今日のうた31(11月)

charis2013-11-30

[今日のうた] 11月


(写真は井辻朱美1955〜、歌誌「かばん」発行人、白百合女子大教授)


・ 銀の尻の象のごとくに浮かびいる飛行船など 秋の教室
 (井辻朱美『水族』1986、作者はファンタジー作家でもある、「教室の窓からふと外を見ると、空に飛行船が浮かんでいる、象さんのお尻みたいね」 ) 11.1


・ あ そうかそういうことか鰯雲
 (多田道太郎1994、作者1924〜2007は京都大学人文科学研究所教授だったユニークな学者、ちょっと人を食った、面白い句、楸邨の「鰯雲人に告ぐべきことならず」より、こちらの方がいいな) 11.2


・ 女来てずんと寝ちまう文化の日
 (清水哲男『匙洗う人』1991、「彼女がやってきたのに、「ずん」と寝ちゃったよ、あーあ、今日は文化の日」) 11.3


・ 沈みゆく夕日の速度うけとめてきみの瞳はふくらみつづく
 (小野茂樹『羊雲離散』1968、おそらく高校生の時の作、「ねぇ君、夕方の校庭の隅で君と語らっていると、夕陽が沈むにつれて、君の目はますます輝いてくるんだね」、「速度うけとめて」「ふくらみつづく」が卓越、彼女の美しさを詠うことにかけては、作者は1500年の日本短歌史に特筆すべき人) 11.4


・ ふくみ笑いがかわいくてならぬ少年の日の君のこと偲んでみたいな
 (吉沢あけみ『うさぎにしかなれない』1974、作者は大学4年生か、彼氏は幼なじみ、同い年だとすると、心理的には作者の方がやや“姉”だろうか) 11.5


・ 藁塚に一つの強き棒挿さる
 (平畑静塔『月下の俘虜』、1950年頃の句で作者の代表作の一つ、稲刈りが終った田に静かに並ぶ藁塚、心棒に藁束が積み重ねられているのを「一つの強き棒挿さる」と表現、棒の存在の「強さ」がこの句によって前景化された、今は稲刈り機が同時に藁も細断するので藁塚は珍しい) 11.6


立冬の女生きいき両手に荷
 (岡本眸『冬』1976、銀座で高級ショッピング? それとも地元の商店街だろうか、たくさん買い物をして両手を一杯にしている女性は、何だかとても生き生きしている、今日はもう立冬) 11.7


・ 恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子(わぎもこ)が吾家(わぎへ)の門(かど)を過ぎて行くらむ
(よみ人しらず『万葉集』巻11、「ああ、君は僕の家の前を素通りしてゆくのかい、「私が恋しくて死にそうなんですって? だったら恋しくて死んだらいいじゃない」とでも言うように」、いるいる、こういう女の子) 11.8


・ わが宿はそことも何か教ふべき言はでこそ見め尋ねけりやと
 (本院侍従『新古今』巻11、「私の住所を教えてほしいですって? まさか、教えるわけないでしょ、貴方が本気で私の家を探すのかかどうか、それを黙って見てるわよ、ま、お話はそれからね」、合コンで嫌な男からメール・アドレス聞かれた時の歌?) 11.9


・ 君がため惜しからざりし命さへながくもがなと思ひけるかな
 (藤原義孝『後拾遺和歌集』、「君と一夜を過ごせるなら、僕の命なんか惜しくないと思ったけれど、でも、いざ実現してみると、ずっと続けたいから、命はとても惜しいよ」、うん、分かる分かる、『定家八代抄』で後朝の歌に選ばれた) 11.10


・ 見渡せば詠(なが)むれば見れば須磨の秋
 (芭蕉1679、「<見渡せば云々・・・>と定家が謳い、また多くの人が歌に詠み、そして僕も今、眼前に見ているけれど、秋の須磨海岸はやっぱりいいね」、景勝の地として有名な須磨海岸を、面白おかしく詠んだ遊び心の句) 11.11


・ あはれ子の夜寒の床の引けば寄る
 (中村汀女『汀女句集』1944、「冷え込んできた夜中、隣に寝ている子どもの布団を引き寄せると、すっと動いた、子どもって本当に軽いのね」、子の布団を自分の布団にぴったり付ける母) 11.12


・ 人間に知恵ほど悪いものはなし
 (上島鬼貫、作者1661〜1738は江戸中期の俳人、平明な句で知られるが、これは無季で、俳諧味がある、リンゴを食べたイヴのことではないだろう) 11.13


・ 黙(もだ)あるに若(し)かずとおもへど批評家の餓ゑんを恐れたまさかに書く
 (森鴎外1909、「まぁ、私は別に書かなくてもいいんですが、私に喰い付くのを生業にしている批評家の皆さんを飢えさせるのもなんですから、たまには書いてあげましょう」、上から目線のちょっと嫌味な歌) 11.14


