[今日のうた18] 10月1日〜31日
(挿し絵は江戸時代の俳人、加賀千代女(志村立美画)、「朝顔やつるべ取られてもらひ水」が有名だが、今月のような遊び心のある滑稽句も作った)
・ 白装(びやくさう)の端(はし)ものこさず角曲がる
(山口誓子1952、秋祭りだろうか、「白装束の人が、すっと角を曲がって消えた、残像さえも残さずに」、瞬間の即物的感覚を見事に言語化する) 10.1
・ 永遠が飛んで居るらし赤とんぼ
(永田耕衣1978、ほとんど空中で動かない赤とんぼ、それが赤とんぼの「飛んで居る」姿) 10.2
・ 白露もこぼさぬ萩のうねり哉(かな)
(芭蕉、「美しい萩の花は、風に逆らわずに、やわらかくゆったりと「うねる」ので、花にたくさん付いた白露はこぼれない」) 10.3
・ 白露や茨(いばら)の刺(はり)にひとつづゝ
(蕪村、見事な写生の句、クローズアップした写真のよう) 10.4
・ しるべせよ跡なき波に漕ぐ舟のゆくへも知らぬ八重の潮風
(式子内親王『新古今』巻11、「さあ、道案内しておくれ、八重の潮路を吹く風よ、波の上を漕ぐ舟は航跡が一切残らないように、私の恋は、波に揉まれてあてもなく迷っているのだから」、作者は歌会等に一切出ず、引き籠りを通した人) 10.5
・ 聞くやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは
(宮内卿『新古今』巻13、「知ってるんでしょう、どう思ってんのよ、上空を吹く気まぐれ風(=浮気男)でさえ、松(待つ)の木に触れて音を立てるのがしきたりだってことを、なのに貴方は、こんなに待ってる私を完全無視よね」、作者は十代で夭折の女性) 10.6
・ 人知れず絶えなましかばわびつつもなき名ぞとだに言はましものを
(伊勢『古今集』巻15、「誰にも知られぬうちに私たちの関係が終ってほしかった、それなら、こう言うのは寂しいけれど、「私たちの間には何もないのよ」と嘘も言えた、でももう皆に知られて、あることないこと噂されている」) 10.7
・ 木犀の香にあけたての障子かな
(虚子、「金木犀のよい香りがする、つい障子を何度も開けてしまうよ」) 10.8
・ 土地人もまよふ袋路金木犀
(今村青魚1912〜94、「家が立て込んでいる下町の細い路地に、ふと木犀の香りが、どこなのだろう、木は見えないけれど」) 10.9
・ 憤懣が脚にあらはになりさうで今日は裾長のスカートをはく
(小島ゆかり2005、激しい怒りは脚に露わになるものなのだろうか?) 10.10
・ ひとりなる時蘇る羞恥ありみじかきわれの声ほとばしる
(尾崎左永子『さるびあ街』1957、一人で静かにしている時にふと思い出される、あの恥ずかしい体験、叫ぶように「短い声」が出てしまう) 10.11
・ コスモスの色の分れ目通れさう
(稲畑汀子1976、「一杯に咲いているコスモスの群れ、あの色違いのところにちょっと隙間がありそう、人が通れるかな」) 10.12
・ 鰯雲人に告ぐべきことならず
(加藤楸邨1939、どういうわけか鰯雲は秘めた思いや記憶を喚起することがある) 10.13
・ 鰯雲こころの波の末消えて
(水原秋櫻子1952、「鰯雲をじっと見つめていると、波立っていた心の動揺がだんだん収まってゆく」) 10.14
・ ひつじ雲それぞれが照りと陰をもち西よりわれの胸に連なる
(小野茂樹『羊雲離散』1968、「あの羊雲は、羊がたくさん並んでいるみたいだな、一匹一匹ちがう羊の群れが西からずっと続いてきて、眺めている僕が一番端にいる羊なんだ」) 10.15
・ 愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人
(俵万智『サラダ記念日』1987、愛が終わって一人になったとき、愛されたことは透明な記憶になって想起される、この歌でもって歌集『サラダ記念日』は終る) 10.16
・ バルコンに二人なりにきおのづから会話は或るものを警戒しつつ
