今日のうた(103)

 [今日のうた] 11月ぶん

(写真は吉屋信子1896~1973、少女小説で名高い作家だが、俳句や短歌も詠んだ)

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  • 秋しんしんからだの奥に霧ながれトランクはわが紺いろの馬

 (小島ゆかり『六六魚』2018、作者にしては難解な歌だが、詩的な美しさがある、駅か空港で、お気に入りの紺色のトランクに腰かけているのだろう、秋の空気の冷たさを「からだの奥に霧ながれ」と形容した) 11.1

 

  • 解読不能のメールを真夜くれて夫はいづくに酩酊すらむ

 (松山紀子『わたしの森も末端である』2019、これはいかにもありそうな情景、いつも残業などで遅くなる時は丁寧なメールをくれる夫が、今夜は「解読不能の」メールを送ってきた、少し心配する妻) 11.2

 

  • 女子トイレの多さは少女(をとめ)のあきらめし夢の数なり大劇場の午後

 (栗木京子『ランプの精』2018、作者は宝塚を見に劇場にいるらしい、宝塚は女性ファンが多い、トイレに並ぶ彼女たちを見て、この中には、少女のころ自分も宝塚に入ることを夢見た人たちもたくさんいるだろうと感じる) 11.3

 

  • 美知子さんみちこさんとてわれよりも妻にやさしき母なりしかな

 (山野吾郎『百四本の蝋燭 ― 母を偲ぶ百首』2019、104歳で亡くなった母を偲ぶ歌、作者の妻が「美知子さん」なのだろう、母が妻を呼ぶその声がいきいきと記憶に甦る、作者もかなり高齢のはず) 11.4

 

  • 銀色の高層ビルを仰ぐときおもふ近代断髪の女

 (米川千嘉子『牡丹の伯母』2018、高層ビルが立ち並ぶ都心のビジネス街で、颯爽としたキャリウーマン風の女性たちがビルからたくさん出てきたのだろう、昔、女が勤めに出て働くようになった頃の「近代断髪の女」の苦労をふと思う) 11.5

 

  • 声かかるほどに榠樝(かりん)の色づきし

 (依田明倫1928~2017、カリンの実は武骨な形をしているが、その黄色はよく目立ち、ちょっと「声をかけたくなる」親しみがある、我が家近くのカリンの樹にもたくさん色づいているので、通るとき思わず見てしまう) 11.6

 

  • 切株におきてまつたき熟柿(じゅくし)かな

 (飯田蛇笏、「よく晴れた秋の日、柿の木から捥いだ柿を、大きな切株の上に置いてみた、しっかりと熟した柿は赤く美しく光っている、本当に「まつたき熟柿」だなぁ」) 11.7

 

  • 菊の鉢廻転ドアに抱き悩む

 (吉屋信子、「こぼれんばかりに菊の花が咲いた大きな鉢を抱え持っている私、回転ドアのところにきた、ちょっと立ち止まってしまう、うまく通り抜けられるかしら」) 11.8

 

  • 逢ふことをいづくにてとか契るべき憂き身のゆかむ方を知らねば

 (選子内親王『新古今』巻20、「どこへいけば観音様に逢えるのかしら、どこで契れば(=約束すれば)逢えるのかしら、分んないわよ、だって私、方向音痴だもん、ただ浮き世を漂ってるだけだもん」、釈教歌なのに「逢ふ」とか「契る」とか恋の語彙で詠んでる、観音様は彼氏じゃありませんよ!) 11.9

 

  • 昼解けば解けなへ紐の我が背なに相寄るとかも夜解けやすけ

 (よみ人しらず『万葉集』巻14、「どういうわけかしら、昼間はなかなかほどけなかった私の下着の紐が、夜になると自然にほどけちゃう、そうよね、貴方が来る前触れよね、ああうれしい」) 11.10

 

  • 風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ

 (鏡王女『万葉集』巻4、「風の音にさえ恋を感じるなんて羨ましいわ、風の音にさえ彼が来ると心がときめくなら、嘆くことないじゃない」、額田王の「君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く」に姉(?)が応えた歌) 11.11

 

  • わが恋はゆくへも知らず果てもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ

 (凡河内躬恒古今集』巻12、「僕の恋は、どこに行くのだろう、どこかで終わるのではなく、永遠に続くのだろうか、あぁ、今はもう、ただひたすら貴女に逢いたい、逢うことが終りだと思うから」) 11.12

 

  • 秋風や模様のちがふ皿二つ

(原石鼎1915年、縁側か、あるいは外に向けて開け放たれた部屋だろうか、秋風が吹く寂しい夕方、そこに置かれた二枚の皿の「模様がちがふ」ことにあらためて気づく)11.13

 

  • 美(よ)きひとの後(あと)吸入をせんとする

  (山口誓子1935、作者は同年、肋膜炎を再発して治療を受けていた、この句も医者のところだろう、誰か知らない美しい女性の後に、酸素吸入の順番が回ってきた、何だか得した気分になっている作者) 11.14

 

