今日の絵(15) 9月前半

今日の絵(15) 9月前半

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1 Van Eyck : Portrait of a Man with Carnation, 1435

今日からは有名人ではなく普通の人の絵、みな堂々とした存在感がある、まずファン・エイクの「カーネーションを持つ男」、たぶん50代だろう、ものすごく小さいが、結婚の象徴であるカーネーションの花束を手にしている、この男にも「残り者には福がある」のだろうか

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2 Frans Hals : Fisher Girl, 1632

タイトルは「少女」だがやや老けて見える、しかしハルスの絵らしく、動作と表情が生き生きとしている、豊漁だったのだろうか、魚を掴んでいる少女は嬉しそうだ、後方に雲、舟の帆、小屋らしきもの、人、鳥などが見えて、空間そのものに活気がある

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3 Vacily Tropinin : The old man farmer, 1825

ヴァシリー・トロピニン1776~1857はロシアの画家、モルコフ伯爵に所有される農奴だったので完全に自由になったのは47歳頃、それ以降はモスクワの人気肖像画家として活躍した、この老人はずっしりとした存在感があるが、たぶん階級は低い

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4 Manet : The Smoker, 1866

モデルの人物はやはり画家のJoseph Gall、布地のコート、毛皮の帽子、パイプなど、絵を描くために着せたのだろう、背景も含めた灰色の基調、髭や肩のあたりの茶色、手にした布の水色など、落ち着いた色彩のバランスが美しい、前年のマドリード旅行でのベラスケス研究の成果

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5 Anker : Hohes Alter II (alte Frau sich aufwärmend), 1885

スイスの山村は寒い、台所にいる老女中だろう、彼女は「体を温めている」、下にある小さな火鉢のような容器から、手をこれだけ離して、水平にかざし、顔を含めた上半身は、これだけの角度をもって傾けている、そして視線をやや落とし、固い表情をしているのが非常にリアル

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6 Anker : Die kleine Kartoffelschälerin 1886

昨日に続いて、同じアルベール・アンカーの描いた台所風景、こちらは「じゃが芋を剥く少女」、顔からすると画家の娘か、机や壁の木の部分、古ぼけた食器、少女の衣服、じゃが芋など、その質感が丁寧に表現されており、横顔だが手先をしっかり見詰める視線も分かる

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7 Cezanne : The Smoker, 1890

「何よりも、習慣を変えずに年をとった人たちの姿が大好きです」とセザンヌは語ったそうだが、なるほどこれはそういう人だ、眼は暗い窪みになっていて、むしろ他者の視線を意識しない「無為」の体勢に、彼の生きてきた時間が凝縮されている

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8 高橋由一 : 美人(花魁)、1872

花魁(おいらん)のような華美な色彩を日本人が油絵で表現した初めての作品、身体の立体感は足りないが、襟の白色の厚塗りなど、由一は油絵具の色彩効果と必死に格闘している、絵具は手製で、油絵技法が日本人のものになるまでの高いハードルを、由一は一つ一つ越えていった

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9 黒田清輝 : 少女(雪子十一歳之像)、1899

雪子は黒田の姉千賀子の娘、よく黒田家に来て夫妻に可愛がられていた、スナップ写真を撮るように即興的に描いたといわれ、筆致の流れに躍動感がある、ちょっと意識して眼に力が入っている少女の固めの表情がいい、唇が赤いのは緑との対比を意識的に作っているのだろう

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10 中村彝 : エロシェンコ氏の像、1920

中村の代表作、ロシアの盲目の詩人エロシェンコが放浪して日本に来たのを画家の鶴田吾郎が目白駅で見つけ、中村と二人でそれぞれ8日間描き続けた、特有の風貌が見事に捉えられ、詩人エロシェンコを知らない人にも、いかにも詩人に見え、光という外面によって彼の内面が描かれている

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11 岸田劉生 : 古屋君の肖像(草もてる男の肖像)、1916

モデルは古屋(こや)芳雄、東大医学部を卒業し、たまたま劉生の隣に住んでいた友人、この絵は劉生の肖像画が変わり始めた転機をなす作品、「デューラーレンブラントルーベンスゴヤ等のクラシックの感化から」自分がようやく自由になったと劉生は感じた

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15 萬鉄五郎 : 水着姿、1926

萬の死の前年の作、彼は「緑色の水着」を求めて岩手から東京に出たが見つからず、横浜で入手、たしかに緑色の水着はこの絵に不可欠だ、唐笠の黄色、帽子の赤、海の青さ、肌の褐色と緑色とがよく調和して、ちょっと固い表情の女学生(たぶん)の健康な身体が、くっきりと描かれる

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16 安井曾太郎 : 婦人像、1930

しとやかな和服姿だがモダンガールだろう、椅子に寄りかからず、乗り出すように稟と背筋を伸ばした伸びやかな姿勢、少し前に出した左足など、動性のある身体、顔の豊かな表情など、彼女のおおらかで明るい性格がうかがわれる、恋愛にも積極的なのかな

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17 国吉康雄 : 女は廃墟を歩く、1946

国吉1889~1953は17歳でアメリカに渡り、一度の短期帰国を除いて終生を在米で過ごした。一般に画家は、美しい、幸福な女性を描くことが多いが、彼は「私が描く女性は、孤独で、何かを失い、荒れ、考えている人たちだ」と言う。この絵も、戦争で何かを失った女性