今日のうた(93)

[今日のうた] 1月ぶん

(写真は榎本其角1661~1707、芭蕉の高弟で、職業は医者だった、明るく華やかな句を

作るひと、酒が好きだったせいか、47歳で没す)

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  • 鐘ひとつ賣れぬ日はなし江戸の春

 (榎本其角、1698年の元日に詠まれた歳旦句、作者は38歳、そんなにたくさん売れるはずのない寺の鐘が、江戸の町では毎日一つは売れるという、景気がいいのだ、こういう明るい冗談で正月を祝った) 1.1

 

 (渡辺松男『短歌』2018年1月号、「弥勒のまへか」が卓越、宇宙の悠久の時の流れを人間と結びつける、弥勒菩薩は、釈迦入滅の後56億7千万年後に、この世に現われて衆生を救うと言われる、我々の住む銀河系(=天の川銀河)とアンドロメダ銀河は、どちらも星雲) 1.2

 

  • おみくじを何度引いてもわからない君がどうして怒っているか

 (うにがわえりも「半減期」『かばん・新人特集号第7号』、最近、彼女を怒らせてしまった作者、おみくじを何度も引いてみるが理由は不明、おみくじは過去のことには関心がないのだ、作者は山形在住の若い歌人)1.3

 

  • さうか、もうきみはゐないのか 気になつて誰のことばであつたか検索(さが)す

 (今野寿美『短歌』2018.1、作者は「さうか、もうきみはゐないのか」という言葉を、どこかで聞いたことがあると思い検索する、亡き妻を綴った城山三郎の遺作『そうか、もう君はいないのか』だった) 1.4

 

  • 冬薔薇に開かぬ力ありしなり

 (青柳志解樹『松は松』1992、冬薔薇は、他の季節の薔薇と違って、蕾から開くまでに長い時間がかかる、それを「開かぬ力ありしなり」と詠んだ、作者1929~は俳誌「山暦」主宰の人) 1.5

 

  • 冬がれや田舎娘のうつくしき

 (正岡子規1891、漱石と同じ年に生まれた子規1867~1902のもっとも初期の句、子規と同じ村に住む娘なのだろうか、東京の街中ではなく「冬がれ」の中にいる彼女、「ああ、君は美しい!」と彼は感じた) 1.6

 

  • 星一つ見えて寐られぬ霜夜哉

 (夏目漱石1895、漱石1867~1916の若い頃の句、子規の指導で熱心に俳句を作り始めた時期、素直だけれど、味わいがある句、「星が一つ見えるので、それが気になって寝られない」というのが、漱石らしいのではないか) 1.7

 

  • 花あまたもつ寒木瓜(かんぼけ)の枝たわめ遊ぶ雀を見てゐる雀

 (大岡博『春の鶯』1982、寒ボケの花は小さい、そして葉もほとんど出ていない、だから枝に遊ぶ雀の姿がよく見える、「遊ぶ雀を見てゐる雀」がとてもいい) 1.8

 

  • ひとりごつ如くに降りてまた見ればひっそりとただ積もりいる雪

 (高安国世『虚像の鳩』1968、雪は「独りごとを言う」だろうか、もちろん言わない、でも、雪はあたかも「独りごとを言う」かのように静かに降っている、そして「ひっそりとただ積もってゆく」) 1.9

 

  • 小杉ひとつ埋れむとして秀(ほ)を出せる雪原(ゆきはら)をゆくきのふもけふも

 (斎藤茂吉『白き山』1949、戦後、山形県の寒村に籠った茂吉、降雪がすごく、小さな杉が深い雪に「埋もれそう」だが、先端の「秀」は青々としている、そんな雪原を茂吉は「きのふもけふも」行く) 1.10

 

  • 雪中の閼伽(あか)あたゝかく汲まれけり

 (西島麦南『西島麦南全句集』1983、「閼伽」とは仏壇などに供える聖水のことを言うが、ここでは井戸から汲んだ水のことだろう、深い雪に埋もれた井戸から汲んだ水は「あたたかく」澄んでいる) 1.11

 

  • 夜すがらや竹氷らする今朝の霜

 (芭蕉、真蹟短冊、貞享~元禄年間、「昨夜はずっと凍るように冷たかったな、朝、外を見ると、竹はすっくと立っているけれど、葉は真っ白で、まるで氷のようだ」) 1.12

 

  • たんぽゝのわすれ花あり路の霜

 (蕪村1777、今の日本では西洋タンポポ(1904年頃移入か)が多いので、冬でも黄色い花を付けているのを見ることは多い、しかし蕪村の頃は日本タンポポのはずなので、「帰り花」「わすれ花」は珍しかったはずである) 1.13

 

  • 冬枯にめらめら消(きゆ)るわら火哉

 (一茶1805、「わら火」とは藁火、つまり藁を燃やした火のこと、一茶はちゃんとした薪を買えないのだろう、冬枯れの小枝を集め、まず藁に火をつけたが、一瞬燃え上がっただけですぐ消えてしまった、めらめら消る」が悲しい) 1.14

 

  • 剥落はやさしきものか人生のいつからとなくなにからとなく

 (小島ゆかり「ブランコ」2018、「剥落」とは、樹木の皮、壁、絵画などの表面が薄く剥げ落ちること、でも作者は人間の皮膚のことを言っているのではないか、古くなった皮膚の「剥落」には、どこか「やさしさ」がある)  1.15

