美と愛について(16) ― 大黒達也『芸術的創造は脳のどこから生まれるか?』

美と愛について(16) ― 大黒達也『芸術的創造は脳のどこから生まれるか?』

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 本書(2020)は「美」を直接に問題にしているわけではないが、「芸術的創造」はどのようにして起きるのかを、脳の機能に即して考察した。脳波の他に、MRIやMRDTIなど脳の微細な磁気を調べられるようになったので、ベートーベンやモーツァルトを聴いているとき、弾いているとき、あるいは、ジャズを楽譜通りに演奏しているとき、即興的に演奏しているときなどを、比較して、脳がメロディーの進行や高さの変化などをどのように遷移確率的に捉えているのかを捉えて分析した。特に、ジャズの即興演奏では「創造的」働きがより強く出ていると考えられる。そこに芸術創造の「新しさ」を捉えようとしている。

 

「芸術の本質は新しいもの(不確実・不安定なもの)を求めることにある」(p91)から、従来の作品を模倣したのでは優れた芸術は生まれない。とはいえ、やみくもに出鱈目な作品を作っても、それは「芸術的創造」ではない。「芸術性とは、ただ新しいものではなく、作品に潜在する確実性と不確実性の絶妙なバランスを追究するところに生まれる」(155)。

 

この場合、「確実性と不確実性の絶妙なバランス」から新しいものが生れるのだが、その創造はゼロから生まれるのではなく、これまでの規則の記憶から、その規則を超えるような新しい規則が生まれるところにある。新しい何かはカオスではなく、何らかの規則をもっている。しかしその規則は、あらたに発見=創造されたもので、過去に捉えていた規則性からは出てこない。帰納によってすでに得られた規則の認知が、新しい経験によって微妙に変更されることであり、本書は全体の構成がきわめてヒューム的である。規則性の獲得と、それからの超越が、「潜在記憶」「意味記憶」「エピソード記憶」という三段階の記憶の機能と相互関係から説明される。

 

まず最初は、外部の規則性を認知する潜在学習が、体内にいる幼児ですでに始まっており、誕生後、言語習得まで、幼児は知覚を潜在学習して潜在記憶を残し、それで環境への反応的行動ができるようになる。2~3歳で言葉を覚えると同時に、潜在記憶を種/個体にグルーピングし、それに名前を付けることによって、自由に引き出せる記憶になる(これが意味記憶)。つまり意味記憶とは、ヒュームの言う「観念」を言語化することにより、規則を認知することであり、カントであればカテゴリー認識にあたる。それを踏まえたうえで、さらに個人の新しい経験によって潜在記憶や意味記憶のストックが前景化することが「エピソード記憶」であり、これによって、従来の帰納の一般化=規則による認知を越えて、新しい規則を獲得することができる。このようにして、科学の法則の新発見も芸術的創造も、人間の認知と想像との揺らぎの地点にあることがよく分かる。本書は、ある意味で優れた認識論ともいえる。

 

本書で言われる「芸術的創造」は、「美」という概念を用いていない。しかし、新しい規則=調和の発見が「芸術的創造」なのだから、これは、カントの「美=想像力の自由な遊び」という見解にも繋がる可能性があると思う。カントのいう「想像力の遊び」は、カテゴリーを用いる認知の一歩手前にある、いわば発見的プロセスであり、その「ゆらぎ」「遊び」を楽しむのが美的経験である。この問題はさらに自分で考えてみたい。

 

PS :美と愛が最高に一体となったシーン、『ドン・ジョバンニ』のジョバンニ・ツェルリーナ二重唱、ザルツブルク音楽祭2014、ツェルリーナの揺れ動く気持ちが印象的、ジョバンニはダンスをしつつ口説こうとするがメイドにじゃまされ、ツェルリーナも最後まで誘惑に負けまいと頑張るが、ついに・・・(5分強)。

https://www.youtube.com/watch?v=a4YjKmsXyds