今日のうた(138) 10月ぶん
遠方とは馬のすべてでありにけり (阿部完市『純白諸事』1982、「馬が遠くにいる」というのが、作者にとって「馬」の原光景なのだろう、競馬を遠くから見たのか、それとも放牧された馬を遠くに見たのか、それとも遠い昔、幼少の頃、よく馬を見たのか、馬は時空的に遠い存在だ) 1
月光写真まずたましいの感光せり (折笠美秋『虎嘯記』1984、昔、子供が遊んだ「日光写真」というものがあった、絵を描いたフィルムを感光紙の上に乗せると絵が感光する、もし「月光写真」があれば、そこに「たましいが写った」はずだと作者1934~90は言う) 2
懸垂や鼻先を秋茜ゆき (佐野一郎「東京新聞俳壇」10月2日小澤實選、「懸垂している鼻の先を赤とんぼが通り過ぎた。とんぼはぶら下がっている人を人とは思っていないようだ」と選者評」) 3
だしぬけに向き変えそうな鰯雲(いわしぐも) (御厨安幸「朝日俳壇」10月2日小林貴子選、「回遊中の鰯のように向きを変えたら、と想像すると楽しい」と選者評) 4
福岡で三年ぶりに会う友は抱いた女の話をしてる (武田ひか「東京新聞歌壇」10月2日東直子選、作者はたぶん女性、「友」というから、卒業後「三年ぶり」の、大学の学科かサークルの同窓会だろうか、友人の女子がいる席で「抱いた女の話をする」男子、残念ながらいかにもありそうな話」) 5
傘さして橋渡りくるそれだけで絵になる人のいる世は楽し (表いさお「朝日歌壇」10月2日佐佐木幸綱選、歌舞伎の話ではなく、実際に「傘さして、橋を渡ってくるだけで、絵になる」ような粋で美しい人がいるのだろう、そういう「人がいる世は楽しい」) 6
東京にいるというよりサブスクで日々をレンタルしている気分 (ショージサキ『短歌研究』7月号、作者1992~は第65回短歌研究新人賞受賞、「サブスク」とはsubscriptionの略で、この場合は、自動車、家具、服などを買わずに有料でレンタルすること、なるほど東京の生活らしい) 7
一行の誰もさわれぬ詩になって透明なまま駅に立ちたい (小松岬『短歌研究』7月号、作者は第65回短歌研究新人賞で候補作に、駅や電車の車内を詠んだ、痴漢の被害に何度もあっているのだろう、痴漢を憎む歌) 8
家に着くだいぶ手前で鍵を手にしているおばさんナイフのようで (遠藤健人『短歌研究』7月号、作者1990~は第65回短歌研究新人賞で候補作に、夜だろう、かなり早くから鍵を取り出して家路を急ぐ「おばさん」、早く帰りたいのだろうが、「ナイフを手にしている」ように見える) 9
片時も自傷をしない人がいないふつうの学校という場所は (toron『短歌研究』7月号、作者は第65回短歌研究新人賞で候補作に、姉の立場から、不登校で引き籠りになった弟を心配する歌が並ぶ、弟は学校でいじめにあって自傷したのか、それが「ふつうの学校」というのが怖い) 10
何者にもなれないわたしだったから君だけ詰め込めた よかったな (城崎無理『短歌研究』7月号、作者は第65回短歌研究新人賞で候補作に、作者1997~は大好きなアイドルの追っかけをしている女子、「君」とは作者の「推し」のアイドル、「実在の彼氏はいないけど、それでいい!」と) 11
秋風に折れて悲しき桑の杖 (芭蕉1693 、「松倉嵐蘭を悼む」と前書、芭蕉の最古参の門人の一人が亡くなった、「桑の杖」は芭蕉自身が実際に愛用していたもの、たまたまこれも折れたのだろう、悲しみが倍加するように感じられた、芭蕉も翌年没する) 12
花の秋草に喰い飽く野馬(のうま)かな (服部嵐雪、「秋の花野に、秋草の花がこんなに綺麗に咲き乱れている、なのに、もう喰い飽きたかのように野馬がぶらりと動いている、花野の美しさなんか、馬には関心がないんだな」) 13
菊畑(きくばたけ)奥ある霧のくもり哉 (杉山杉風(さんぷう)、杉風は芭蕉の忠実な弟子、「この菊畑には、菊が美しく咲いているはずだが、霧が一面に立ち込めて、手前しか見えない、いや、かえってそのほうが想像力が刺激されて、見えない花の姿も目に浮かぶよ」) 14
おもしろさ急には見えぬ薄(すすき)かな (上嶋鬼貫、「この薄、まだ面白さが見えてこないんだけど、ひょっとして自分が悪いのかしら」、彼の俳論「独ごと」の解説に曰く、「薄は、心なき人には風情を隠し、心あらん人には風情を顕はす。只その人のほどほどに見ゆるなるべし」) 15