 

  • 言えません 言ってしまえば楽だけど口に出したら本音になるので

 (カン・ハンナ「膨らんだ風船抱いて」2017、作者は韓国から日本の大学院に留学している若い人、研究者として同僚に接する中に、ひょっとして、韓国人であることの微妙な居心地の悪さがあるのだろうか) 1.16

 

  • 大きなる白き炎と見ゆるほど灯に照らされて枯れ木は立てり

 (山川築「オン・ザ・ロード」2018、完全な夜、強いライトに照らされた枯れ木は、昼間とは大いに印象が違う、昼間は、むしろ光の中の影の部分のように見えるが、夜は、光そのもののように見える、陽画/因画の逆転のよう) 1.17

 

  • 女の身マスクの医師に見つめらる

 (寺山修司1952、作者は16歳、すぐ前に「咳のノドひらけば女医の指はやき」とある、マスクをした女医が口内の喉を見、次に診断の一部として作者の顔を無言で眺めたのだろう、見られている作者は、女医に「女の身」つまり「女」を感じた) 1.18

 

  • 髪の雪直ぐに乾けり幸(さち)なきごと

 (金子兜太1947「結婚前後」、トラック島出征から米軍捕虜を経て帰国した最初の冬、結婚する直前の彼女だろう、「髪にわずかの雪が積もった彼女はいつになく美しいな、でもすぐに融けてしまった、残念」) 1.19

 

  • 石の家にぼろんとごつんと冬がきて

 (高屋窓秋1948『石の門』、作者が満州から帰国後の句だから、石の家は日本国内、前の句に「木の家のさて木枯を聞きませう」とあるから石と木の両方あるのだ、石の家は硬い、冬が来て「ぼろんとごつんと」音がする、木の家はそんな音はしない) 1.20 

 

  • 花ひらくこともなかりき抽象の世界に入らむかすかなるおもひよ

 (葛原妙子『橙黄』1950、作者1907~85は塚本邦雄が「幻視の女王」と呼んだように、超現実の前衛的な短歌を詠んだ、「花ひらくこともなかりき」の「き」は終止形、主語は何なのだろう) 1.21

 

  • われの未来といつまじはらむ排水管くねりて地(つち)に没(もぐ)りゆきしのち

 (塚本邦雄『日本人霊歌』1958、水を詠んだ歌、排水管を経て地下に流れた水は、川や海に出て、蒸発して雲となり雨として降ったり、あるいは魚として食べたり、いつか「われの未来とまじわる」のだろうか) 1.22

 

  • 説を替へまた説をかふたのしさのかぎりも知らに冬に入りゆく

 (岡井隆『朝狩』1964、60年安保の後、政治的立場あるいは思想的立場を変える「転向」を作者は意識する、だがこの歌はユニークだ、苦い思いを、「たのしさのかぎりも知らに、冬に入りゆく」と詠んだ) 1.23

 

  • 中天に月冴えんとしてかゝる雲

 (高濱虚子、季語「冴ゆる」は冬の凍るような冷たさを言う、「冬の月が凍るように冷たく光っている、そこに今、うすい雲がかかった、少し冷たさが和らぐような・・」、ちょうど今、冬の月が美しい) 1.24

 

  • 寒雀もんどり打つて飛びにけり

 (川端茅舎1934『華厳』、「もんどり打つて」がいい、「戻り打つ」のこと、「寒さに全身の毛を膨らませて止まっていた雀が、突然、飛び上がり、空中で一回転して飛び去った」、一瞬のことだが不安的な感じがあったのか) 1.25

 

  • 瓶(かめ)割るる夜の氷の寝覚めかな

 (芭蕉1686真蹟懐紙、「凍りつくような寒さに目が覚めてしまった、台所で、瓶の水が凍って、瓶が割れた音がしたような気がする」、暖房のない昔、厳冬期の夜の寒さは体にこたえた) 1.26 

 

  • 母さんの金の指輪よその肉に食い込みすぎていてこわかった

 (穂村弘「リング・ワンダリング」2018、小さな指環は、ほっそりした指には似合うが、むくんだ指や太すぎる指には似合わない、若い人でさえそうなのだから、いわんや「母さん」においてをや) 1.27

 

  • 大切に胸に抱かれ退場するチェロはいかにも一人のおんな

 (杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010、チェロという楽器は、人に抱きかかえられて弾かれるようなところがある、この場合は、チェリストは男性なのだろう、演奏が終わり彼女を抱きかかえるように退場) 1.28

 

  • だれか褒めてくれないかなあと呟けば娘が頭を撫でてくれたり

 (永田紅『短歌』2019年1月号、コメントによれば、作者には5歳2ヵ月の娘がいる、もう自分を「わたし」と呼ぶようになった、母親はその早さに驚いている) 1.29 

 

  • 大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり

 (花山多佳子『木香薔薇』2006、ネギはよく束ねて壁に立てかけてある、そういえば大根も同じことが可能なのだろうか、もしこの大根が一本だとすれば、何だか不思議) 1.30 

 

  • あなただけ方舟に乗せられたなら何度も何度も手を振るからね

 (馬場めぐみ『短歌研究』2011年10月号、これは愛の歌なのか、ノアの方舟には男女一人ずつが選ばれて乗る、もし仮に、作者は選にもれて乗れず彼氏だけが乗ったら、でも、愛を込めて何度も手を振るわ、と) 1.31