ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 『カーネーション』

charis2017-03-16

[舞踊] ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『カーネーション』 さいたま芸術劇場


(写真右は、自分の席から立って見た開演直前の舞台、3列目なので、表情や身体表現は細部まで見えたが、角度がやや低く、カーネーションを真横から見ることになった、写真下はポスターと舞台、台の上はスカート姿だが男性)


私は舞踊やダンスは事実上、これが初見。演劇やオペラとは表現の様式が大きく異なるので、驚くことが多かったが、今まで感じたことがなかった身体の美しさを知ったことが大きな成果だった。科白はかなりあって、英語、日本語が交互だが、仏語やわずかにドイツ語も混じるのは、国が違う人間が出会うこと自体がテーマになっているからだろう。半分を日本語にしたのは、日本の観客を「参加者」と考えている。教師であり官僚でもあるような長身の男性が、怖い顔で「パスポートを拝見」と何度も言うのがとても印象的だ。異質な人間が互いに自分を表現し合いながらともに踊るのが、「ピナ・バウシュのタンツテアター」の新しさなのだと思う。演劇的な要素はあるのだが、一貫した物語ではなく、断片的・エピソード的なコラージュから成り立っている。子ども/両親、生徒/教師、同胞/異邦などの関係性を通じて、とりわけ集団の遊びを通じて、男と女が出会って愛を成就させるというのが、全体の主旨だろう。身体全体を使って手話をしているような印象も受けた。たとえば、椅子を使って、皆が一斉に足をあげたり下ろしたりするシーンは何度もあるのだが、そのつどコンテクストと音楽が異なり、違った感情が表現されているのだと思う。愛の優しさだけでなく、怒りや威嚇や暴力もたくさん表現されている。写真下↓。



プログラム・ノートによれば、「バウシュの質問に出演者たちが、せりふや歌、動作やダンスで答え、それを彼女が取捨選択してコラージュする創作方法」とあり、バウシュは「人がいかに動くかにはそれほど関心がありません、関心があるのは、何が人を動かすのかです」と言っている。戯曲のようなシナリオがあるのではなく、出演者に身体表現をさせながら作品そのものを創作してゆくのだ。世代が変ったときに、どう作品を継承してゆくのかが課題になるだろう。一番面白かったのは、女はいつもスカートだが、男がスーツとスカートの二種類の衣装を頻繁に取り換えることである。愛の独特のメタファーなのだと思うが、男は女になるときがあるが、女は女のままなのだろうか。スーツ姿の男は、さすがにダンサーだけあって、すっくと立つだけで異様に美しく見えるが、スカート姿になるととてもコミカルで、見ただけで笑ってしまう(写真下↓)。足の動かし方に何か特徴があるようで、春夏秋冬を表現するラインダンスなど、その優美な美しさは素晴らしかった。


下記に、動画が三つあります。
http://www.saf.or.jp/stages/detail/3633?utm_content=bufferc580f&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

https://www.youtube.com/watch?v=gKy9MiOey_s