[演劇] 三好十郎 『殺意 ストリップショウ』

[演劇] 三好十郎『殺意 ストリップショウ』  シアター・トラム   7月14日

(写真は舞台、彼女がストリップの踊りで表現するのは、激しい怒り、そして否定が肯定に変様するカタルシスである)

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4か月ぶり、やっと演劇を生(き)で観賞。鈴木杏の一人芝居、演出は栗山民也。着席は一つおきだが、満席。三好十郎(1902~58)を見るのは初めてだが、凄い作品だ。娯楽性はほとんどなく、難解な思想劇なので、1950年に発表された戯曲は、三好の生前には上演されず、1977年に劇団・民芸関係の卒業公演と、天井桟敷館の自主公演として上演されただけ。今回、初めてメジャーな形で上演された。2時間、途切れなく早口の科白をただただ独白する鈴木杏も凄いが、何と言っても、この難しい作品を舞台に掛けた栗山民也が称えられるべきだ。主題は、戦前から戦後にかけて「転向」「再転向」しながら、何事もなかったかのようにしゃあしゃあと生きているエリート知識人に対する激しい怒りである。ふとした偶然から、左翼の社会学者山田教授のもとに身を寄せることになった主人公の小娘は、日本が日華事変から戦争へと突入する中で、左翼劇場の端役女優から、皇国女子挺身隊員、そして敗戦で、売春婦に転落、その後それなりに売れるストリッパーになる。彼女は、山田教授が左翼から大東亜共栄圏論者に「なめらかに移行する」のに何の疑問も抱かず、教授を信じて付き従った。しかし、やはり教授の言説を信じていた彼女の最愛の兄は病死、教授の弟である彼女の恋人は学徒出陣で戦死。彼女は、なぜこうなったのか自分では分らず混乱するばかりだが、しかし敗戦後数か月で左翼の理論家に再転向して大受けしている山田教授を知って、激しい怒りと殺意を抱く。教授は権威主義的なところがまったくない人で、リベラルで暖かい家庭をもち、美人の妻、かわいい優秀な子供がいる理想の家庭の主でもある。それが戦前も戦後もまったく同じように続いている。彼女が山田教授の家に行くと、友人もたくさん来ていて、まるで戦争などなかったように、穏やかなよい雰囲気に満ちている。どうしてこんなことが可能なのだろうか。教授を激しく憎悪した彼女は、教授を殺そうと付け回すうちに、教授が、廃墟に住む場末の娼婦に通うのを目撃し、部屋を覗く。娼婦の足の裏を舐め、泣きながら、惨めで、醜い、寒々としたセックスをしている教授。彼は場末の娼婦からさえ冷たくあしらわれている。そうか、皆に敬愛されスター理論家である教授は、こんなにも人間として貧しく醜い人だったのか! 彼女は気づく。しかしその醜さを直視するうちに、時流に合わせてとにかく自分が生きることだけを優先するズルさは、教授だけのものではなく、実は彼女自身も含めて多くの日本人が共有していることに気づく。そして、教授に対する「殺意」はスーっと潮を引くように消え、憎しみと自己嫌悪が浄化されて、否定が肯定に変様するカタルシスを経験する。これだけ深みのある内容を一人芝居で表現できるのは凄い。

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今回の舞台を見て、演劇への自分の理解が一つ深まったように思う。プログラムノートによれば、三好十郎は、作品解説でこう書いている。「[この作品は]ほとんどの人から戯曲ではないと言われるかもしれない。[でも]戯曲ではないと言われても私は一向に困らない。戯曲はまず演劇のために在るのではなく、戯曲自身のために在るものだからだ。私の考えによれば、これが戯曲なのである。上演しようと思えばチャンと上演できる。一つの詩劇として、これは書かれた。」これは、戯曲とその上演との関係についての深い洞察だと思う。要するに、戯曲は言語表現として完結しているから、ラカンの言う象徴界であり、作家も作中人物も戯曲の読者も象徴界を生きている。しかし、それを演劇として上演するということは、生身の俳優が発声し、シニフィアンが舞台に溢れ、観客は俳優の肉体を見るわけだから、それは想像界の出来事になっている。戯曲には(ラカンの言う意味での)記号はあるが、(ラカンの言う意味での)シニフィアンはない。一方、舞台には、シニフィアンと俳優の肉体だけがある、つまりラカンのいう「対象a」だけがある。ということは、演出家と俳優は何をやっているのかと言えば、象徴界から想像界への受肉を行っている。プログラムノートにある栗山民也と鈴木杏のコメントも、三好の発言を念頭においた優れたものだと思う。

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