[今日のうた] 9月分
(写真は小池純代1955~、やや古風な文体の優雅な言葉遊びの歌を詠む人、歌集に『雅族』1991、『梅園』2002などがある)
- あをくさきわれの胸処(むなど)に落ちしものきみが歌きみが口にせぬ悔い
(今野寿美『花絆』1981、「きみ」は、のちの夫で歌人の三枝昂之、8才年長の「きみ」は短歌の師でもある、「きみ」の歌や、「きみ」が口にせぬ悔いが、作者の心の深い処に届くようになった) 9.1
- 灼きつくす口づけさへも目をあけてうけたる我をかなしみ給へ
(中城ふみ子『乳房喪失』1954、作者は若くして乳がんで亡くなった人、この歌も、自分の死を予感しているのだろう、絶唱の愛の歌) 9.2
- さやうなら煙のやうに日のやうに眠りにおちるやうに消えるよ
(小池純代『雅族』1991、作者1955~は優雅な言葉遊びの歌を作る人、この歌も「やうな」「やうに」が繰り返される、恋の別れのなのか、それとも友人との普通の別れなのか、何の別れなのだろう) 9.3
- 夕されば床(とこ)の辺(へ)去らぬ黄楊(つげ)枕何(いつ)しか汝(な)れが主(ぬし)待ちかたき
(よみ人しらず『万葉集』巻12、「夕方になるといつも私の床にいて離れないすてきな黄楊枕さん! 私と同じようにあなたも待っているのよね、なのに、貴兄はどうして来てくれないの!」) 9.4
- 秋の野になまめき立てる女郎花(をみなへし)あなかしがまし花も一時
(僧正遍昭『古今集』巻19、「秋の野にしゃなりと立つ女郎花みたいに、彼女はすごく色っぽいな、でもねぇ、私って美しいでしょと、いくら誇っても、花の盛りは短いんだよね」、「なまめき立てる」とか「あなかしがまし」とか、ずいぶんきつい言い方) 9.5
- 睦言(むつごと)もまだ尽きなくに明けにけりいづらは秋の長してふ夜は
(凡河内躬恒『古今集』巻19、「君と共寝して、いろいろ楽しくおしゃべりしているうちに、もう夜が明けちゃったね、<秋の長い夜>はどこへいっちゃったんだろう」、そんなに話すことがあるのか、会話の名手躬恒?) 9.6
- 入る方(かた)はさやかなりける月影をうはの空にも待ちし宵かな
(紫式部『新古今』巻14、「その日の月が沈む場所が明確なように、今晩貴方がどの女の所に行ったかはもちろん知ってるわよ、ああそれなのに、貴方が来るんじゃないかと宵のうちから心待ちにしていたのよね、私は」) 9.7
- 魔がさして糸瓜(へちま)となりぬどうもどうも
(正木ゆう子1999、「何か出来心でちょっと悪いことをしちゃった、そしたら自分がヘチマになっちゃった、照れくさいので、まわりのヘチマたちに、<どうもどうも>と挨拶する」?、よく分からないが面白い句) 9.8
- 颱風に吹きもまれつつ橡(とち)は橡
(富安風生、「トチノキは樹高の高い大木である、そのトチノキが激しく台風に「吹きもまれ」ている、しかし、もがき苦しむように枝がうねっても、しっかり立っている」、台風15号は今、中心が千葉市の北あたりか、埼玉の我が家も風雨が強い) 9.9
- 語りつゝ立てる親子や野分跡
(吉澤無外、作者は富山県の旧制魚津中学教諭だった人、この句は、久しぶりに大きな台風が来て去った翌日だろう、台風の爪痕を見ながら、親から子に「語ること」がたくさんある、災害は次世代に語り継ぐべき過去の重要な記憶) 9.10
- 月光をふめばとほくに土こたふ
(高屋窓秋『白い夏野』1936、「月あかりが地面一杯に広がっている、ちょっと足を踏み出したら、足元ではなく<遠くの>土が応えたような気がする」、月光がコミュニケーションの媒体になっているのか) 9.11
- 日に吼(ほ)ゆる鮮烈の口あけて虎
(富澤赤黄男『天の狼』1941、『天の狼』冒頭には、虎、豹、黒豹などが出てくる、動物園で見たのかもしれないが、中国戦線に動員されて戦争句をたくさん詠んだ作者だから、何か象徴的な意味があるのかもしれない) 9.12
- おらは此のしつぽのとれた蜥蜴(とかげ)づら
(渡辺白泉『白泉句集』、昭和43年頃の句、翌年作者は脳溢血で亡くなる56才、晩年の句には強い苦しみを感じさせるものが多い、植村は今日から少しだけ山に籠ります) 9.13
- 息を呑むほど夕焼けでその日から誰も電話に出なくなりたり
(石川美南『離れ島』2011、作者1980~はある離れ島に来て、素晴らしい夕焼けを見たのだろう、その日から自分はまったく別人になったような気がする、家族や友人ともまったく話が通じなくなってしまった、というのか) 9.16
