今日のうた(137) 9月ぶん

今日のうた(137) 9月ぶん

 

粧はぬ清き匂ひのかすかにて相病む夜毎メルヘンに寄る (相良宏『相良宏歌集』1956、相良宏1925~55は若くして結核で死去、短歌仲間の福田節子という若い女性もおそらく同じ療養所に入院して亡くなった、思いは告げなかったが彼は彼女が好きだった、「メルヘンに寄る」が悲しい) 1

 

かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は (大西民子『まぼろしの椅子』1956、作者1924~94は盛岡市出身の歌人、啄木に憧れて短歌を始めた、恋愛して結婚したが、家に帰らなくなった夫との愛は失われ、寂しい孤独の日々を詠んだ) 2

 

愛などと言はず抱きあふ原人を好色と呼ばぬ山河ありき (春日井建『未青年』1960、作者1938~2004は、肉体の性的な魅力を詠んだ人、この歌は20歳のとき、我々の祖先が「原人」だった頃は、健康的で伸び伸びとした性愛だったのだろうか、少なくとも作者はそれに憧れている) 3

 

耳あててオルゴール聞くわれにだけささやく声にうなづくごとく (北沢郁子『その人を知らず』1956、作者には愛用のオルゴールがあるのだろう、「われにだけささやく恋人の声」を聞くように、オルゴールに「耳をあてて」聞く、たぶん毎日一回は必ず) 4

 

永遠の放課後にいる私たち 亀の背のようなかき氷を買う (土居文恵「東京新聞歌壇」9月4日、東直子選、作者は女子高校生だろうか、今年の夏休みに初恋があったのか、冒頭の「永遠の放課後」がすごくいい) 5

 

みづうみに風の道ありひとところ風のかたちに霧はうつろふ (篠原克彦「朝日歌壇」9月4日、佐佐木幸綱永田和宏共選、霧は、空気の流れによって「風の道」がその中に生じ、そこに「風のかたち」が見える、「みづうみ」ではそれが起きやすい、佐藤佐太郎を思わせる歌) 6

 

まづ朝日浴びたる木より蝉鳴けり (神山高康「東京新聞俳壇」9月4日、石田郷子選、「真っ先に鳴き出した蝉。「朝日浴びたる木」という表現にどこか荘厳なイメージがあり、生命力に満ちた蝉声を聞くような思いがした」と選者評) 7

 

風天忌女はもっと辛(つら)いかも (津田正義「朝日俳壇」9月4日、大串章選、「渥美清主演の映画「男はつらいよ」を踏まえる。「風天忌」は渥美清の命日」と選者評。俳句って、こんなふうにも詠めるんだ) 8

 

吸ひがらの今日の形に西日差す (上田信治、「西日」は夏の季語だが、「吸ひがらの今日の形」との取り合わせがいい、西日が横から当たれば、吸い殻にもいつもと違った「今日の形」がある、作者は、漫画家けらえいこの夫にして共作者) 9

 

なだらかな萩の丘なり汽車登る (高濱虚子1933、北海道の狩勝峠で詠んだ、いかにも虚子らしい、ゆったりした句、「汽車登る」がいい) 10

 

野の川を走り過ぎたり銃の音 (山口誓子1944『激浪』、銃の音が野の川の水面を反射して伝わっていく、「走り過ぎたり」と詠んだのが凄い、「ピストルがプールの硬き面(も)にひびき」1936、「夏氷挽ききりし音地にのこる」1940等、誓子には「音」を詠んだ秀句が多い) 11

 

曼珠沙華咲くとつぶやきひとり堪ゆ (橋本多佳子1937、夫が亡くなり葬儀は終わったが、まだ喪に服している、前句に「忌に籠り野(ぬ)の曼珠沙華ここに咲けり」とある、野生の曼珠沙華を摘んできたら、花瓶で咲いた、だから「咲くのね、とつぶやいた」、この後作者はしばらく体調を崩す) 12

 

百姓の紺はかなしや野分中 (森澄雄『雪櫟』1954、台風の中、農夫がびしょ濡れになって作業している、雨に濡れると衣服の「紺色」がとりわけ鮮やかに浮かび上がっている、それがどういうわけか「かなしい」) 13

 

鰯雲この時空のまろからず (中村草田男『長子』1936、秋になって空にいわし雲が見える、いわし雲は美しいけれど、どこかさびしい、別に自分の気持ちがすさんでいるわけではないが、空全体がどこか尖がって「まろからぬ」ように感じられる) 14

 

鶴降りて秋草くもるところかな (永田耕衣『加古』1934、作者のもっとも初期の句、鶴が大きく翼を広げて秋草の咲いている所に降りたら、そこに影がくっきりできた、それを「秋草くもる」とややオーバーに詠んだ、耕衣らしい句) 15

 

