今日のうた29(9月)

charis2013-09-30

[今日のうた] 9月

(写真は佐佐木幸綱、祖父は佐々木信綱、スポーツマンで味わいのある男歌(おとこうた)を詠む人、朝日歌壇選者、植村が投稿した短歌の中では、結果として、佐佐木幸綱選になったものが一番多かった)


・ ひとびとの見尽くしたりし虹をみる
 (山口誓子1950、「虹だよと人に教えられて、急いで外に出る、ああよかった、間に合った! 」、人より遅れて虹を見る作者、もう消えるかもしれないから、祈るような気持ちで見入る)9.1


・ 烈日の下に不思議の露を見し
 (高濱虚子1946、「まだ陽射しは強い、でも不思議なことに、葉の上に露が残っている、もう秋なんだ」) 9.2


・ おやすみ、ほむほむ、LOVE(いままみの中にあるそういう優しい力の全て)
 (穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(うさぎ連れ)』2001、最初の三語、とてもいい雰囲気、彼女がそう言ったのだろう、「ほむほむ」とは作者のことか) 9.3


・ 古墳かもしれない丘を駆けぬけて夕焼けの街 また駆けて去る
 (永井陽子1971、作者19歳頃の作、角川短歌賞候補作となった「太陽の朝餉」の冒頭の歌、「駆けぬけて、また駆けて去る」のは、のびのびとした元気な少女だろうか) 9.4


・ 透明に巻きこむ渦に似し眼ありわが反応を測りてゐたり
 (小野茂樹『羊雲離散』1968、33歳で事故死した作者は、昭和短歌でもっとも美しい相聞歌を作った一人、この歌はおそらく高校時代の作、「透明に巻きこむ渦」のような眼をした彼女は、東京教育大付属中・高の同級生で、後に彼の妻となる人か) 9.5


・ さまざまの七十年すごし今は見る最もうつくしき汝(なれ)を棺に
 (土屋文明1987、作者の70年連れ添った妻は、一晩病んだだけで急逝した、今、棺の中に「最もうつくしい」妻がいる、そして3年後には作者も100歳で逝去) 9.6


・ 人間にうわの空ありとろろ汁
 (清水哲男『打つや太鼓』2003、作者1938〜は詩人として著名な人、ユーモアのある俳句も詠む、この句もたぶん食卓の光景、せっかく好物のとろろ汁が出たのに、何か考えごとをしているのか、「人間に」と大きく出たのが俳諧の味) 9.7


・ 女郎花(をみなへし)そも茎(くき)ながら花ながら
 (蕪村1774、「それにしても、女郎花はいいな、茎はすらりとして、花は可憐、その名の通り美しい女性そのものだよ」、弾むような韻律のリズムが快い) 9.8


・ 上毛野(かみつけの)安蘇(あそ)の真麻群(まそむら)掻き抱(むだ)き寝(ぬ)れど飽かぬを何(あ)どか吾(あ)がせむ
 (東歌『万葉集』巻14、「上野国の安蘇の麻を刈取った青々とした束のように、若いピチピチしたお前を激しく抱いているのに、まだ満足できずに求めちゃうオレ、ああ、もう、どうしたらいいんだ!」、折口信夫は「放胆な歌、傑作」と絶賛) 9.9


・ ま遠くの野にも逢はなむ心なく里のみ中(なか)に逢へる背(せ)なかも
 (東歌『万葉集』巻14、「貴方って人はもう、ほんとデリカシーに欠けるんだから、なんで人目につかない遠くの野原じゃなくて、こんな街のど真ん中で堂々と逢引するのよ、でも嬉しいわ!」) 9.10


・ 丸めがねちょっとずらしてへっ、と言い革の鞄を軽そうに持つ
  (東直子『春原さんのリコーダー』1996、作者は軽めでややシュールっぽい歌を詠む人、ここで詠まれているのはメタボなオッサン? スラリと美しい若い女性? 入学直後の初々しい高校生? どれもありなのが面白い) 9.11


・ 殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あかあきつ) ゆけ
  (水原紫苑『びあんか』1989、作者1959〜は、難解で、とてつもなくシュールな歌を詠む人、押せば潰れてしまう柔らかい生き物のトンボと、堅固で硬質な石とが通底する不思議) 9.12


・ とどまればあたりにふゆる蜻蛉(あきつ)かな
 (中村汀女『汀女句集』1944、「やや早足で歩いている私、一緒に並んでトンボが飛んでいる、ふと止まってみる、トンボが増えたみたい、いや、そう感じるだけかな」、作者1900〜88は虚子門下) 9.13


・ 火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり
 (秋元不死男1974、油の乗ったサンマを上手に焼くのは難しい、「火だるま」になり、ああ、すっかり黒焦げになったサンマが食卓に) 9.14


・ 林檎投ぐ男の中の少年へ
 (正木ゆう子『水晶体』1986、「大好きな彼氏に、リンゴをいたずらっぽく投げる私、彼の中のいたずらっぽい少年に向けて」) 9.15


・ 颱風の目の空気中女気(にょき)を断つ
 (西東三鬼1958、「台風の目の中に入ったのかな、風雨が止んで青空が見える・・・、いや、しばらくは油断禁物、女はまだだ」、三鬼一流のユーモア句、「空気」「女気」と韻を踏む) 9.16


