思う。ケストナーの原作は、第二次大戦への反省にもとづき、動物たちが、「国という単位を廃止しよう、すべての軍隊を廃棄しよう」という国際条約を呼びかけ、子供たちがそれに賛同し、最後はしぶしぶ大人たちの国際会議もそれを承認するという物語。まさに、日本国憲法の思想そのものだ。井上ひさしの演劇版は、72年なのでそれに公害問題が加わっているのがユニーク。動物たちが、自分たちの要求を認めさせるために、人間の将軍や政治家たちと戦うのは原作と同じだが、原作ではネズミが人間の会議の資料を食べてしまい、蛾の大群が会議場の将軍の服を食べて裸にしてしまう。井上版でも、虫の大群が将軍を襲い、公害工場の煙突を襲撃する。だが、原作も井上版も、人間の知恵が勝って動物の襲撃作戦は敗北する。そのとき将軍や政治家たちは、「我々には文書と兵器があるが、動物たちには無い」と誇らしげに言う。これは鋭い発言で、情報伝達の媒体と兵器という意味だ。これらは人間の知恵が作り出したものだが、これが人間を滅ぼすことになるかもしれない。だが、この襲撃に敗れた後、今度は、世界中の子供たちが動物に味方して家出するので、最後は動物たちが勝利する。原作も井上版も、全編がユーモアに溢れているのがよい。↓

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 井上版でとてものよいのは、原作にはない日本のサーカス団の動物たちを設定したことだ。私も以前、たまたま近所に来た地方サーカスの動物たちを見たことがあるが、サーカス団の動物たちは、ふだんはとても小さい檻に入れられてかわいそうだった。そして、ライオンの王様の美女アロイスは杖をついている障害者なのだ。子どもも障害者も弱者で、戦争の一番の被害者でもある。どうぶつ会議で採択される「どうぶつ憲章」の歌もいい。ボウフラやミミズなど、普通は人間に嫌われる「害虫」なども、堂々と生存の権利を主張している。動物多様性の重要性を人間たちが認識したのは最近だ。井上版の「どうぶつ会議」は、日本国憲法エコロジーの思想を正面から打ち出した、思想劇であり政治劇といえる。そして子供たちにもよく分かる。写真下は、動物たちを虐待するサーカス団長↓。

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