[オペラ] ヘンデル《ジュリオ・チェーザレ》

[オペラ] ヘンデルジュリオ・チェーザレ》 川口リリア 3月3日

f:id:charis:20220304101427j:plain

濱田芳通指揮、中村敬一演出。非常に面白いオペラだった。どこまでが原作通りで、どこが演出の付加なのかよく分らないが、中村は「バロックオペラは即興の要素が多い」と言う。今回はシーザーをバリトンが歌っているが、10月の新国ではメゾが歌うようだし、ヘンデルの初演時はカストラートが歌ったというから、彼のオペラはトランスジェンダー的な要素が突出している。今回、まずクレオパトラがキャピキャピした可愛い小娘なのに驚いたが、史実では、彼女は父の遺言により18歳で即位、当時7歳の弟トロメーオとともに「共同統治」として女王だった(弟は王)。キャピキャピしていてもおかしくない。そして、シーザー(坂下忠弘)も何となく頼りなく線の細い草食系男子っぽい造形だ。初演でカストラートが歌ったのだから、最初からそうなのだろう。とにかく本作は登場人物の誰もが面白い。弟トロメーオもカウンターテナー(中嶋俊晴)で、王なのにマッチョではないし、クレオパトラの従者ニレーノもカウンターテナー(弥勒忠史)で、こちらも最初から最後までナヨナヨしている。ポンペイウスの妻コルネリアだけが、いかにもローマ貴族らしい風格があるが、息子のセストは「ママー」が口癖のマザコン坊やで、「英雄」らしい男はどこにもいない。キャピキャピ・ガールとマザコン坊やと草食系男子ばかりで、誰もがまるで現代の普通の若者なのだ。初演時に観客は、こうした人物造形をどう受け止めたのだろうか?(写真下は、中央がクレオパトラ、その左がシーザー、右端がヘンデルさん)

f:id:charis:20220306154518j:plain

物語としては、シーザーがいきなりクレオパトラに恋するのではなく、クレオパトラ自身が自分の侍女に変装したリディアに恋をするところが、ミソ。侍女ならキャピキャピ少女でもおかしくないし、リディアを口説いたり抱いたりするシーザーも、まったくフツー、今どきの草食系男子。毛布をかぶったクレオパトラの横から恐る恐る入って、中でコソコソやっている。「色を好む英雄」シーザーらしからぬ身体所作だ。それにしてもクレオパトラを歌った中山美紀はよかった。この人、オペラはほとんど歌っていなくて、宗教音楽のソリストだったようだ。本作の音楽は舞曲が多く、祝祭感が溢れるコメディーなので、とにかく楽しいオペラなのだ。音楽は、動と静が繰返す構成になっており、物語を進める「動」の部分の次には、同一歌詞が何度も何度も繰り返されるやや退屈な「静」の部分が続く。ひょっとして初演の頃の観客は、相撲の升席のように、飲んだり食べたりおしゃべりしたりしながら鑑賞していたのだろうか。静の部分では飲み食い歓談し、動の部分では舞台に注目したのかな。ヘンデル本人に擬したダンサーが一緒に踊りまくったり、日本語混じりの幕間劇など、演出の即興的な工夫なのだろう。本当に素晴らしい上演だ。

f:id:charis:20220304101621j:plain

f:id:charis:20220304101636j:plain