今日のうた41(9月)

charis2014-09-30

[今日のうた] 9月1日〜30日
(写真は僧正遍昭816〜890、平安時代歌人六歌仙紀貫之は「歌のさま得たれどもまことすくなし(=上手いけれど真実味がちょっとね)」と評した、冗談っぽい楽しい歌が持ち味)


・ 名にめでて折れる許(ばかり)ぞ女郎花われ落ちにきと人に語るな
 (僧正遍昭古今集』巻4、「女郎花(をみなえし)っていう素敵な名前に惹かれて、君を折り取っちゃった、花よごめんね、でもこれは僕たちだけの秘密、僕が女犯(にょぼん)の罪に落ちたなんて人に言わないでね」、聖職者の遊び歌) 9.1


最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
 (斉藤茂吉『白き山』、1946年9月作、「最上川の上空にかかった大きな虹が、ある場所から順に消えていって、ついに最後に、短い、美しい断片になった」、敗戦後、山形県大石田村に隠遁した茂吉、美しい河と美しい虹) 9.2


・ モーニングシャワーに慣れしからだゆゑ雨にやさしく起こされてゐつ
 (辰巳泰子『紅い花』1989、作者は二十歳過ぎの若い女性、毎朝のシャワーが習慣になっているので、雨音で目覚めるのも「やさしく起こされる」ように感じる、昔はなかった現代の情景) 9.3


・ 「あー、あー、マイク・テスッ、あいしてるあいしてるあいしてるあいしてる」
 (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001、穂村ファンでもこの歌集は拒否する人がいる、過激なイラストや、姉まみと妹ゆゆにレズビアンの匂いがするからか、ゆゆがいるからまみがちょっと変わった子に見える、でも、まみはとても魅力的な女の子) 9.4


・ 三年間見てたゆびさき 今ちょん、って。さわられてるのぺちゃんこの胸
 (小林晶・女・26歳『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選、三年間も片想いだったのか、大好きな彼氏とやっと相思相愛の仲に) 9.5


・ 葡萄食ふ一語一語の如くにて
 (中村草田男1947、「ブドウを食べる、その一粒一粒を、一語一語のように感じながら、かみしめる」、言葉の職人たる俳人らしい感じ方) 9.6


・ 酔うて寝ん撫子(なでしこ)咲ける石の上
 (芭蕉1687、「河原に撫子の花が咲いている、何て美しいんだろう、酔って河原の石の上に横になり、撫子に添い寝したいな」、撫子の花は美しい女性、「酔うて」がいい、写真も) 9.7


・ 月見れば国は同じそ山隔(へな)り愛(うつく)し妹は隔りたるかも
 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「明るく照っているあの月からは、僕と君は同じ国にいるように一緒に見えているんだね、なのに、どうしてあの憎らしい山が、いとしい君を僕から遮ててしまうんだ!」、今日は仲秋の名月) 9.8


・ おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我は堰(せ)きあへずたぎつ瀬なれば
 (小野小町古今集』巻12、「貴方の袖に玉のようにたまる涙ですって、ちゃちな涙ね、本気じゃないくせによく言うわよ、私の涙はね、止められない勢いでほとばしるわ、貴方のとは違うの」、嫌な男の口説きをバシッと叩き返す小町の返歌) 9.9


・ 雨の萩葉のことごとく雨を置く
 (高濱年尾、「萩の花が咲いている、どの葉にも雨粒が載っているなぁ」、萩には雨粒がよく似合う、写真も) 9.10


・ 上州よこんにやくを自慢するなかれ日本中どこにもうまいのがある
 (土屋文明1973、作者は群馬県(上州)生まれのアララギ派歌人、戦時中も戦争賛美に流れなかった気骨の人、社会詠に優れたものが多い、上州はお国自慢の強い土地なのか、昨日、群馬県が「すき焼き応援県」宣言、「応援」だから謙虚な目線か) 9.11


・ 唇をよせて言葉を放てどもわたしとあなたはわたしとあなた
 (阿木津英『紫木蓮まで・風舌』1980、「恋人のあなたと唇が触れるほど顔を寄せて語り合う私たち、でも、私は私だし、あなたはあなた、無限に近づくけれど溶け合って一体化したりはしないわ」、作者1950〜は女性) 9.12


・ ためらわず妻の名前を呼び捨てる弟に流れはじめる時間
 (俵万智『プーさんの鼻』2005、作者の弟が結婚した、「昨日まで彼女を初々しく「さん」づけで呼んでいたのに、もう亭主気取りで呼び捨てにしてる、なんだかなぁ」、結句「弟に流れはじめる時間」がうまい) 9.13


・ 艸花(くさばな)をよけて居(すわ)るや勝角力(かちずまふ)
 (一茶、村の相撲大会だろうか、勝った方は気持に余裕があって、野草にも気配りをする) 9.14


老人の日といふ嫌な一日過ぐ
 (右城暮石1899〜1995、「<敬老の日>なんて、ほんと嫌だな、なんでこんな休日作ったんだよ、老人であることをわざわざ意識させられるじゃないか」、今日がその日) 9.15


