映画 『シルヴィア』

[映画] 1.22  「シルヴィア」 2003、イギリス映画  シネスイッチ銀座


上智大学の補講の帰り、銀座に寄る。ロードショーを観るのは久しぶり。詩人シルヴィア・プラス(1932-63)の伝記映画だが、この種の映画の難しさを痛感する。夫でその後英国の桂冠詩人となったテッド・ヒューズは、死の直前に、彼女との日々を綴った詩集『誕生日の手紙』を刊行した(98年)。それと彼女の遺作詩『エアリアル』を主要原典として、「そこから読み取れる感情を拠り所として脚本を執筆した」と解説にある。傑出した詩人夫婦の結婚の破局の物語なのだから、そこでは当然、詩人としての二人の在り方が描かれていると思っていた。

が、映画からはそれがほとんど読み取れない。詩人の夫を支えるために教師をし、家事と子育てにいそしむ従順な妻。テッドの浮気に嫉妬狂乱し、ひたすら彼の愛を取り戻そうと懇願するが、それもかなわず絶望してガス自殺するシルヴィア。身勝手な夫に捨てられる「普通の女」の物語だ。二人を知る関係者もほとんど存命であり、日記や手紙などの客観的な資料を駆使した結果、こうなったのかもしれない。大学教授の娘で、非常に純粋な女性であったシルヴィア・プラスの結婚生活は、彼女の凄みのある詩とはむしろ違って、実際にはこのように受動的だった可能性もある。しかし製作者は、「伝説的な」女性詩人も結局はごく普通の女なのだと言うために、この映画を作ったのではないだろう。創作者としてのシルヴィアの内面がまったく描かれていないのはおかしい。

非常な美女であったプラスを演じるのは、グウィネス・パルトロウ。陰影に富み、どこか嫌な感じのあるテッド・ヒューズを演じるダニエル・クレイグ。この二人のキャスティングは素晴らしい。だが、どんなにパルトロウのシルヴィアが美しくても、それは詩人シルヴィア・プラスの不在の代償にはならない。それがこの映画を、やるせなく、悲しいものにしている。

英文学者の木村慧子によれば、『エアリアル』における詩「お父さん Daddy」において、シルヴィアは父と夫を殺して復讐し、父や夫から自立して再出発する決意が書かれているという。また、テッドの改作版ではなく、シルヴィア自身の配列した『エアリアル』原稿版の最後の詩「蜂の冬篭り」では、春の再生を歌っており、彼女が本当に死を望んでいたのか疑わしいという。だから、彼女の死を偶然として描く映画も可能だったのではないかと思う。