新国『ジークフリート』

charis2010-02-20

[オペラ] ワーグナージークフリート』 新国立劇場

(写真右は、鍛冶屋ミーメとジークフリート。下は、人食い竜、小鳥に語りかけるジークフリート、そして、ぬいぐるみを脱いで裸になる小鳥)

バイロイトに行かなくても、東京でこれほど見事な『指環』が観られるのは嬉しい。キース・ウォーナー演出の再演だが、私は初見。『指環』の中では、動きの要素の少ない『ジークフリート』だが、第2幕で小鳥が出てくるあたりから、がぜん精彩が増す。とりわけ、岩山の火の中で眠っていたブリュンヒルデが目覚める第3幕は、科白も音楽も際立って美しい。第2幕を書いてから第3幕を書くまで、間が12年も空いているが、ワーグナーも力を込めて書いたのだろう。今回、とりわけ強く感じたのは、音楽もさることながら、物語作者としてのワーグナーのずば抜けた力量である。他の多くの作曲家と違って、オペラの台本をすべて自分で書いているのも頷ける。


(写真は、岩山の火の中に眠るブリュンヒルデと、目覚めさせたジークフリートと語り合う彼女。足元にあるのは兜と胸当てだが、兜はアテナと同じものか。)

『指環』4部作は、神が没落して世界が人間のものになる壮大な神話的悲劇であり、その機軸となっているのは、やはりヴォータンとブリュンヒルデの父娘物語であると思う。『ジークフリート』第3幕は、『ワルキューレ』で父神ヴォータンによって人間に降格された神の娘ブリュンヒルデが、長い眠りから醒めるシーンである。ヴォータンが、「神であるこの私よりも自由な者だけが、お前を目覚めさせ、妻とすることができる」と、涙ながらに火中に封じたブリュンヒルデが<人間の女になる>このシーンは、『指環』全体でも特に重要な位置を占めている。無垢だが、無知で、「恐れを知らない」単純な男ジークフリートによって目覚めさせられたことは、ブリュンヒルデにとって、最上の幸福のようにみえて最悪の不幸でもあった。『神々の黄昏』で焼身自殺してしまうブリュンヒルデを知っている我々には、彼女の歌が美しければ美しいほど、それは<人間の女になる>運命の過酷さを予感させて、万感胸に迫るものがある。


「おはよう、太陽! おはよう、光! おはよう、輝かしい日! 長かった眠り、ついに訪れた目ざめ。 私の目をさましてくれた英雄はどなた?/・・・目ざめた私の前に立つのは、ジークフリート! あなたが起こしてくれたのね!/・・・あなたがまだ母親の胎内にあるときから、私はあなたを養い、あなたが生まれるまえから、私は盾であなたを守りました。そんなに昔から、ジークフリート、あなたを愛していたのよ!」


「私はずっと、あなたを想ってきた。ヴォータンの思いを察したのは、私だけでした。でもそれを言葉にすることはできなかった。私は推測したというより、感じとったの。ヴォータンの密かな思いのために、私は懸命に戦い、争った。またそのために、当のヴォータンに逆らい、罰を受けて償わなければならなかった。それは、考えたすえのことではなく、直感的にやったことでした。そのヴォータンの密かの思いとは――、もうわかるでしょう――、私があなたを愛するということだったの!」


このように歌うブリュンヒルデは、まだ<神の娘>の上から目線で歌っている。ジークリンデが身篭っていることを知った彼女は、ヴォータンの命に逆らって「直感的に」彼女を助けてしまった。ジークフリート誕生の<前史>を歌う<神の娘>の言葉は、優しく、美しい。だが彼女は、兜も甲冑もない自分の体に気がついて驚愕する。


「あれは、私の胸を守っていた鋼の胸当て、鋭い剣がまっ二つに切り離したのね。こうして乙女は身を守るものを奪われました。鎧も兜もはぎとられ、私は裸同然の、哀れな女!/(ジークフリートに激しく抱きすくめれられたブリュンヒルデは、びくりと身をすくめて、恐怖のあまり、力いっぱい彼を突き放し、彼から遠のく)/神でさえ、私には近づかなかった! 英雄たちも、清い乙女を畏れて、首をたれた。私はけがれを知らぬ身で、ワルハラを離れた。それが、なんということ! 情けない、このあさましい辱め、私を目ざめさせた人に傷つけられるとは! 鎧も兜も奪われてしまった私は、もうブリュンヒルデではないわ!/・・・どうか、私をそっとしておいて! そんなに激しく近寄らないで! 荒々しい力で、私をねじ伏せないで! でないと、あなたにとって大切な女のからだが砕けてしまうわ! ですから、私に触らないで!」


<いくさ乙女>であった彼女は、人間の女として素直に愛されることができない。そんな彼女を口説くのに、ジークフリートはてこずるが、口説きの言葉の中で決定的だったのは、「こよない喜びの人よ、笑って生きよう!」という「笑い」の強調である。女を一度も見たことのない無垢な英雄の口説き文句が、なかなか鋭い(笑)。ジークフリートに抱きしめられているうちに、ブリュンヒルデは次第に人間の女のエロスに目覚めてゆく。


「今、私はあなたのもの? 神のような落ち着きが、大波たてて荒れ狂い、純潔の光も狂熱へと燃え上がる。天上の知恵が、愛の歓声に追われて吹き飛ばされる! 今、私はあなたのもの? ジークフリートジークフリート! あなたは燃えてこないの? あなためがけて駆け巡る血潮の熱さを、あなたは感じないの? ジークフリート、あなた、こわくないの、狂おしい情熱に昂ぶる女が?」


こうして彼女は<人間の女>になった。だが、これに続くブリュンヒルデの言葉ははるかに素晴らしい。ワーグナーのト書きを含めて引用しよう。
「(ジークフリートが思わず手を離すと、ブリュンヒルデは晴れやかな笑い声をあげる。それは喜びのあまりの笑いだ。)まあ、子供のような勇士! 栄光にみちた若者! 自分のやってのけたすばらしい手柄を、覚えてもいないのね! 笑いながら、あなたを愛さずにはいられない。笑いながら、私は愛に盲いるの。笑いながら、あなたと私、ともに滅びましょう、笑いながら、ともに堕ちていきましょう!」


笑う娘ブリュンヒルデ! 神の娘が人間の女に堕ちたそのことを、今、彼女は笑い飛ばすことができる。(以上、引用は高橋康也訳『ジークフリート現代書館


そして、今回あらためて思ったのは、ヴォータンという神の造形の妙である。渋い魅力といおうか。ジークフリートの行く手を阻もうとして、あっという間に槍を真っ二つに割られるヴォータン。もう弱いのだ。彼の奇妙な行動は、娘ブリュンヒルデジークフリートに取られたくないという、父親の無意識の嫉妬ではないのか。第3幕冒頭、ヴォータンは知の女神エルダ(ブリュンヒルデの母)を地底から呼び出すが、二人の遣り取りは夫婦喧嘩のようにさえない。続いてジークフリートに初めて会うヴォータンは、未練がましく彼にからむだけだ。バイロイトのクプファー演出では、たしか案内役の小鳥を捕まえて自分のポケットに隠していた。このように混乱して人間くさいところが、ヴォータンのよさなのだ。ゼウスにも比すべき神々の中の神が、<ただのオヤジ>になっている。共感して、ますますヴォータンが好きになってしまった。