- 膨大な記憶を転写されている夕焼けのわれにピアノのしずく
(井辻朱美『クラウド』2014、作者1955~は歌誌「かばん」主宰、夕焼けを見詰めている作者の脳の中では、RNAが「膨大な」情報を「転写」しているのだろうか、記憶がどっと甦ってくる、その中にピアノの音が「しずく」のように混じっている) 9.17
(梅内美華子『エクウス』2011、競馬で「ウオッカ」という名の美しい体をした牝馬が快走した、作者は「ウオッカ」に自分の姿を見ているのだろうか、夜、自分の体を撫でながら、また「ウオッカ」を想いだす) 9.18
- 近づいてまた遠ざかるヘッドライトそのたびごとに顔面すてる
(江戸雪『駒鳥(ロビン)』2009、郊外の真っ暗な夜道を車で走っている、対向車のヘッドライトが当たるたびに、顔が照らし出される、でもまた完全に闇に消えてしまう、「そのたびごとに顔面をすてる」かのように) 9.19
- 遠き太鼓の音聴くやうに人と居て人の話をまつたく聞かず
(大口玲子『東北』2002、「すぐ眼の前にいる人の話を聞いているのだが、まるで「遠い太鼓の音を聴いている」ような感じで、話の内容はまったく私の心に届かない、私の心はまったく別なことに占められているから」) 9.20
- 京筑紫去年(こぞ)の月問ふ僧仲間
(内藤丈草『猿蓑』、京都のある僧と、その仲間で筑紫から帰ってきた僧とが、一緒に京都で月見をしている、互いに分かれて別々に見た「昨年の」月について尋ね合いながら、今年は一緒に月見できることをよろこぶ) 9.21
- 舟炙(あぶ)るとま屋の秋の夕(ゆうべ)かな
(服部嵐雪『虚栗』、「苫ぶきの小さな小屋のある海辺で、漁師が船の底板を炙っている、立ちのぼっている白い煙がわびしい」、船底に付着した藻や貝殻をこそぎ落したあと「火であぶる」作業、定家の歌のもじりだが、こちらは生活の匂いが) 9.22
- 物の音ひとりたふるゝ案山子かな
(野沢凡兆『猿蓑』、「田を歩いていると、どこかでバサッというもの音がした、驚いてそちらを見ると、風もないのに案山子が倒れたのだ、寂しい田だな」、「ひとりたふるゝ」がシャープな把握) 9.23
- 別れては昨日今日こそ隔てつれ千代しも経ぬる心地こそすれ
(謙徳公『新古今』巻14、「貴女と喧嘩して、もう二度と会わないと誓って別れてから今日で二日目、でもこの二日は千年にも感じられて、寂しくてたまらない、あの誓いを取り消すから、僕とまた会ってよ」、女の返しは明日) 9.24
- 昨日とも今日とも知らず今はとて別れしほどの心まどひに
(恵子女王『新古今』巻14、「私だって、喧嘩したのが昨日だったか今日だったか思い出せないの、貴方とはもうこれで終りかと思うと悲しくて悲しくて心が乱れてしまったからよ、でも、仲直りしましょう、早くいらしてね」、昨日の歌の返し) 9.25
- うたゝ寝にはかなく覚めし夢をだにこの世にまたは見でややみなむ
(相模『千載集』巻15、「私がうたた寝している最中の夢に、貴方が現れた、と思ったら、しかし、いつもはかなく覚めてしまう、でもそんなはかない夢でさえ最近は見ないわ、貴方とはもう夢でさえ会えないのね」) 9.26
- 秋の蝶小さき門に就職する
(宮崎重作『昭和俳句選集』1977、この句は1951年の作だという、秋の蝶は、低く、フラフラと弱々しく飛んでいることが多い、その蝶が「小さき門」に留まった、たぶん実景だろうが、作者はやっと小さな会社に就職できたのだろうか) 9.27
- 鰯雲故郷の竈火(かまどび)いま燃ゆらん
(金子兜太『少年』、1941年頃の作、作者は東大経済学部に入学して東京にいるのだろう、ある秋の日、明るい空に広がる鰯雲が、作者には、故郷の秩父の実家にある暗い竈で燃えている炎のように見えた) 9.28
- 灯火親し英語話せる火星人
(小川軽舟『俳句研究』2004年10月号、「灯火親しむ」は秋の季語、家族と一緒に居間でTVを見ているのだろうか、英米で作られたSF映画なのか、出てきた火星人が当然のように英語をしゃべっている、そこに違和感を感じる作者) 9.29
- 秋雨の瓦斯(ガス)が飛びつく燐寸(マッチ)かな
(中村汀女、昔の台所では、一台一台別に置かれた小さな黒いガスコンロが使われていた、マッチを擦ってから、コンロの栓を開くと、コンロの穴から噴出したガスがマッチに「飛びつく」ように炎となる) 9.30