ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』

charis2017-10-21

[演劇] ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』 新国立・中劇場 10月21日


(写真右はポスター、中央はヘクトル鈴木亮平、後方はオデュッセウスの谷田歩、写真下は終幕近く、トロイ王宮に現れたオデュッセウス(後方)は、王プリアモス(中央)にヘレネを返すよう要求、オデュッセウスの立つ通路の傾きが、やがて「運命の秤」の傾きとなる、写真その下は、舞台の模型、貝を巻いたような斜めに人が動く構成)


事前に戯曲を読んだときには『イリアス』のパロディかと思ったが、第三歌に、「開戦前にオデュッセウスヘレネの交渉にトロイ王宮に来た」とあるから、それを踏まえて作られている。この作品は、戦争を避けようと苦闘するヘクトルオデュッセウスが、運命を出し抜こうとして、しかもあと一歩で運命を出し抜けるところで、一転して、運命に出し抜かれてしまう、という主題だ。だから意外にも、非常にギリシア的な作品だと思う。最後に運命が二転三転して緊張感が高まり、開戦へ運命が暗転するところは、戦慄を覚える。「偶然」が幾つも介入し、それが「必然」として姿を現すのを見るのは、実に怖いものがある。アリストテレスが『詩学』で述べた「真実らしさ」とは、この劇のようなものを言うのだろう。(写真下は↓、アンドロマケ(鈴木杏)とヘクトル)

この劇でもっとも重要な科白は、オデュッセウスが語る以下のものだろう。すなわち、「ヘレネのことで、あなたヘクトルもパリスも勘違いした。・・・彼女は、運命が個人的に用立てるために地上に流通させている稀な人間のひとりだ。・・・(彼女のように)運命の人質になっているものを見分けるのは容易じゃない。あなたたちには、それができなかった。・・・(パリス)は、脳みその一番小さい、心の一番こわばった、隠し所の一番狭い女を選んだ。あなたたちの負けだ。」この劇では、ヘレネが深みのある人物であるのに驚かされる。謎めいていてノンシャラントなのは、たぶん『イリアス』でもそうなのだろうが、彼女は男の欲望に翻弄されるたんなる人形ではなく、むしろカサンドラに近い、巫女や預言者のような存在になっている。アンドロマケの苦悩は、徹底して人間の女のそれであるが、ヘレネは本当はまったく苦悩していない。決して主体にならない傍観者だ。これが「運命が流通させている人質」ということだろう。彼女はゼウスの娘だから、人間らしさが希薄である。彼女は、何度執拗に尋ねられても、パリスを「愛している/愛していない」を言わない。アンドロマケにとって価値のすべてである「愛している/愛していない」は、ヘレネにとってはどうでもよいことなのだ。ヘレネが、ヘクトル、アンドロマケ、カサンドラと交わす議論は、すべてヘレネが勝っている。(写真下は↓、ヘレネ(一路真輝))

それにしても、人間の力を最後まで信じて、運命に立ち向かい、開戦を避けようと努力するヘクトルは、なんと素晴らしいのだろう! そのヘクトルよりも、オデュッセウスの方がさらに一枚上であり、運命をよく知るにもかかわらず、そのオデュッセウスもまた運命に出し抜かれてしまう。「運命の秤」の前での、ヘクトルオデュッセウスの対話も本当に素晴らしい。しかし結局、戦争をもたらす真の原因は、指導者の決断ではなく、大衆の熱狂なのだ。この劇では、御用詩人デモコス(大鷹明良)が、大衆の熱狂と指導者を繋ぐ重要な人物である。軽薄で卑屈な感じがよく出ていた。
 せっかくヘクトルがヘレナを言いくるめて説得できたのに、船員たちが、船の甲板でパリスとヘレナに性行為があったことを、面白おかしくバラしてしまい、すべては水泡に帰してしまった。船員の話を聞いて狂喜する大衆。特に、宮廷の女中たちが、顔に満面の喜色を輝かせて、互いに顔を見合わせて、キャーキャー歓声をあげるのは恐ろしいくらいの迫力がある。どうして人はこうもセックス・スキャンダルが好きなのだろう。大衆の熱狂が戦争の真の原因であるというジロドゥの洞察は正しいと思う。トランプ、安倍、日本のネトウヨなど、本当に危険な時代になったと思う。


1分50秒ほどの動画があります↓。
https://www.youtube.com/watch?v=38PZMAJzyWo