山の端(は)や海を離るゝ月も今 (蕪村、「おお、山の端のあたりが明るくなってきた、今宵の月は、ずっと遠くの海面をちょうど離れたばかりなのだろう」、月はまだ見えていないが、山の向こうの遠くの海から上がった、という雄大な句) 16
昨日見て今日こそ隔て我妹子(わぎもこ)がここだく継ぎて見まくし欲しも (よみ人しらず『万葉集』巻11、「君とは昨日逢って今日逢わないだけなのに、たった一日でも間があくだけでもたまらない、毎日逢わなきゃダメなんだよ僕は」) 19
思ふには忍ぶることぞ負けにける色には出(い)でじと思ひしものを (よみ人しらず『古今集』巻11、「君を恋してしまった僕の心は、告白せずにずっと内にしまっておきかたかった、顔色には出さず、そぶりも見せないつもりだった、でも、あぁダメだダメだ、ついに人に知られてしまった」) 20
今宵さへあらばかくこそ思ほへめ 今日暮れぬまま生命(いのち)ともがな (和泉式部『家集』、「今宵今宵と頼めて、人の来ぬに、翌朝」と前書、「今夜行く今夜行くと、いつも言いながら、いつもすっぽかす貴方、いいわよ、もし今夜も生きていたらまた辛いもの、私生きてないかもよ」) 21
行き帰る心に人の慣るればや逢ひ見ぬ先に恋しかるらん (藤原兼実『千載集』巻12、「思いあまって、心だけが私の身体から遊離して貴女の所へ行ったので、貴女が打ち解けてくださったのかもしれません、まだお逢いしていないのに、なぜこんなに恋しいのでしょう」) 22
めぐり逢はむ限りはいつと知らねども月な隔てそよその浮雲 (藤原良経『新古今』巻14、「いったいいつになったら貴女と逢えるのでしょう、今は、私にも貴女にも無関係の浮雲が、月と私との間をさえぎっていて、月が見えません、ああ雲よ、早くどいておくれ」) 23
思ふより見しより胸に焚く恋をけふうちつけに燃ゆるとや知る (式子内親王『家集』、「ひょっとして、もし貴方が、私の恋は今日突然燃えがったとでも思うなら、それは違うわ、貴方のことを思い始めて以来、貴方を遠くに見て以来、ずっと私の中で恋の炎は燃え続けていたのよ」) 24
夕方のチャイムの音が少しずつずれていき生まれゆくグルーブ感 (篠原治哉『短歌研究2022年7月号』、第65回短歌研究新人賞・候補作、地方都市の有線放送だろうか、拡声器のある塔が互いに離れているので、たとえば「夕焼け小焼け」のメロディーは輪唱のように響く) 25
二人きりの教室にだって最低の気分は落ちてる拾わないだけ (相明麦秋『短歌研究2022年7月号』、第65回短歌研究新人賞・最終選考通過作、難解だが、たぶん恋の歌だろう、彼女に片思いの恋をしていて、高校の始業前か放課後か、教室にたまたま二人だけがいる、でも振り向いてもらえない) 26
どの舟も隣の舟とそろわずに揺れてばかりの川べりだった (中本速『短歌研究2022年7月号』、第65回短歌研究新人賞・最終選考通過作、舟の動きの食い違いは人の心の比喩でもあるだろう、彼女と二人で川べりを歩いたけれど、互いの気持ちはズレてしまって、ついに波長が合わなかったのか) 27
曖昧に挙げあった手の曖昧さ 友人ならば振っただろうか (錫木なつ『短歌研究2022年7月号』、第65回短歌研究新人賞・最終選考通過作、パート社員として勤めている作者、「パート社員」同士の関係は微妙なところがある、互いに手を「曖昧に挙げあった」が「振る」ことはない) 28
「正解は無い筈なのだ」完稿す 雛流しのごと字幕はゆけり (両角美貴子『短歌研究2022年7月号』、第65回短歌研究新人賞・最終選考通過作、作者は映画字幕の制作者、なかなか訳文が決まらないで格闘しているうちに締め切りが、「雛流しのごと」という比喩が微妙で悲しい) 29
本当に寄り添っていたのは葬儀社で大病院はただ診ていただけ (岡田成司『短歌研究2022年7月号』、第65回短歌研究新人賞・最終選考通過作、作者は「大病院」の病室で父の最期を看取った、人々は素っ気なかったが、葬儀社の人だけは棺に「本当に寄り添って」くれた) 30
喜怒哀楽 嘘のつけないこの顔の役に立つ日が来ると思わず (柿本なごみ『短歌研究2022年7月号』、第65回短歌研究新人賞・最終選考通過作、中年の作者は生まれて初めて、アマチュア劇団?の舞台に立つ機会があった、その楽しい経験を生き生きと詠む) 31