ワーグナー『ラインの黄金』

charis2015-10-04

[オペラ] ワーグナーラインの黄金』 新国立劇場 2015.10.4


(写真右は、冒頭、黄金を守るラインの娘たち、下は、二人の巨人族(建設労働者の姿)に連れ去られる女神フライア、左端は神の王ヴォータン、右端は火の神ローゲ)

ワーグナーの演出に大きな足跡を残したゲッツ・フリードリヒ(1930〜2000)が、最後に『指環』を演出したフィンランド国立歌劇場版(1996)の再演。シェローやクプファー演出の『指環』、そしてキース・ウォーナー演出の「トウキョウ・リング」(〜2009)と、30年以上続く現代的演出の流れの中に置いてみると、さまざまな「読み替え」や、CGなどハイテクを駆使したダイナミックな舞台には、特別驚かされることはない。しかしフリードリヒ演出には、舞台上の新しさよりは、むしろ『指環』の主題を深めようとする志向が感じられる。プログラムノートによれば、『指環』のテーマは、「自由と愛を求める者が、征服と富を求める者に打ち勝つことができるのか。そしてそれをどうやって成し遂げるのか」ということだと、彼は言う。ここで描かれている神話は、昔のお話ではなく、我々自身の切実な問題でもあると強く感じさせる演出だった。


「愛と権力の相克」がきわめて先鋭に表現されているのが、『指環』だ。権力とは、他者の意図を挫いて自己の意志を貫徹させる力のことだから、すべての男たちが欲望する「美しい女」(希少な価値)を手に入れるのは、強い男、権力ある男である。だがそのようにして美しい女を手に入れることは「愛」なのだろうか。ここには愛と権力の深い矛盾がある。冒頭、非モテ男の象徴であるアルベルヒは、美しいラインの乙女たちにコケにされ、屈辱にまみれる。彼は三人の乙女を順番に個別に口説くが、すべて拒否される。下手な鉄砲はいくら撃っても当らない。深く絶望したアルベルヒは、この世界そのものに復讐しようとする。まるで秋葉原で無差別殺傷をした青年のように。その彼が「愛を断念する代償として、魔法の力をもつ指環を手に入れ、すべての権力を一手に握る」という冒頭のシーンは、優れた導入だ。『指環』すべての悲劇は、アルベルヒが女性から愛を拒絶されたことから生じる。そこには、アルベルヒ個人の非モテだけではなく、神々>巨人族>妖精(ラインの乙女)>小人族(アルベルヒ)という、カースト的秩序の問題もある。アルベルヒはラインの乙女より階級がワンランク下なのだ。(写真は、地下の工場で権力を誇示すアルベルヒ(左)、彼はまた大蛇に化けることもできる、緑色の大きな正面の顔が大蛇)

しかし、一方ではまた、愛と権力は親和性もある。世界中の王や賢者に「この世でもっとも価値あるものは何か?」と尋ねて回った伝令神ローゲは、「それは、女である」という唯一の答えしか得られなかった。神の王ヴォータンは好色漢で浮気も盛んだが、それは、王たる彼には女がいくらでも手に入るからでもある。「女は金についてくる」と豪語したホリエモンのような人もいる。しかし金も権力もない男もまた、女の愛を渇望している。城を苦労して建てた巨人族(建設労働者)の一人ファーゾルトは言う。「わしら不細工な者は、ささくれ立った手で汗水たらたら、その苦役の代りに求めたのは、貧しい暮らしをともにしてくれるひと。穏やかで愛嬌のある女を妻に欲しい、これがおれたちの精一杯の願いなんだ」(高橋康也訳)。「貧しい暮らしをともにしてくれる妻がほしい」という彼の願いは切ない。


フリードリヒ演出は、四つの『指環』の最初に位置する『ラインの黄金』を喜劇仕立てにしている。彼によれば、『ラインの黄金』は、古代ギリシアで悲劇の前に上演された滑稽劇である「サテュロス劇」のようなものだという。なるほど、本上演では、権力のある者たち、最上位にある者たちである神々が、滑稽に造形されている。神の王ヴォータンは太り気味のオヤジだし、女神フライアの兄である雷の神ドンナーは、ボクサー姿で、すぐ暴力をふるおうとするガサツな男、同じくフライアの兄である美の神フローは、チャラい服を着た遊び人で、まったく無力、妹を助けられない頼りない兄だ。ヴォータンの妻フリッカも、偏屈で小うるさいオバチャン。普通、他の演出では、神々たちはもっと魅力的に造形されている。もっとも印象的だったのは、終幕、新たに建築された輝くばかりのヴァルハル城に神々たちが入ってゆくシーンだ。通常の演出ならば、神々たちは一列に並び、虹の橋を渡って、ゆっくりと城に向かう姿が美しい。しかし本上演では、神々は観客に背を向けて城に向き合うのだが、体をゆっくりと奇妙な踊りのようにくねらすが、少しも先に進んでゆかない。この滑稽な幕切れは、神々の没落という悲劇を予兆しているのだろう。(写真は、その直前。このあと神々は観客に背を向け正面の城に向き合う)

4分半の動画があります↓。
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/dasrheingold/movie/