・ 一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月
 (芭蕉1689、『奥のほそ道』の旅の途上、越中の国・市振(いちぶり)の安宿に泊まった作者、なんとまあ隣の間には、旅の途中の若い遊女が二人泊っているではないか、庭先の萩の花と月を眺めながら、会話に思わず聞き耳を立ててしまった、台風一過の今夜は月夜) 9.17


・ 金剛の露ひとつぶや石の上
 (川端茅舎『川端茅舎句集』1934、「石の上に、水滴が一つぶある、ダイヤモンドのように硬質な水滴」、一滴の水の美しさをダイヤモンドに喩えた、作者の代表作の一つ、虚子は作者を「花鳥諷詠真骨頂漢」と誉めた) 9.18


・ 月下独酌一杯一杯復(また)一杯はるけき李白相期(あいき)さんかな
 (佐佐木幸綱1972、月を見ながら独酌、酒を愛した中国の詩人・李白と交歓する作者、そのために漢詩風の作りになった、今夜は十五夜) 9.19


・ 白埴(しらはに)の瓶(かめ)こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり
 (長塚節1914、作者1879〜1915は子規とともに『アララギ』を創刊、この歌は、喉頭結核で苦しむ最晩年の作、「霧の出ている秋のある朝、白磁の瓶に冷たい水を汲んだ」という意だが、白磁の美しい瓶が、秋の冷たい水と空気によくマッチ、明日は、こういうリアリズム短歌とは対極にある和泉式部の秋霧の歌を) 9.20


・ 白萩の雨をこぼして束ねけり
 (杉田久女、作者1890〜1946は俳誌『花衣』主宰、女流俳人の草分けの一人で、花の句をたくさん作った、この句も「雨をこぼして」が素晴らしい) 9.21


・ まだ声に出さざる言葉あたたかし
 (片山由美子『天弓』1995、まだ心の中にあって口に出されない言葉が「あたたかい」、自分のことだろうか、それとも、苦しんでいる自分に語りかけようとする相手の表情だろうか) 9.22


・ 階段を二段跳びして上がりゆく待ち合わせのなき北大路駅
 (梅内美華子1991、今日はデートではないから、二段跳びで駆け上がっていく元気な少女、でもデートの時は楚々と歩いて現れる? 同志社大学在学中の作者1970〜は、この歌を冒頭とする一連の歌「横断歩道」で角川短歌賞を受賞) 9.23


・ 眉根たかく眉根かなしく君が理に引きもどされゆくまでを触れゐつ
 (米川千嘉子『夏空の櫂』1988、「貴方の顔にもっと触っていたいわ、でも貴方は、すぐ眉を引き締めて、難しい顔になって、理性的な自分に戻ってしまう、あまり甘えさせてくれないのね」、おそらく20歳頃の作、一歳年上の彼氏は寡黙な学究肌の人で現在は東大教授) 9.24


・ ためらひを重ねてわれらがめぐりには一万尺の海の沈黙
 (今野寿美『花絆』1981、作者1952〜の恋の歌には舞い上がったルンルン気分のものはない、そこに湛えられた静かな抒情に、愛情の深さが感じられる) 9.25


・ 常燈や壁あたゝかにきりぎりす
 (服部嵐雪、作者1654〜1707は芭蕉の弟子、「壁が常夜燈に照らされて、やや温かい感じだな、あっ、こおろぎもいるよ、鳴いている」、視覚(=明るさ)、触覚(=温かさ)、聴覚(=こおろぎの声)の三要素が、さりげなく一句に詠み込まれている) 9.26


・ こほろぎのこの一徹の貌を見よ
(山口青邨『庭にて』1955、コオロギの顔を超アップで捉えた味のある句、「一徹の」がいい、作者1892〜1988は虚子門下、東大工学部教授をつとめた) 9.27


・ 来(こ)じとだに言はで絶えなば憂かりける人のまことをいかで知らまし
 (相模『後拾遺和歌集』、「貴方が「もう来ないよ」と言って帰ったから、その冷たい心が分かったわ、どうもありがとう、もしそう言わずに黙って帰ったら、貴方の心の真実が分からず、いたずらに待ち焦がれたもんね、私」) 9.28


・ 音せぬが嬉しき折もありけるよ頼み定めて後(のち)の夕暮
 (永福門院『玉葉和歌集』、「貴方は便りをくれないけれど、その方がかえって嬉しいの、貴方の愛を信じて以来、夕暮になると、必ず貴方が来るって思うから」、不安を鎮めようとしているのか、作者1271〜1342は伏見天皇中宮、彼女の父は西園寺実兼で、『とはずがたり』の作者・後深草院二条の愛人「雪の曙」) 9.29


クリケットの選手は白く光りおり沈まぬ夕陽いつまでも受けて
 (植村恒一郎「朝日歌壇」1993.9.26、佐佐木幸綱選、私がイギリスのエセックス大学に滞在した時の光景、毎日夕方には学内でクリケットの試合があり、選手の白いセーターとスラックスが、高緯度のためなかなか沈まない夕陽に映えていました) 9.30