今日のうた52(8月)

charis2015-08-31

[今日のうた] 8月1日〜31日
(写真は、与謝蕪村1716〜84が描いた絵、画家でもあった蕪村は、ユーモラスで楽しい画を描いた、俳句にも絵画性があり、「凧いかのぼり・・」「菜の花や・・」「涼しさや鐘を・・」「月天心・・」など、空間の伸びやかな広がりを感じさせる句は蕪村ならではのもの、今月の「ところてん・・」の句もそれを踏まえたパロディになっている)

・ ところてん逆(さか)しまに銀河三千尺
 (蕪村1777、「冷たいところてんを、ずずずって一気に吸い上げるのはいい気分だなぁ、雄大な天の川を逆さまに吸い上げる気分だよ」、暑い夏のところてんは美味い、大げさな誇張のユーモア句、滝を詠んだ李白の原詩をもじった) 8.1


・ 総身(そうしん)に滝音つめて戻りけり
 (黛執『野面積』2003、滝に打たれたのか、それとも長時間滝のそばにいたのか、滝から戻ってきた作者は、自分の「体じゅうに滝の音が詰まっている」ように感じる、「滝音つめて」がいい) 8.2


・ ありつたけ君をなじれば炎天にむき出されてゐてさもしきわが歯
 (松平盟子『帆を張る父のやうに』1979、彼氏に別れ話を切り出されたのか、失恋の一連の歌が並ぶ中の一首、「むき出しになったさもしい自分の歯」に、作者の苦しみが) 8.3


・ わからないけれどたのしいならばいいともおもえないだあれあなたは
 (俵万智1987、この歌を含む『サラダ記念日』冒頭「八月の朝」(1985年、角川短歌賞次席)は、彼女のデビュー作、彼氏と微妙な駆け引きをしているのか、性愛のことだろうか、少女のように瑞々しいけれど、歌は思索的、そして仮名書きが効いている) 8.4


・ 夏野の道風のかたちの娘達
 (川崎展宏『葛の葉』1973、「夏の野に涼しい風が吹いて、娘たちのスカートがふんわりと膨らんでいる」、「風のかたち」という表現によって、全体が美しい句に) 8.5


・ あひみての後の日傘をひるがへす
 (中尾杏子1998、真夏に彼氏とデートしたのだろうか、別れるとき、さっと日傘をひるがえすのがカッコいい、凛とした女性の姿が思い浮かぶ) 8.6


・ 女すぐをさなき眉目(まみ)となり泳ぐ
 (後藤夜半『彩色』1968、プールだろうか海だろうか、大人の女性なのだが、水着に着替えて「さあ泳ぐわ」というとき、子どものように可愛い表情になっている、「をさなき眉目」がいい) 8.7


・ 一日を深く愛せし油蝉
 (正木ゆう子『水晶体』1986、セミの成虫は野外では一か月近く生きられるそうだが、地中の幼虫期の7年くらいと比べると長いとは言えない、作者には、夕暮れになってもまだ鳴きやまない油蝉の「ジジジジ」という音が、「一日を深く愛している」ように聞こえる) 8.8


・ 見るがなほこの世のものとおぼえぬは唐撫子(からなでしこ)の花にぞありける
 (和泉式部『千載集』夏、「唐撫子」とは「石竹(セキチク)」のこと、ナデシコ科で盛夏に美しい花が、「唐撫子は、唐(から)というこの世の国の名前だけど、見れば見るほどこの世のものとは思えない美しさね」) 8.9


・ 夕立(ゆふだち)の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声
 (式子内親王『新古今』夏、「夕立を降らせた雲は、あっという間にいなくなって空は晴れている、でも夏の日の太陽はもう西に傾いて、山にはひぐらしが鳴いているわ」、暑い夏の日だが、夕立が過ぎ去って、涼気が訪れる) 8.10


・ 底の石ほと動き湧(わ)く清水かな
 (高濱虚子1926年8月、「湧き水の底に見えている石の一つが、わずかに浮き上がるように「ほっ」と動いている、そうか、その下から水が湧いているんだな」、「ほと動き」が素晴らしい把握) 8.11


・ いなびかり妻子の眠りいさぎよし
 (千葉皓史、「稲光が光って雷が鳴っているのに、妻と子は目を覚まさない、ぐっすり昼寝をしているよ」、作者1947〜には、子どもを詠んだ句も多い) 8.12


・ するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら
 (村木道彦「緋の椅子」1965、作者は22歳の慶応大学生、「するだろう」が冒頭に来る斬新さ、「僕を捨てた物語を、彼女はマシュマロを口にほおばりながら話すだろう、この僕に向かって」、新鮮な失恋の歌) 8.13


・ 虫メガネ越しに集めた太陽でカマボコ板にあの子の名を焼く
 (伊藤真也・男・38歳、『ダ・ヴィンチ』短歌投稿欄、穂村弘選、可愛い歌だ、作者は38歳の男性だが、中学生くらいの想い出だろうか ) 8.14


・ たたかひの後に建ちたる墓多し新しき石は輝きをもつ
 (佐藤佐太郎『地表』1956、佐太郎が長崎を訪れたときの歌だと思われる、戦争で亡くなった人の墓は新しい、「新しき石は輝きをもつ」の一言に、悲しみと痛恨が表現されている)  8.15