・ わが心深き底あり喜(よろこび)も憂(うれひ)の波もとゞかじと思ふ
 (西田幾多郎1923、哲学者の西田には約200首の短歌が残されている、概して理が勝り、説明的なので、上手いとは言えないが、これは哲学者らしい歌) 11.15


・ 軍鼓鳴り/荒涼と/秋の/痣(あざ)となる
 (高柳重信1954、自衛隊発足時に作られた句、軍隊を批判した前衛俳句だが、「秋の痣」が深みのある表現、今また秘密保護法が国会に) 11. 16


・ ケンタッキーのおじさんのような菊花展
 (小枝恵美子1999、そんな菊花展があるのだろうか、「ケンタッキーのおじさんのような」菊人形がある? 作者は大阪の俳誌「船団」所属、ユーモラスな俳句を作る人) 11.17


・ 月光のをはるところに女の手
 (林田紀音夫『風蝕』1961、作者1924〜98は無季俳句を貫き、甘さのない厳しい句を作った人、この句も、胸部疾患で療養中の作者に付き添う妻が、部屋の暗がりにいるのかもしれない、「死ぬわれに妻の枕が並べらる」という句もある) 11.18


・ わが行けばどんぐり光り触れ合えり
 (金子兜太1940、作者1919〜が俳句を始めてまもなくの句、「光りながら触れ合っている」というのがいい、どんぐりの質感が見える、初句「わが行けば」もいい、ドングリたちが自分を迎えてくれているかのようだ) 11.19


・ 少しづつわれを変へたるきみなりき 晩秋の空去年(こぞ)よりあをき
 (今野寿美『花絆』、作者26歳頃の作、歌人の三枝昂之と結婚した前後だろうか、「去年の晩秋の空より今年の空の方が青さが深い」という下の句がいい、「少しづつ」自分を変え、成長させてくれた彼への相聞歌) 11.20


・ 恋人は恋人のまま「適齢期ですね」と言われることにも慣れて
 (俵万智『かぜのてのひら』1991、「恋人がいるからって、まだ結婚はしないわ」、この醒めた感じがいい、作者27歳頃の歌、80年代の終りにはまだ「適齢期」という言葉が使われていたのだ、今ならこうは言われないだろう) 11.21


・ 余念なくぶらさがるなり烏瓜
 (夏目漱石、「余念なく」が俳諧の味、「まだ未練がましくしがみついているのかい、烏瓜くん」) 11.22


・ あっそれはわたしのいのち烏瓜
 (正木ゆう子『静かな水』2002、こちらは昨日の漱石の句とは微妙に違う、「いつまでも未練がましくぶらさがっている烏瓜くん、大好き」) 11.23


・ 「今日は笑わないから」という友のいて昼のカレーにコロッケ落とす
 (梅内美華子1991、仲良しの女友達と一緒に学生食堂にいるのだろう、「コロッケを落とす」のは私なのか、それを彼女は笑っただろうか) 11.24
   

・ 「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑う
 (穂村弘『シンジケート』1990、「とりかえしのつかないことがしたい」のは恋人だろうか、それとも、恋人の毛糸編みを一緒に手伝う作者だろうか、いや、ラブラブな二人ともそうなのか) 11.25


・ 秋の風乞食は我を見くらぶる
 (一茶1804、作者は「やあ、僕だって君とあんまり違わないんだよ」という視線を返したかもしれない、どこか優しいのが一茶) 11.26


・ 踏みあるく落葉の音の違ひけり
 (高濱虚子1030、落葉の積もり方、葉の種類によって、踏まれるときの音が違う、それを味わいながら歩く作者) 11.27


・ 金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして銀杏(いてふ)ちるなり夕日の岡に
 (与謝野晶子『恋衣』1905、目の前に銀杏がひらひら散っているかのように、くっきりと視覚に訴え、リズムもすばらしい歌、『みだれ髪』のナルシシズムだけが晶子ではない、すぐれた叙景の歌も多い) 11.28


・ 夢(いめ)の逢(あ)ひは苦しかりけり覚(おどろ)きて掻き探れども手にも触れねば
 (大伴家持万葉集』巻4、「夢の中で君に逢ったけれど、ああ、つらかった、逢った嬉しさのあまり目が覚めて、抱こうと必死にもがいても、君にさわれないのだからね」、やがて妻になる坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈った歌) 11.29


・ 捨てはてむと思ふさへこそ悲しけれ君に馴れにし我が身と思へば
 (和泉式部『後拾遺和歌集』、「敦道(あつみち)親王さん、貴方が亡くなったショックで出家を思ったけれど、それを思うだけでも耐えられないわ、だって貴方に深く馴染んだ私の体は、若い貴方の分身です、もう愛(いと)おしくて愛おしくて」、3歳年下の敦道親王に溺愛された作者はこの時29歳、出家はしなかった)  11.30