  • あるものを着重ねつゝも肌寒し

 (高濱虚子1956、本格的な冬になれば分厚いセーターなどを着るが、秋はまだそこまで寒くない日もあるから、寒い日はつい「あるものを着重ねて」しのぎ、肌寒い思いをする、虚子晩年の句) 11.15

 

  • 焼栗も客も飛び行く夜寒かな

 (内藤丈草1662~1704、秋の夜もすっかり寒くなった、焼き栗を客が買って、「それを抱えて飛ぶように家に帰ってゆく」、江戸時代には焼き栗がどのように売られていたのだろう) 11.16

 

  • 火美(うるわ)し酒美しやあたゝめむ

 (山口青邨、酒の熱燗がうまい時期になった、「あたため酒」とも言うが、酒がうるわしいだけでなく、酒をあたためる火までうるわしい) 11.17

 

  • くらがりへ人の消えゆく冬隣

 (角川源義、冬がもうそこまで来ている、日没も早くなり「くらがり」が増えた、歩いている人が「くらがりへ消える」感じが、なんとも侘しい) 11.18

 

  • 秋深みならぶ花なき菊なれば所を霜の置けとこそ思へ 

(西行山家集』、所を置く=距離を置く、遠慮する、「秋も深まり花はみな枯れて菊だけが残っている、霜よ、せめて菊のある場所をよけて降りてほしい」、西行には理屈っぽい歌も多い) 11.19

 

  • 有明のつれなくみえし別れより暁(あかつき)ばかり憂きものはなし

 (壬生忠岑(みぶのただみね)『古今集』巻13、「せっかく来たのに貴女は逢ってくれなかった、夜が明け、月が空しく照っていた、あれ以来、明け方は僕にはとても辛い」、「来れど逢はず」のふられた歎き、百人一首にも採録) 11.20

 

  • あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜を独りかも寝む

 (よみ人しらず『万葉集』巻11、「山鳥の尾はとても長いよ、その長い尾みたいに、今夜も長いなあ、ああ、この長い夜を僕はまた独り寝で過ごすのか」、百人一首では人麻呂作とされているが、作者不詳の歌) 11.21

 

  • 待たましもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ今日の夕暮れ

 (和泉式部『日記』、「もし貴方を待っていたら、こんなつらい思いをしたかしら、貴方の代わりに手紙も持たない童が来たなんて、ああ、こんな悲しい今日の夕暮れ」、敦道親王が来なかったのを恨む歌) 11.22

 

  • つらからば恋しきことは忘れなでそへてはなどかしづ心なき

 (馬内侍『新古今』巻15、「私をそでにした貴方が恨めしいなら、貴方への恋しさなんか忘れそうなのに、そうならないだけでなく、どうしてこんなにそわそわしちゃうのかしら私」、昔の恋人に手紙をもらった返し) 11.23

 

  • 流れ出でむ憂き名にしばしよどむかな求めぬ袖の淵はあれども

 (相模『新古今』巻15、「貴方と付き合うと噂が世間に流れるでしょう、それが怖くてためらっちゃうのよ、私の袖の淵には涙が一杯にたまって、身を投げられるほど深いけれど」、噂が怖くて恋しい男と付き合えない歎き) 11.24

 

  • 母と子と拾ふ手許に銀杏散る

 (高濱虚子、母と小さな子が、きれいな落葉を選びながら拾っているのだろう、その「手許に」どんどん新しい銀杏の葉が落ちてくる、銀杏が散り始めると、落葉の量は半端でない) 11.25

 

  • はじめより掃かでありたる散紅葉

 (後藤夜半、「掃いた形跡がまったくなく、散った紅葉がすべて、そのまま地面にある、家の人に何かあったのだろうか」、「紅葉」は秋の季語だが、「紅葉散る」は冬の季語、初冬の寂しさを感じさせる) 11.26

 

  • 水草や水ある方に枯れ残る

 (正岡子規、「このあたりの多くの草は枯れてしまった、水草も少しづつ葉の縁から枯れているが、池の水の一番深いあのあたりは、緑の水草がまだ残っている」) 11.27

 

  • 枯草と一つ色なる小家かな

 (一茶、枯草と同じ色のあの小さな「小家」には、貧しい一家が住んでいるのだろう、そこにいる見えない人々への共感、一茶らしい優しさが感じられる) 11.28

 

  • ごめんごめん俺のでんわは糸電話 鳩がとまると通じへんねん

 (田中道孝『角川短歌』11月号、作者1959~は本年度の角川短歌賞受賞者、建設技師だろうか、工事現場の歌が並ぶ、大きな工事現場に連絡用の細い電線が張られているのか、そこに「鳩が止まった」) 11.29

 

  • わたくしが眠ってしまえばこの部屋は月のみの射す密室となる

 (鍋島恵子『角川短歌』11月号、作者の寝室には月の光が射して美しい、しかし一人でいる孤独のようなものも感じられる、眠ったまま死んでしまっても誰も気が付かない、作者1977~は本年度の角川短歌賞受賞者) 11.30