・ 沈黙のわれに見よとぞ百房(ひゃくふさ)の黒き葡萄(ぶだう)に雨ふりそそぐ
 (斉藤茂吉1945、敗戦まもない秋口に詠まれた歌、戦中に戦争賛美の歌をたくさん詠んだ茂吉は、その反省と苦しさに押しつぶされそうになっていた、「沈黙のわれに見よとぞ」にそれが窺える」) 8.16


・ 夫とは向きをちがへて昼寝する
 (『誹風柳多留』、冷房などなかった江戸時代、夫と並んで昼寝をする作者、「せめて鬱陶しい夫の顔を見ないようにしたいわ、でも向こうも同じように考えてるかもね」) 8.17


・ 蠅(はえ)は逃げたのに静かに手をひらき
 (『誹風柳多留』、「静かに」が滑稽さの肝、蠅を手で叩くというのは、今はあまり聞かないが、江戸時代には普通だったのか、これが蚊なら、両手でぴしゃっと潰すところだが、蠅も同じようにしたのだろうか) 8.18


・ 天(あめ)の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠(かく)る見ゆ
 (『万葉集』巻7「雑歌」、「夜空は広い海、あちこちにある雲は波、そして、月が船のように、星の林の間を、漕ぎ進んでゆく」、宇宙の現象を地上の現象に喩えた)8.19


・ 七夕をきのふに荒るる夜空かな
 (吉田汀史2002、「七夕(たなばた)は昨日だったのに、今夜の空は荒れている、台風が近いのか」、「七夕」は秋の季語で旧暦7月7日、新暦の7月7日はまだ梅雨の頃だが、旧暦7月7日を新暦に直すと8月になる、2015年の七夕は今日8月20日、昨年は8月2日だった) 8.20


・ 花芙蓉(はなふよう)影さだまれる大使館
 (柴田白葉女、今、芙蓉の花が美しい、紅、ピンク、白など色もいろいろ、この句は、東京港区のどこかの大使館だろうか、緑豊かで落ち着いた洋館、静かに咲いている芙蓉の花がひときわ美しい) 8.21


・ 一日づつ澄みゆく木槿(むくげ)その夕日
 (藤田湘子、木槿の美しい季節になった、白や薄い紫色など、近所のあちこちの庭に咲いている、夕日の当たる木槿はことに美しい、作者は花の色が「一日づつ澄んでゆく」ように感じられる) 8.22


・ 百合の蕊(しべ)いのちのはじめ濡れてゐし
 (正木ゆう子、ユリの花は、一本の雌蕊が六本の雄蕊に囲まれている、「濡れてゐる」のは雌蕊だろうか、それとも両方だろうか、「いのちのはじめ」だから) 8.23


・ あぶら火の光に見ゆるわが鬘(かづら)さ百合の花の笑まはしきかも
 (大伴家持万葉集』巻18、「百合の花で作った花鬘(はなかつら=髪飾り)を私への贈り物にいただいて、どうも有難う、燈火に浮かぶ百合の花はとても美しいなぁ、まるで可愛い女の子の笑顔のようだよ」) 8.24


・ さ百合花(ばな)ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ
 (大伴家持万葉集』巻18、「ゆり」とは「後」の意、「さゆりの花には、「ゆり」っていう音が含まれているから、「後でまた君と会いたい」な、まさか今、ここで小百合のように美しい君に会うとはね」、家持らしい優美な歌) 8.25


・ 散れば咲き散れば咲きして百日紅(さるすべり)
 (加賀千代女、百日紅の花の期間はかなり長い、千代女の句は、単純だが感じがよく出ている、写真も) 8.26


・ 焔(ほ)を吐いて月下美人のひらきそむ
 (石原八束、「月下美人」は植物名、夏から秋にかけて白い大きな花が咲く、それも夕刻から咲き始め、8時ごろ満開になり、深夜にはしおれるという、残念ながら私はまだ実物を見たことがない、写真も) 8.27


・ いまどきの女嫌ひのフェミニスト空色の傘選びかねつつ
 (桜木裕子『片意地娘(ララビアータ)』1992、作者は屈折した歌を詠む人、「空色の傘」が気に入って買いたいのだが、当世風のおしゃれな女に見えてしまうのではないか、自分は「フェミニスト」なのにという自意識が邪魔する) 8.28


・ もしイエスが女なりせば神はかく抽象的存在にあらざりしに
 (柚木新『さえならき』1987、キリスト教の神性(父なる神と息子イエス)には女性性が不足していたのか(=ユングの説)、『イリアス』も『ニーベルンゲンの歌』も、神々は男女ともに生き生きとして、とりわけ女神たちは生彩に富んでいる) 8.29


・ 神はしも人を創りき神をしも創りしといふ人を創りき
 (香川ヒサ『ファブリカ』1996、「<神は人を創った>と旧約聖書にあるけれど、そもそも神って人間の想像力の産物でしょ、つまり、神様ってものを創っちゃった人間という奴を、創っちゃったのね、神様は、いやぁ凄いな」) 8.30


・ 跳びあがり摑んだ枝はやわらかく あきらめ方がよくわからない
 (江戸雪『百合オイル』1997、アッと言う間の瞬間の気持ちを上手く捉えた、「跳び上がって枝を両手で摑んだ瞬間、枝がしなっている、体重を支えきれるのか、折れるのか、折れないのか、ああ、判断できない!」) 8.31