藤倉大『ソラリス』

charis2018-11-01

[オペラ] 藤倉大ソラリス』 演奏会形式 池袋、東京芸術劇場 10月31日


(写真右は今回の日本初演の舞台、写真残りはすべてヨーロッパ劇場版から、↓下はシャンゼリゼ初演から、今回は演奏会形式でダンスがない、これではこの作品のよさは失われてしまう)

スタニスワフ・レムのSF小説をもとに、藤倉大がオペラ化したもの。タルコフスキー版の映画でも映像が印象的だったように、オペラでも視覚の表象がほしい。2015年のシャンゼリゼ劇場初演では、勅使河原三郎がダンスを振付けており、下記の動画を見てもわかるように、非常に洗練されて美しい作品である。ところが、今回のように演奏会形式にしてしまうと、オペラの視覚表象部分が事実上ないので、観客は科白の字幕を見続けているだけで、全体が単調に感じられる。物語は、惑星ソラリスに乗り込んだ探検隊の心理学者クリスは、そこで、若くして死んだ妻ハリーの「幽体」に会う。それはニュートリノで構成されたハリスのコピーなのだ。惑星ソラリスには高等な生命があり、人間の「記憶」情報から、それの三次元コピーを作ってしまうのだ。動揺した探検隊員によってハリーのコピーは消滅させられてしまうが、たとえコピーであってもハリーとクリスの間につかのまの愛が再生する。それがとても美しい。ハリーは生身の女性ではなく、ニュートリノによる「表面だけの存在」なのだ。だからそれを表現するのにダンスつまり身体表現は必須のはずである。(写真下は、シャンゼリゼ初演より↓)




どうして今回は、演奏会形式にしたのだろう。音楽だけ聞いても、ダンスや演技がなければ、とてもつまらない。私はオペラの演奏会形式を否定はしない。『トリスタンとイゾルデ』のように身体の動きがほとんどない作品は、それでもよいだろう。でもオペラは原則として視覚される身体表現を必ず含むべきだし、特に『ソラリス』についてはそれが言える。(写真下は2018年アウグスブルク劇場の上演から↓)


下記にシャンゼリゼ初演の2分43秒の動画があります。
https://theoperatunist.wordpress.com/2015/04/04/solaris-melrose-tynan-randall-thorpe-opera-lille-march-28th-2015/


下記に、今回の動画28秒もありました。
https://twitter.com/daifujikura/status/1057449175586037760