平田オリザ『ソウル市民/ソウル市民1919』

charis2018-11-03

[演劇] 平田オリザ『ソウル市民/ソウル市民1919』 駒場アゴラ劇場 11月3日


(写真はすべて『ソウル市民1919』、ただし今回ではない上演も含む、写真右は、客として来ている日本人力士、「ごっつあんです」とドスの効いた声を出すコワモテだが、実はとても弱っちい青年、すぐ下↓は今回の舞台)

平田オリザの舞台は全部で6つしか見ていないが、『ソウル市民1919』は本当に素晴らしく、日本演劇史に残る傑作だと思う。平田の劇はすべてアリストテレスの「三一致の法則」を守った一幕一場ものだが、演劇という表現様式の原点に忠実であることが彼の芝居の魅力の源泉だと思う。居間のようなところに、人が入れ替わり立ち代わりして互いに何かしゃべっていくだけで、たとえば『ソウル市民1919』は110分の上演時間だが、舞台の上でも110分の時間しか流れない。最大80人くらいの客席と小さな舞台。この小さな時空で、我々の人生そのものが濃密に演じられる。これが演劇というものなのだ。今回、シナリオを見て分かったが、冒頭、「客入れ、おおむね20分間、舞台では書生の岩本が座って新聞を読んでいる・・・」と書いてある。つまり、開場して最初の客が劇場内に入ったときから劇はすでに始まっているのだ。演劇もまた役者と観客が出会い、劇場という時空を短時間共有し、そして別れる。平田劇は、『さよならだけが人生か』のタイトルも示すように、人と人がわずかの時間と空間を共有し、そしてまた別れていく、その出会いと別れを描いている。恋愛も、暴力も、事件もなにもなく、淡々とした日常の光景だが、でも、これはまさに我々の人生そのものではないだろうか。我々はたまたまこの世に生まれ、他者と時空を短い間共有し、そして必ず死んでゆく。平田劇もまた、居間や食堂で数人がしゃべり、そしてそれぞれ別々に出ていく、それだけ。『ソウル市民1919』は、三一独立運動(万歳事件)の日を三一致の法則に従って描いたものだが、外では朝鮮人たちがデモをしている「らしい」が、ソウルの日本人商店の居間では、朝鮮人女中たちが朝鮮語で歌を歌って(写真↓)、ちょっと外へ出て行った「ようだ」というだけで、たわいのない雑談しか行われない。あとは出来事らしい出来事といえば、日本人力士が客として現れ、女性たちが彼のお腹にさわらせてもらうことだけで、他は、出戻りの若い長女の見合い話を兄が勧め、長女はその見合いを嫌がり、友人や女中たちは興味津々でその話を聞き、少し会話に加わるくらいなもの。


人は、こんなときには、こんなふうに感じ、こんな表情や仕草をして、こんなことを言う。演劇はそれを示すことしかできない。しかし、それによって演劇は、人間という存在の愛おしさと美しさを表現することができる。エクリチュールである小説と違って、生の言葉が語られるから、演劇の科白は、パロールという言語の原点をたえず提示する。平田劇は、何といっても科白が素晴らしい。『ソウル市民』は地味な劇だが、輝くような科白が多い。科白が輝くとは、人間はこんなときにはこんなことを言うよね、という点に深い共感を呼ぶということだ。平田劇の主人公をいつもつとめる山内健司が名優であるのは、こんなときにはこんな表情でこんなことを言う、その言い方が素晴らしいからだ。小さな居間でのちょっとした雑談。だが、そこに居合わせ、そしてそれぞれの事情でそこを去っていくという、人の別れの何と美しいことだろう。見合い話にイライラしている長女が、力士のお腹をさわらせてもらっているうちに、それを殴り始め、力士が泣き出して出て行ってしまうシーンはとても素晴らしい。本作を観て、7月に上演された『日本文学盛衰史』が失敗作だった理由も分った。明治の文豪の葬式に文士たちが集まるのだが、三回も別々の葬式があって、とても鬱陶しく、全体が騒がしく終わってしまった。葬式を一回だけにして、文士たちの立ち去り方と別れを細やかに描いたら、きっと成功しただろう。平田劇はやはり、一幕一場と実時間の共有でなければならないと思う。(写真↓上は『ソウル市民』)