(近藤芳美『早春歌』1948、「恋の感情がお互いに芽生えつつあるみたいだが、まだ相手は好意の段階かもしれない、そんなある日、彼女とバルコニーで二人きりになった、でも相手の気持ちをはっきり確かめるのは二人とも怖い」) 10.17
・ かへるなよ我がびんぼふの神無月(かみなづき)
(『竹馬狂吟集』巻四1499、「神無月は、日本中の神様が出雲に集まるので家にいない月、我が家の貧乏神も出かけちゃった、もう帰ってこないでね」、『竹馬狂吟集』は日本最古の俳諧集、連歌の余技だった、「神無月」という言葉遊びが面白い) 10.18
・ 渋かろか知らねど柿の初ちぎり
(加賀千代女1703〜75、「甘いか渋いか分かりませんが、今年初めて枝からもいだ、めでたい初物の柿です、どうぞ[私を]めしあがれ」、自分の結婚の日に詠んだ花嫁の句と言われる、ちょっとドッキリの句、「ちぎり(=もぎ取り)」=「契り(=夫婦の交わり)」の言葉遊び) 10.19
・ スキップは天使でありし日の名残り翼を脱ぎし少女が駆ける
(上野春子2000、「女の子が、翼を脱いだ天使のように、スキップしながら駆けてゆく、スキップはいいなあ」) 10.20
・ 文明がひとつ滅びる物語しつつおまえの翅(はね)脱がせゆく
(谷岡亜紀1993、ベッドシーンの歌なのだろうか、「文明がひとつ滅びる物語しつつ」という上の句が洒落ている、「翅」とは美しい下着のことか、それは高度な文明の所産かもしれない) 10.21
・ その肩にわが影法師触るるまで歩み寄りふとためらひ止みぬ
(永井陽子1995、作者の生前最後の歌集にある一首、とても繊細で美しい恋の歌) 10.22
・ どうしてもつかめなかつた風中の白き羽毛のやうなひとこと
(今野寿美1981、「まだ始まったばかりの恋、彼がふと言った言葉を、心の中で一生懸命に追いかける私」) 10.23
・ われらかつて魚(うを)なりし頃かたらひし藻の蔭(かげ)に似るゆふぐれ来たる
(水原紫苑1989、「何億年も昔、私たちがまだ魚だった頃、よく藻の蔭で語り合ったね、今日のこの夕暮れ、何だかその時みたい」) 10.24
・ 上行くと下来る雲や秋の空
(野沢凡兆、「澄み切った秋の空は高い、上の方の雲は向こうへ、下の方の雲はこちらへ、それぞれが動いている」) 10.25
・ 蹤(つ)いてくるその足音も落葉踏む
(清崎敏郎1975、「少し離れて後ろを歩いている人も、自分と同じように、落葉を踏んでいるな」、作者1922〜1998は晩年の虚子に師事、平明で深みのある句を作った) 10.26
・ けだものは食(たべ)もの恋ひて啼き居たり何といふやさしさぞこれは
(斉藤茂吉1912、上野動物園にて、猛獣の恐ろしい声、しかしそれが「食べものを恋する」率直な本能の発露であるならば、「何といふやさしさ」だろう) 10.27
・ 白き手がつと現はれて蝋燭(らふそく)の芯を切るこそ艶(なま)めかしけれ
(吉井勇『酒ほがひ』1910、祇園通いで名高い作者、「すうっと舞妓さんの白い手が出て蝋燭の芯を切った、ああ、なまめかしくて美しいよ」、いかにも祇園らしい優美さ、昔の蝋燭は芯が燃え残るので切った) 10.28
・ トルソーの静寂を恋ふといふ君の傍辺(かたへ)に生ある我の坐らな
(栗木京子1975、「貴方は、もの言わない胴体だけの石像が好きなのね、そういう貴方のすぐ脇に座っちゃうわよ、生きて呼吸している生身の私が」、作者は20歳の京大生、「君」は数学科学生の彼氏か) 10.29
・ 君恋ふる心は千々(ちぢ)に砕(くだ)くれど一つも失(う)せぬ物にぞありける
(和泉式部『後拾遺和歌集』恋四、「貴方を恋する私の心は激しく乱れ、ばらばらに砕けるけれど、その小さな破片の一つだってなくなりはしない、全部あるわよ、見せましょうか」、「心」を「物」に見立てた熱い歌) 10.30
・ なんと丸い月が出たよ窓
(尾崎放哉、作者1885〜1926の自由律俳句は、単純だが、味わいがある) 10.31