秋晴や囚徒殴(う)たるる遠くの音 (秋元不死男1942 、作者1901~77はプロレタリア俳句など新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される、この句は東京拘置所で詠まれた、秋晴れの日は音がよく響き、普段はよく聞こえない離れた房舎で囚人が殴られる音も聞こえる) 16

 

玉垂(たまだれ)の小簾(をす)の垂簾(たれす)を行きかちに寐(い)は寝(な)さずとも君は通はせ (よみ人しらず『万葉集』巻11、「ねぇ、必ず通って来てよね、お母様が見張っているから共寝はできないけれど、せめて私の部屋の玉垂のスダレのあたりを、行ったり来たりしてほしいの」) 17

 

便りにもあらぬ思ひのあやしきは心を人につくるなりけり (在原元方古今集』巻11、「誰かに言づけを頼んで貴女に手紙を届けさせたわけではありません、でも不思議ですねぇ、私の思いは貴女のところにたどり着いてしまったみたいです」、奇妙にまだるっこしい仕方で告白した歌) 18

 

ある程に昔語りもしてしかな憂きをばあらぬ人と知らせて (和泉式部『家集』、作者が冷たいので別れた元カレが病気の時に送った歌、「お互い生きている内に、あの頃の事をしみじみと話し合ってみたいわ、冷たかったのは私ではなく別の女だと貴方が思うほど、優しくしてあげるから」) 19

 

つれなさに今は思ひも絶えなましこの世ひとつの契りなりせば (顕昭法師『千載集』巻12、「恋の契りがこの世だけのものなら、貴女が冷たいので僕は諦めてしまうかもしれません、でも恋の契りは来世にも有効です、だから諦められるものですか」、なるほど来世があれば話は違ってくる) 20

 

あはれとて人の心のなさけあれな数ならぬにはよらぬ歎きを (西行『新古今』巻13、「せめて貴女には、僕のことを「ああ、かわいそうに」と思ってほしいです、取るに足らないこの僕だって、一人前に恋に苦しんでいるのですから」) 21

 

沖深み釣りする海士(あま)のいさり火のほのかに見てぞ思ひ初めてし (式子内親王『家集』、「はるか遠くの沖の釣り舟の、明かりがほのかに見えるように、はるか遠くにいる貴方がほのかに見えている、ああ、そんな貴方を、私は好きなってしまった!」) 22

 

あかあかと日は難面(つれな)くも秋の風 (芭蕉1689、「難面し」とは無情で優しくないこと、「強い日差しが照りつけて、残暑が厳しいな、それでもよく注意してみると、秋風の気配が漂い始めているみたいだ」、金沢での納涼句会で発表) 23

 

あさ露や鬱金(うこん)畠(はたけ)の秋の風 (野沢凡兆『猿蓑』、「鬱金」は芭蕉に似た大きな葉の植物、そこに「あさ露」が付いて、ぱたぱたと葉が揺れるのに秋風を感じる、「あさ露」「鬱金」「秋の風」と秋の季語が三つもある珍しい俳句、でも「秋の風」にうまく収まっている)24

 

そちへふかばこちらへ吹かば秋の風 (上島鬼貫、「秋の風はいきなりピューっと強く吹いたりしない、そっちでちょっと、こちらでちょっと、「おやっ」と風を感じるのが、秋の風だなあ」) 25

 

小狐(こぎつね)の何にむせけむ小萩はら (蕪村、「原っぱに萩がびっしり咲いて、いい香りだな、あれっ、萩の間に小さな狐の顔が見えている、きっと萩の香りが強くてむせているんだろうな」、狐の顔が可愛く見えるのだろう、ユーモア句) 26

 

秋風やあれも昔の美少年 (一茶『七番日記』、「あれも」と言ってるから、見かけただけなのだろう、「昔の美少年」も今ではすっかり太って醜いオヤジになっている、「彼」だと分かっただけよかったのか、それとも見ない方がよかったのか) 27

 

あきくさをごつたにつかね供へけり (久保田万太郎『草の丈』1952、「つかぬ=束ぬ」は束ねること、墓か仏壇か、花屋でちゃんと買う余裕がなかったのだろう、そのへんの「あきくさを、ごちゃごちゃ束ねて」活けた、いや、そういう花の方が新鮮で、故人も喜んでいるだろう) 28

 

鶏頭に鶏頭ごつと触れゐたる (川崎展宏『観音』1982、鶏頭の花は夏から咲いているが、秋の季語、鶏の頭のトサカのような分厚くて濃い赤が印象的、それが「ごつ」とぶつかっているさまは、鶏だけでなく人間の頭のようでもあり、ユーモラスで、そしてどこかもの悲しい) 29

 

髪よりも吹かれやすくて愛の羽根 (片山由美子『雨の歌』1984、「愛の羽根」は「赤い羽根」と同じく10月の共同募金に由来する秋の季語だが、この句は面白くもじっている、「秋風に吹かれてつかの間の恋も終わってしまった」という嘆き) 30