ケラ『労働者M』

charis2006-02-21

[演劇] ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出
  『労働者M』 渋谷コクーン


(写真はポスターより、キャストの、堤真一小泉今日子松尾スズキ秋山菜津子ら)


ケラリーノ・サンドロヴィッチ(通称ケラ)は1963年生まれの日本人で、ロックバンドや劇団「ナイロン100℃」を主宰。『ウチハソバヤジャナイ』等の、一風変わったナンセンス・コメディで知られる。上演を見るのは初めてだが、残念ながらこれは失敗作だろう。本来は小劇場系の実験的な作品だ。豪華キャストを使い、「商業演劇」として渋谷コクーンで28回もやるなら、もう少し作品の完成度を高めるべきだ。ギャグ中心の個々の演技は面白いが、それを延々と続けて、3時間半(休憩15分)をもたせるのはちょっと無理。演劇にはそれなりの「筋」と「構成」がほしい。観客は若者ばかりで、「生キョンキョンって、カワイーッ!」とか言っていたけれど、本当に芝居好きの小劇場ファンが満足するような舞台でもない。


全体の構想は非常に面白い。現代日本の怪しげな会社の事務所と、近未来の強制収容所という時空の異なる二つの物語が、まったく等価に、同時並行的に進められる。怪しげな会社は、自殺志願者がせっぱ詰まってかけてくる電話を受けて、親切に対応・相談しながら、やがては宝石や布団を売りつける。自殺率がとても高い現代日本社会のパロディだ。近未来の収容所の方は、土星人との戦いに敗れた地球というSF的発想だが、市民運動や労働運動崩れの「元活動家」たちが、収容される側から管理者の側に抜擢されたり、また収容者に格下げされるなど、人間(上下)関係が徹底的にパロディ化される。


昨年、松本修が演劇化したカフカの『城』を思い出した。実在しない「労働者M」は、嘘の「測量士K」を想起させるし、何よりもカフカ的なのは、事務所でも収容所でも、登場人物はすべて「不在者」の視線を恐れており、「目に見えない空気のような権力関係」が人間をグロテスクなものに変えるという病理である。事務所も収容所も、ある種の「精神分析的雰囲気」が漂っており、収容所の幹部女性リュカ(小泉今日子)と、女性精神科医ユードラ(秋山菜津子)の鞘当てや、事務所の男性社員たちの「うつ病ぎみ」など、人間関係の病理をパロディに写し取ろうとしていることは分る。あちこちにセックスを下ネタ風に笑わせているが、小出しにして単発の笑いを取るだけではなく、『城』のように扱うこともできたのにと思う。収容所だけでなく、ケータイメールの誤伝送など、セックスが社会の情報化、管理化、相互監視化の中でヴァーチャル化してゆく姿は、まさにフーコー的主題。


あと、この劇で感心したのは、同一の役者が、二つの物語でまったく対立するキャラを演じることだ。たとえば、堤は、事務所のアル中のダメ社員と革命グループのリーダーとを、小泉は、娼婦的なダメOLと孤独な収容所幹部とを、刻々と服を取り替えながら演じる。着替えは大変と思うが、小劇場でじっくり見れたらもっと面白いだろう。