鄭義信『焼肉ドラゴン』

charis2016-03-21

[演劇] 鄭義信『焼肉ドラゴン』 新国立劇場・小 2016.3.21


(写真右は、焼肉ドラゴンの店の全景、左の女性二人は三女と次女、右側の前景はアボジ(父)とオモニ(母)、写真下は、土地の強制収容に抵抗する父と囲む家族、そして、強制収容で立ち退かされ、リヤカーで去っていく二人、これが終幕)


2008年、11年に続く再々演だが、私は初見。初演の時、読売演劇大賞鶴屋南北賞、紀伊國屋賞、文部大臣賞の4つの賞を受けたが、なるほどこれは傑作中の傑作だ。作と演出は鄭義信在日コリアンである鄭が書かなければ、このような作品は決して生れなかっただろう。科白は、日本語が8割、韓国語(字幕付)が2割くらいだろうか。1970年前後の大阪、バラックでホルモン焼き屋を営む在日コリアンの家族の物語。在日コリアンが戦中から戦後にかけて受けてきた差別と苦しみが中心テーマであるが、政治劇やプロレタリア演劇ではなく、ドタバタ喜劇なのである。しかし私は涙が溢れて仕方がなかった。周囲の観客もそうだった。プログラムノートによれば、練習の本読みで、アボジ役の科白に演出の鄭義信自身が泣いてしまった、とある。鄭の父親は朝鮮人でありながら、陸軍中野学校を出た憲兵であり、そのことを戦後ずっと鄭に隠していた。また、鄭の父親と家族は戦後、姫路城にバラックを建てて住んでいたそうで、焼肉ドラゴンは、鄭自身の体験も重なっている。在日コリアンの問題は、日本の歴史に深く突き刺さった棘であり、奥行きが深い。


本作は、強制収容されるバラック建てのホルモン焼き屋の物語だが、その中心をなすのは、三人の娘の恋愛と結婚をめぐるドタバタ劇である。だがその基調には、在日コリアンの深い悲しみがある。父と母はともに(大規模な虐殺があった)済州島出身であり、父はよく「自分には帰るべき故郷がない、日本で生きていくしかない」と言う。15才の息子は、父の強い願いで、朝鮮学校ではなく、名門の進学校の中学に進んだが、イジメられて不登校になり、自殺してしまう。そして、在日コリアンは、現代の韓国人に対しても微妙な位置にあり、韓国が必ずしも故郷ではないことである。韓国人と日本人の両方に挟まれて、宙に浮いたような「よるべなさ」を抱えている。劇中、何度か、「ああ、またそれか、在日はこんなに苦労しました、お涙ちょうだいの物語かい、聞き飽きたぜ!」という科白が語られる。たぶん在日コリアン自身の口から。


そして、三人の娘たちに言い寄る男は、日本人、在日コリアン、韓国から出稼ぎに来たばかりの生粋の韓国人だが、それぞれ大いに怪しい連中でもある。次女と結婚した在日の男は、働かずに酒ばかり飲んでいるし、三女に言い寄る日本人は、妻帯者であることを隠し、「歌手になりたい」という三女の幼児的願望に付け込む。そして、長女も次女も、それぞれ在日と結婚して、北朝鮮と韓国に移住することになった。「もう故郷がない」父母と違って、在日の子どもたちは、新しい人生を歩むことができる。だが、彼女たちは幸福になれるだろうか。いやいやながら、夫について北朝鮮へ行く長女。たぶん彼女は北朝鮮の実情をよく知らない。長女と次女の夫婦が出発する日、出産を控えた大きなお腹を抱えた三女夫婦、父と母、そして店の常連客の友人たちが集まる。そして、最後に残った父と母が、リアカーでバラックを去って終幕。


ほとんどがドタバタ喜劇で、笑いに溢れていると同時に、それと同じくらい涙が流れる。すべての登場人物が、生き生きとしていて、一人一人に何という愛おしさが感じられることだろう。この作品は、チェーホフ『ワーニャおじさん』『三人姉妹』とブレヒト『肝っ玉おっ母』を混ぜこぜにしたようなところがある。人生は、こんなにも辛く、こんなにも悲しいのに、しかしなぜか希望をもって生きていくことができる。何という切なさ、何という美しさ!


俳優は、みな良かったが、母を演じたナム・ミジョン、父を演じたハ・ソングァン、ひたすら可愛い三女を演じたチョン・ヘソンが特に良かった。生粋の韓国人だから、日本語の科白は大変だったろう。生粋の韓国人が在日コリアンを演じることは、複雑で固有の難しさがあると思う。それから、笑いと涙の影に隠れてしまいがちだが、音楽が素晴らしいのも、本作の特徴だ。一台のアコーディオンがこれほど見事な音楽を作り出せるとは思わなかった。開演の直前、焼肉ドラゴンの客のアコーディオンが奏でたのは、鉄腕アトムのメロディだ。限りなく懐かしくて、美しい。


2011年の公演ですが、短い動画があります。
http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150109_006141.html