・ 吹き渡る葛(くず)の嵐の山幾重
 (松本たかし、葛は大きくて強靭な葉をもつ、「吹き渡る強風に、葛の葉がのたうつようにゴウゴウと揺れている、まるで山が幾つも動いているかのような壮観、葛は嵐に似合う」、写真も) 9.16


・ 枕だにしらずとおもふ我中(わがなか)をたれか語りてよにもらしけん
 (樋口一葉、「私と貴方の仲は、共寝した枕にも知られないほど秘密なのに、いったい誰が外部に漏らしちゃったのかしら、許せないわ」、一葉の小説の師、半井桃水との関係が漏れたことか、一葉自身が彼のことを頻繁に語ったので周囲に怪しまれたとも言われる、恋人ができたことが嬉しかったのだろう) 9.17


・ 封筒を開けば君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文(ふみ)
 (与謝野晶子『白桜集』1942、夫の鉄幹を失った後の歌、「いにしへの文」は若い頃鉄幹から寄せられた恋の手紙だろうか、それを開くと鉄幹がそばに寄ってくるような気配を感じる晶子、相聞歌は若者だけのものではない) 9.18


ましろなる封筒に向ひ君が名を書かむとしスタンドの位置かへて書く
 (馬場あき子『早笛』1955、作者1928〜の若き日の瑞々しい恋の歌、彼氏への手紙を書き終え、最後に封筒に「君が名」を書く、電気スタンドの位置を変え、光の当たり方を直し、心を込めて) 9.19


・ はじまらん踊(をどり)の場(にわ)の人ゆきき
 (高濱虚子1927、秋祭のシーズン、「そろそろ踊りが始まる頃だな、人の行き来かげんで分かるさ、何といっても踊りが一番楽しいからね」) 9.20


・ われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華
 (杉田久女1922、作者は激しい性格の人で虚子に「ホトトギス」を破門された、彼岸花を見ても、自分にとり憑いた「サタン」のように感じられる、この重ね合せは鋭い、写真参照) 9.21


・ 夜(よ)を籠(こ)めて鳥のそら音(ね)ははかるとも世に逢阪(あふさか)の関はゆるさじ
 (清少納言百人一首』、「漢学者の藤原行成さん、函谷関の故事にならい、夜中に鶏のうそ鳴き声で門を開けさせて、私を誘惑しようってわけね、でもダメ、残念でした、ここは函谷関じゃないもの、守りの固い逢坂の関なのよ、日本の」、学識ある男の口説きを茶化しながら切り返す) 9.22


・ 晴れずのみものぞ悲しき秋霧(あきぎり)は心のうちに立つにやあるらん
 (和泉式部『後拾遺和歌集』、「ああ、なんか心が鬱々として、もの悲しいわ、なぜなんだろう、ひょっとして私の心の中に秋霧が立ち込めているのかしら」、秋霧は外界だけでなく心の中にも立ち込める)  9.23


・ 霧よりも上で朝餉(あさげ)の菜を洗ふ
 (岡田史乃『浮いてこい』1983、高層マンションだろう、霧にかすむ下界を見おろしながら生活している人も、現代ではたくさんいるはず) 9.24


・ 胴伸びるときの無想や秋の猫
 (橋輭石、「猫くんが大あくびして、伸びーをしている姿はいいな、伸びーをしているとき、猫くんは「無想」なんだね」) 9.25


・ コンパスを拡げて円を描きつつ冷たき拒絶のかたちを思ふ
 (栗木京子、結婚と出産を経た作者は二十代後半、円という形は、内部を外部に対して閉じる「拒絶のかたち」なのか、瑞々しい相聞歌にあふれた「二十歳の譜」の頃とはトーンの違う批評的・反省的な歌も増える) 9.26


マタイ受難曲そのゆたけさに豊穣に深夜はありぬ純粋のとき
 (近藤芳美『岐路以後』、戦後民主主義の立場を貫いた歌人、近藤芳美は2006年6月に93歳で亡くなった、これは最晩年の作、「アララギ」以来の友人のほとんどが逝き、深夜一人静かにマタイ受難曲に向き合う作者) 9.27


・ 鈴虫の一ぴき十銭高しと妻いふ
 (日野草城『轉轍手』、秋祭りだろうか、1935年頃の作、清水哲男氏によれば、当時は、そば(もり・かけ)が10銭、カレーライスが15〜20銭ほどだった、妻に止められて作者は鈴虫を買ったのか、買わなかったのか) 9.28


・ 子を走らす運動会後の線の上
 (矢島渚男、面白い句だ、運動会が終った後、ひと気のない校庭で、親が学齢以前の小さな子にコースを走らせている、「小学生になったら、お兄ちゃんやお姉ちゃんみたいに、ここを走るんだ!」) 9.29


・ 鬱ふかきわれを少年は連れ走る借物競争の借物として
 (米川千嘉子1988、高校教員をしている作者、生徒指導が難しく鬱ぎみなのでぼーっとしていたら、何と運動会の借り物競争で借り物として手を引かれて走らされてしまった、何かのメタファーかもしれない思索的な歌) 9.30