新国『神々の黄昏』

charis2010-03-30

[オペラ] ワーグナー『神々の黄昏』 新国立劇場・オペラH


(写真右は、岩屋の小屋を襲われて驚くブリュンヒルデ。手前は、グンターと隠れ頭巾を被ってうつむくジークフリート。グンターに化けたジークフリートという原作をこのように演出。他の写真は舞台より。写真ではよく分らないが、CGを使って観客には三次元的に宙に浮いて見える。下は巨大な羊の頭部)


キース・ウォーナー演出の再演だが、これほど素晴らしい『指環』が日本で観られるとは、嬉しい時代になったものだ。四番目の『黄昏』まで見終わって思うのは、やはり、この物語全体においてブリュンヒルデという女性のもつ意味である。ワーグナーの中にある女性性=神性のイメージを強く感じるからだ。『ラインの黄金』で、たしかローゲだったか、「この世界でもっとも価値のあるものは何か?」という問いを全世界で聞いて回った結果が、答えはすべて一致して、権力でもなく財宝でもなく、「それは女だ」というものであった。「女は神からの贈り物」というワーグナーの直観を体現しているのがブリュンヒルデなのだろう。彼女が父神ヴォータンの怒りに触れて人間に「降格」されるのも、観方を変えて言えば、「女が人間界に贈られる」ことだ。


だが、彼女を受け止める英雄ジークフリートの何という頼りなさ、単純さ、空虚さに愕然とせざるをえない。たしかに勇敢で無垢なのかもしれないが、熟慮というものがまるで欠けている。記憶喪失の薬を飲まされてたちまちブリュンヒルデを忘れ去るだけでなく、そもそも「指環」の意味も「隠れ頭巾」の意味も何も分っていない。狩りの途中の酒盛りではしゃいでいるうちに、策士ハーゲンにあっけなく殺されてしまう。いくら人間界が陰謀に満ちているとしても、ジークフリートのこの「弱さ」はいったい何だろう。『ワルキューレ』で娘ブリュンヒルデと別れるとき、父ヴォータンが歌った「お前の夫となる男は、神であるこの私より自由な者」という言葉は、まったく裏切られたわけだ。(下の写真は、怒ってジークフリートに詰め寄るブリュンヒルデと、ラインの乙女たちにからかわれるジークフリート)

ジークフリートの遺体が焼かれる炎の中に飛び込む直前の、ブリュンヒルデの歌は痛恨きわまりない。
「誓いを立てて、これほどの律儀さ/ 契りを結んで、これほどの誠実さ/ 人を愛してこれほどの純粋さは、またとない/ しかもまた、すべての誓い、すべての契り、すべての至高の愛を/ 彼[=ジークフリート]ほど無残に破ってしまった者はいない」(ここまで語って、ブリュンヒルデは天を見上げる)
「なぜそうなったかお分かりですか?/ おお、誓約の永遠なる守り神[=ヴォータン]よ!/ ごらんください、私のやむことなき苦悩を、そしてあなたの終りなき罪業を!/ 私の訴えを聞いてください、神々の長よ!/ あの人は、世にも勇敢な行為によって、あなたの切なる望みを成就しました/ ・・・・こよなく純な人が、私を裏切らなければならなかったのは、私という女が、より賢くなるためでした/ では、あなたには、何をしてさし上げればいいのでしょう?/ 今や、私には分りました、何もかもすっかり/ 私には、すべてが見えてきたのです!/ あなたの大鴉の羽ばたきがまた聞こえてきました。あなたが恐れながら待ち望んでいる知らせを、鳥たちに託して送って返しましょう/ では、静かにお休みください、神よ!」(高橋康也訳『神々の黄昏』)


父性との愛と葛藤の中で死に赴く女性こそ、神話的女性の原像の一つなのだろう。ブリュンヒルデだけではなく、アンティゴネ、そしてリアの娘コーディリアもまた似たタイプの神話的女性だ。女性性の深層に潜むエディプス的葛藤なのだろうか。「女は神からの贈り物」と言えば聞こえはいいが、レヴィ=ストロースは、原始社会以来の婚姻規則をもっとずっと散文的に語っている。娘は、父親が家を維持するための「交換と贈与」の対象なのだ、と。娘を贈るのは父なのだから、若い夫は影が薄い。『指環』もまた、影の薄いジークフリートではなく、ヴォータンとブリュンヒルデの物語なのだ。


レヴィ=ストロースが描き出した未開社会の婚姻には、何か有無を言わせぬものがある。今回、『指環』を観て感じたのだが、そこには性愛につきまとう暴力性のようなものの匂いがあり、それが我々を震撼させるのかもしれない。男たちは戦士であり狩人であり、角笛が高らかに鳴り響く。本来、戦争や狩りは男の仕事である。だがそこにブリュンヒルデ(ワルキューレたち)のような「いくさ乙女」が登場すると、男=戦場/女=家庭というジェンダーバイアスは吹っ飛んでしまう。炎に囲まれて眠るブリュンヒルデを英雄ジークフリートが覚醒させるというのも、戦争と恋愛がごっちゃになっている。『トリスタンとイゾルデ』もそうだが、薬物を飲ませて人格を豹変させるのもまた暴力そのものだ。「女は神の贈り物」という神話には、荒っぽい何かがあるのではないか。『指環』は「愛による救済の物語」だとよく言われるが、そんな単純な話ではないだろう。